舞台を降りたはずでした

カフェ千世子

舞台を降りたはずでした

 元王太子、今は伯爵。彼の名はエリオット。現王スタインに登城を命じられて馳せ参じたところである。

「バラクロフ伯、参内されましてございます」

 膝を折り、顔を伏せて声がかかるのを待つ。

「面を上げよ」

 許しを得て、顔を上げた。

「久しいな、エルよ。元気そうで何よりだ」

「陛下もご健勝のご様子、お慶び申し上げます」

「楽にしてよいぞ。ここからは叔父と甥でいこう」

「は。ありがとうございます」

「ははは。まだ固いぞ」

 叔父に笑われるが、エリオットの表情は中々ほぐれない。実際、彼は緊張していた。

 一体何を言われるのか。そろそろ用なしだと処分されるのか。


 学園の卒業式。エリオットは犯した失態から王太子としての地位を剥奪されるに至った。

 それから10年。エリオットは爵位をもらって臣下に下り、領地をもらって経営していた。

 領地経営は当初は上手くいかないことも多かったが、領民の助けもあって十分な成果を得られていた。


 この10年、随分平穏に過ごせたものだと思う。そして、それが仮初のものでいつか奪われるのではとも思い続けていた。

 もっと貶められていてもおかしくなかった。自分は断種されてもしょうがないと覚悟していたのだ。なのにそれもなく、結構自由に過ごせていた。社交界での肩身の狭さはあれど、年月とともに気にならなくなった。

 こんなに普通に生活できていいのか? もっと苦難に満ちた生活を送って反省と後悔にまみれるものではないのか。


 そろそろ幽閉でもされるのだろうか。あるいは断種か。領地経営はどうにかできてるが、それは領民あってのもの。言うなれば、トップにいる人間は挿げ替えてもどうにでもなる。

 エリオットの領地を誰か功績を挙げた人間に渡したいとのことだろうか。さて、最近そんな優秀な功を上げた人間はいただろうか。

 社交界でも針の筵のような感覚も最近はなくなってきた。そのせいか、のびのびと過ごしすぎたかもしれない。あいつ、反省してないなと思われてもおかしくはないのだ。




「エルよ。また頭が下がっておる」

 エリオットは叔父に指摘されてはっと意識を戻す。

「も、申し訳ございません」

「疲れておるな。こんな場では気を緩めるのも難しかろう。場所を移そう」

「はあ……」

 叔父は話を上の空で聞いていたことをとがめるでもなく、場所の移動を提案した。



 対面し、腰を下ろして、目線を合わせて言われる。叔父の表情は一定でそこからは何も読み取れない。

「エルの王位継承権を復権させようと思っている」


 予想外の発言に、返す言葉が出ない。

「……エル?」

「えっ、えっ……? どッ、どうしてですか? アーヴィン殿下に何かあったのですか!」

 一番最初に思い浮かんだのは、叔父の息子アーヴィンの体調への不安だ。

「落ち着くがいい。アーヴィンの体調にはおかしいところはない」

 叔父の言葉にほっと胸を撫で下ろす。次いで、なぜと疑問が浮かんでくる。


「あれも年頃になった。色恋というものに興味を持つようになってな」

 色恋、という言葉にエリオットはぎくりとする。エリオットが地位を失ったのはまさにそれのせいである。

「最近では下位貴族の女子と随分親しくしておるようだ」

「……」

 エリオットの口から洩れたのは、小さな呻きだった。従弟アーヴィンがかつてのエリオットと同じ失態を犯しそうになっている。


 エリオットの脳裏に浮かぶのはかつての従弟の幼い頃の姿だ。あのかわいらしい幼児だった彼に、あんな思いをさせたくない。

 屈託のない、汚れなき笑み、柔らかい頬、差し出してくる小さな手指を傷つけないようにとそっと握った思い出、そんな記憶が次から次へと浮かんでくる。



「……ってください。待ってください。アーヴィン殿下は、まだお若い。若気の至りというやつです。これから諄々と諭せば立場に応じた行動ができるはずです」

 エリオットは恐れる。アーヴィンがかつての己のように挫折を味わうのを。その後、訪れる人々からの冷遇を味わってしまうのを。


「もちろん私もそう思っておる。そして、お前の時もそう思っていたとも」

 スタインの笑顔に、エリオットは裏を感じなかった。その表情はエリオットが幼い頃に見た、ただの叔父の顔に見えた。


「そう逸るな。ただの保険というだけだ」

「はあ。保険ですか」

「私は王家の血を絶やさせたくはないのだ」

「……」

 エリオットはまた押し黙る。彼には子供はいない。そして、まだ作る気にもならない。エリオットは結婚していない。そして、今後もできる気がしない。

 それなのに、エリオットの血を保険として扱われても、と思うからだ。



「エルよ。別にお前が王になってもいいんだぞ」

「へっ」

「後継をアーヴィンにするか、アーヴィンの子にしてもいい。これなら、お前自身に子はなくとも王家の血は絶えない」

「そん、そんなことしなくても、アーヴィン殿下をそのまま王にすればいいじゃないですか」

「あれには危機感を持ってもらいたい。安穏としてるから、ああも好き勝手なことができるのだ」

「危機感……」

 エリオットはスタインのその言葉にほっと息をつく。良かった。アーヴィンが王になる道は閉ざされてない、と。


「本当にお前を王にしてもいいと思ってるんだがなあ」

「ええ……」

 急に王の態度を止めてただの叔父になったスタインに、エルは脱力する。

「私が王になったのも、所詮はただの繋ぎ。兄の子であるエルが王になるのは、道理からも外れていないし」

 スタインには私欲がない。だから、息子を王にしたいという欲もない。エリオットは叔父のそういうところが、怖いと思っていた。そして、その私欲のなさをエリオットやアーヴィンにも求めている。


 エリオットは自分が結構欲深いことを自覚している。だから、王になってもスタインにいずれ排斥されるだろう、と恐れを抱く。

 そうなりたくないから、王にはなりたくない。




 エリオットはスタインの前から下がり、今は宮中の庭園の一角にある東屋で一息ついていた。

 緊張感から解放されて、ぐったりと身を伏せたいところだが人目があるかもしれない場所で姿勢を崩すのははばかられた。


「あら」

 女性の声が聞こえて、そちらに顔を向ける。こちらに一人の令嬢が近づいてくる。

「バラクロフ伯とお見受けします。お初にお目にかかります。私、アーヴィン殿下の婚約者のローレッタ・ギレスと申します」

「ああ……」

 令嬢が一人でやって来た。周囲を見回して、侍女や従者の姿を探す。

「私一人ですわ。ご安心くださいませ」

 その言葉にエリオットは余計に不安になった。年頃の女性と二人きりになりたくない。どこに目があるかわからない王宮で、こんな場面を目撃されたら一体何を噂されるか。

 恐ろしい。こんな危ない橋は渡りたくない。


「私はこれで失礼する」

 エリオットはやってきたギレス嬢を置いてその場を去ろうとした。

「お待ちくださいませ!」

 大声で叫ばれる。エリオットは困り果てる。

「私、バラクロフ伯とお近づきになりたいのです!」

 ギレス嬢はとんでもないことを大声で言ってくれる。彼女は本人が言った通りアーヴィンの婚約者だ。その婚約者がいる身で婚約者の親族とはいえ、婚約者以外の異性と二人きりになり、親しくなりたいなどと口にする。エリオットには正気と思えない。


 アーヴィンの噂を知って身の振り方を悩んでいるんだろうか。彼はそう考えた。


「私は王太子妃になるべきなのです」

「ああ……」

 やはりか。とエリオットは嘆息する。私が代替になるなどと思われては困るのだ、と内心が喚く。


「私の最愛は今でもたった一人なのだ」

 それだけ言ってエリオットはその場を去った。


 王宮の廊下を足早に歩いていると、前から賑やかな女性の声が近づいてくる。

 出会いたくなかったなと彼は思ったが、今さら引き返すのも不自然だった。


「まあ! お義兄様、お久しぶりですわ!」

「……ああ、久しぶり。ジュリアン妃殿下」

「あら、他人行儀ですわね! 私達、元々愛称で呼び合った仲ではありませんの!」

 彼女はわかっていてこんなことを言う。この女との相性はやはり良くないとエリオットは改めて思った。


「今日はどんなご用事でいらっしゃったの?」

「陛下に……ご挨拶を」

 迂闊に陛下に呼び出されたなどと彼女に教えて、特に何も抱えていない胸の内を探られるのは不快だと彼は考えた。

「では、これで」

「もう、お帰りになりますの!? ゆっくりしていかれればよろしいのに!」

 エリオットは、ジュリアンの顔に浮かんでいる笑みと弾んだような声音にどうにも嫌な印象を持った。内心では、ゆっくりなどできないでしょうけどと考えているのが、透けて見えるようだった。

「ねえ。私達は言わば家族じゃありませんか。お茶でもしていかれませんこと?」

 ああ、精神が削られる。さっさとここを出たい。この女にいたぶられるお茶会の何が楽しいんだ。エリオットは内心で呻く。


「ジュリアン、ここにいたか」

「オーガスト様」

 ああ。鬱陶しいのが二人揃ってしまった。彼は内心で嘆く。

「おや、兄上。お久しぶりです。こちらに来られていたのですか。知りませんでしたよ。知っていれば時間をとっておきましたのに」

 エリオットから見て半分だけ血のつながった弟、オーガストだ。エリオットはつい隠す気もなくため息を出してしまう。


「君らと仲良くする気はないよ。君らにだって、何のメリットもないだろ」

 言い捨てて、その場を素早く立ち去る。彼らと貴族的なやり取りをするだけの気力はエリオットにはなかった。



 エリオットは王都の中心にある大神殿に立ち寄った。心に溜まった疲労感を洗い流したかったのだ。

 彼は神殿に寄進をし、祈りを捧げる。


 エリオットは社交界を避けがちなせいで、貴族的な遠回しの嫌味の言い合いがすっかり苦手になっている。こんな精神性の人間が王位継承権など、持たない方がいいと考える。

 彼は神官とあいさつを交わす。これから神殿を去るというところで、誰かが向こうからやって来た。今日はこんなのばっかりだと思わされる。



「殿下!」

「……今はもう、一臣下だから」

「失礼しました。バラクロフ伯。ご健勝のことお慶び申し上げます」

 彼女はすっと腰を落とす。彼女はすでに貴族令嬢ではなくなっているので、礼の仕方も修道女のものと同じだ。

「君も元気そうだね。君の噂はうちの領地にも聞こえてきてるよ」

「まあ、一体どんな悪評かしら」

「悪評なんかないよー」

 心地良い軽口の応酬に懐古の情が湧いてくる。以前から変わらず彼の胸にあるのは、親愛と慕情。

 若い頃のように、彼女をどうしても得たいという渇望の念はない。だが、彼女が平穏無事で幸せを感じながら日々を過ごして欲しいと真摯に願う。その彼女の日々の中に、自分の姿がないことがエリオットには残念に思えてならない。


「本当に。君の功績はよく聞こえてくる。とてもがんばっているね」

「ありがとう存じます」

 貧困層への救済案として、炊き出しから始まり職の創出確立、若年層への識字率向上のための学び舎の運用……これらの功績を以て彼女は聖女に列せられることとなった。彼女は身分を持たない身でありながら、国中の人々から敬われる身となったのだ。



 修道女となってからの功績を思うと、彼女は王妃となるだけの器を十分持っていたのではとエリオットは思う。



 彼が教会を出ると、そこに待ち構えるように一台の馬車が停まっていた。見覚えのある紋章が描かれている。あの女の生家の紋章だ。素通りしたいなと思いつつ、エリオットがその横を歩くと馬車の窓にかかっていたカーテンが開けられて、中にいる人物が顔を出した。

「エル、話がしたい」

 さらに窓を開けて声をかけられる。面倒だな、と思いつつエリオットは自分の馬車の馭者に声をかけて帰ってもらった後、彼の馬車に乗り込んだ。



 彼はカール・エイジャー公爵。ジュリアン王子妃の義弟に当たる男だ。

「話って何?」

「こんな馬車の中で済ませるつもりか? 家で茶の一杯ぐらい出させてくれ」

「まあ、自分の馬車帰したし……」

 ため息を吐く男の顔を見れば、目元にはうっすら隈が見える。

「疲れてそうだな。若くして公爵になった重荷は相当なようだ」

「公爵としての重荷というか……」

 カールはそこから黙ってしまった。

「少し寝るか?」

「すぐ着くし……」

 などと言いながらも、彼は目を閉じれば瞬間的に寝たようである。これは相当な疲れようだとエリオットは思った。



「彼女のやらかしとその尻拭いが大変なんだ」

「尻拭いとは?」

「使い込みの補填だ!」

 カールが感じている心労を打ち明けられた。

「使い込むほど浪費してるのか。というか、そんなにまでして欲しいものってあるのかな。衣食住なんて普通に足りてるだろ」

「足りるを知るという言葉を知ってる人じゃないんだ」

「公爵令嬢時代から、そんなだった?」

 エリオットが知るジュリアンの過去の姿はそんなに浪費家だった印象もないので彼は首をひねる。


「王太子妃になるべく大分己を律していたんだと思う。今でも、そうして欲しいんだが」

「ええ~~何がきっかけだろう」

「王子妃に無事に収まったからだろう」

「安心して浪費してるって? ……何を安心する要素があるんだ?」

 エリオットには全然わからないのでさらに首をひねる。むしろ、あの叔父の側で暮らすのだからもっと戦々恐々としてそうなもんだと彼は思った。

「公爵家が補填をするってのもよくわかんないな」

「王子妃に国から支給される額を超えて使ってしまっている」

「オーガストの懐から出させるべきだろ? いつまで実家に頼ってるんだ」

「オーガスト殿下にそんな収入なんてあるのか?」

「父から残された信託金を運用してればどうにかなるんじゃないか?」

「信託金? そんなものが」

 何故知らないんだ? とエルドレッドの脳裏には疑問しか湧かない。


「でも、オーガストは惚れた女性に倹約しろとは言えないだろうな。そこで注意するのは実家の役目だろう。ちゃんと言い聞かせてるのか?」

 問えば、カールは口を閉ざす。

「注意しないで補填ばかりしていては意味がないだろう」

 そういうと、カールは俯いてしまった。


 ため息を吐きたい。エリオットはそう思ったが、耐えた。


 そもそも裏切ったのはこの男であった。エリオットは恋を自覚した当初、それでも気持ちに封をしてジュリアンと結婚するつもりでいた。

 そんな彼の背中を押したのが、この男カールである。カールは血のつながらない義姉ジュリアンに恋慕していた。だから、エリオットの恋を好機と見たのであった。

 そして、進めていった婚約解消の計画。それを土壇場で崩したのは、カールであった。

 カールは義姉ジュリアンに相談され、彼女の味方をした。結果、大衆の面前でエリオットは浮気を暴露され、断罪されてしまい、王太子の地位から降りたのである。


 エリオットが王太子でなくなった後、ジュリアンはカールの元に身を寄せると思われたが、彼女が選んだのはエリオットの異母弟オーガストであった。

 そこで初めてカールは彼女とオーガストが通じていたと知った。


 そして、誰も得をしない婚約解消劇となったのだ。


 そう。誰も得をしていない。オーガストとジュリアンは自分達を勝ち組だと思っているようだが、そうではないとエリオットは知っていた。彼らがそれに気づく日は一体いつだろう。とエリオットはずっと思っている。



 エリオットにとっては久しぶりの夜会である。ああ、やだやだ、無事に終わってくれと願いながら参加する。エリオットは壁際でひたすら挨拶を繰り返していた。

「あなたが口を出すようなことではない!」

 唐突に会場全体に大声が響き渡った。なんだ⁉ とエリオットは目を見張り、声の主を探す。


 エリオットが見た先にいたのは、アーヴィンである。傍らには、彼が見たことのない令嬢。その斜め前にいるのはローレッタ嬢。

 エリオットは最初、アーヴィンがローレッタ嬢に苦言を呈されて反論しているのかと思った。だが、アーヴィンの視線の向かう先にローレッタ嬢はいない。

 彼の視線の向かう先にいたのはジュリアンだった。



「図星を差されたから声を荒げられるんでしょう?」

 ジュリアンはそう言ってアーヴィンを挑発する。

「婚約者ではないご令嬢を連れて夜会に参加なさるなんて、非常識だとは思われませんの? ご自分が何をされてるのか自覚もされてないんですね。それって、王太子としての資格に難ありと取られても仕方がないですわね。ねえ、ギレス嬢? あなたもそう思いませんこと?」

 エリオットの位置からは、ローレッタ嬢の顔はよく見えなかった。だが、斜め後ろから見えた頬は強張って見えた。


 巻き込んでくれるな、という彼女の内心が伝わってくるように思えた。



「今夜は国の大多数の貴族が参加されておりますわ。皆々様にお聞きしましょうよ。あなたが王太子にふさわしいか否かを」

 ジュリアンの横ではオーガストが胸を張って立っている。彼らは、自分の正義を信じて断罪劇を始めたのか。

 愚かな……とエリオットは思った。彼らを調子に乗らせたのは、あの時に断罪されてしまったエリオットだ。あの時に、彼らをうまく制御できていれば、こんなことにはならなかったのだ。

 改めて、自分の失態を思い知らされる。


「私は、アーヴィン殿下には荷が重かろうとおもっておりますの。ですから、ここはオーガスト殿下に」

「馬脚を現しおったな。オーガスト、ジュリアンよ」

 その声は重く静かに響いた。その場にいた一同はその声の主が誰だかをすぐに理解し、ぐっと押し黙る。


 浮ついた夜会の雰囲気は一気に重たく冷たいものへと変化した。

「衛兵よ。そこな、叛逆者を捕らえよ」

 スタイン王が命令を下し、衛兵がオーガストとジュリアンを押さえ付ける。


「な、なっ、何をなさいますか!」

「陛下! 何故、私が捕らえられるのです!」

「黙れ、痴れ者が。さっさと連れて行け」

 衛兵達がスタインの命令に従って、二人を連れて行く。

「アーヴィン、エル、カール、そしてギルよ。後で呼ぶ。他の者はこのまま夜会を続けよ」

 スタインはそれだけ言うと、去っていった。




 エリオット達が呼ばれた先は地下牢であった。

「こんなところに……」

 ジュリアンの父である先代公爵ギルベルト・エイジャーは悲嘆の声を出す。

 娘の身を案じての言葉だとわかっているが、エリオットには場違いなものに思えた。


「来たか」

 彼らの行く先にはスタイン王が待ち構えていた。

「お父様ああああああ!」

 スタイン王の声をかき消すような大声が地下空間に響き渡る。スタインは手にしていた杖を鉄格子にぶつける。

 大声を出して自分の父を呼んでいたジュリアンはそれで黙った。ジュリアンは縮こまって震えている。


「ギルよ。これはお前の失態だ。なぜ、娘に教えなんだ。この男に、継承権などない。この男は逆賊の血を引く忌むべき存在だと」

「は……」

 ギルベルトは頭を下げながら、言葉に詰まる。まさか、まったく何も教えていなかったのか、とエリオットは驚く。


「アーヴィン、エル、カール。しっかり見て学びなさい。これが、逆賊の子でいながら、ただ温情で生かされている身でありながら、王位を狙った愚か者の末路だと」

 スタインが蔑んだ目で見ている先にいるのは、オーガストだ。

「私が、逆賊……? なんのことです。私の父は先王フランク」

「お前の母は、市井の娘を装いながらフランク王に近づいた敵国の間諜。寵愛を受けながら王宮に入り込み、この国の情報を敵国に垂れ流していた女」

 オーガストの目がカッと見開かれる。こっちも知らなかったのか⁉ とエリオットはまた驚く。


「フランク王が子には罪はないと懇願されたから生かされただけの存在。まったく忌々しい」

 スタインに蔑まれて、オーガストは睨み返す。

「見なさい。反省の色も何もないだろう。言い聞かせても駄目なものは駄目なのだ。こうなっては排除するしかない」

「は……」

 背後でジュリアンがわずかに声を出した。それにつられて、みんなが後ろに意識をやる。


「ふむ。先にこちらを処分するか」

 スタイン王がジュリアンの前に立った。

「無知なのは気の毒だったといえよう。だが、王命を度々ないがしろにしたことは見逃せない。自分が誰より優れているとでも思ったか?」

「わ、私は王の妻になるべく育てられたから」

「ならばなぜエルの妻で満足しなかった? あの時点でお前が生かされたのはこの王にはならない男を選んだからだ。それを何を勘違いしたのか、この男を王にしようなどと吹聴しよって」

「だって、オーガスト様はエリオット様の弟君だから……」

「これに価値があるなら、エルが退いた時点で地位を得ているだろうよ。なぜ気づかなんだ。お前にはその程度しか考える頭がない。だから、エルもお前に愛想をつかしたんだろう」

 スタイン王はそう言うと、こちらに向き直った。

「カール。そして、ギルよ。お前達が自分の手で始末をつけなさい。エル、アーヴィン。お前達はそれを見届けよ」

 スタイン王は控えていた従者から杯を受け取ると、それを先代公爵に差し出した。彼はぶるぶると震えて中々それを受け取れない。カールが義父に代わってその杯を受け取った。


「義姉上。どうぞ、お飲み下さい」

 カールがジュリアンに向かってその杯を差し出す。

「い、嫌よ。嫌よ。嫌よ!」

 ジュリアンは暴れた。杯を倒されそうになり、カールは一歩引く。

「押さえ付けよ」

 スタインが言ったのは、誰に向けたものなのか。看守が牢の鍵を開ける。カールは片手に杯を持ち、中に入った。ギルベルトも目に涙を溜めながら、牢の中に入っていく。



 エリオットは女の騒ぐ声、悲鳴、苦悶する声を聞きながら、遠い目をした。アーヴィンは下を見ながら、顔を青褪めさせている。

「ジュリアン! ジュリアン! ジュリアン!」

 背後でオーガストが叫びながら牢をガンガンと打ち付けている。




 エリオットはまた神殿にやって来た。

「バラクロフ伯、またお会いしましたね」

「クレア」

 エリオットはつい、彼女の名前を呼んでしまった。聖女クレアは鷹揚に微笑んでいる。

「バラクロフ伯、随分お疲れのようですね」

「うん。ちょっとね……」

 エリオットは力なくほほ笑む。それでも、彼女の顔を見れば少し気持ちが回復するような心地がした。



 エリオットが彼女を妻にと望んだ時、彼女の出自を説明する際、彼女は先祖代々下級貴族ですよと父に説明してしまった。その時に浮かんだ父の表情が忘れられない。

 エリオットは父の古傷を無駄に突いてしまったのだ。

「君がまだ貴族令嬢だったら、どうなってたかなって未だに考えるんだ」

 エリオットの言葉にクレアは困ったように笑う。

「私の居場所はここですわ。誰かのために奉仕をすることに喜びを感じるのです。令嬢のままでいれば、それは決して得られなかった喜びでしょう。私は、ここに来るべくして来たのです」

「そうか……そうだね……」

 二人の道はもう完全に別れてしまっている。それを改めて思い出しながら、エリオットは穏やかな笑みを浮かべた。

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