欲望

@harutakaosamu

欲望

 冬の夜を歩く。真っ黒い人混みに流される。先月までは何もなかった白いデパートには明々とクリスマスツリーが光り、何処からかジングル•ベルが流れてくる。そんな中で、俺はある女のことを考えている。

 たった二ヶ月の付き合いだった。その女の肩を愛した。髪と一緒に揺れる肩を愛し、腕を後ろに回した時に浮かび上がる肩甲骨の窪みを愛した。いつの間にか、その肩を人混みの中から探し出そうとしている自分に気が付いた。

 あの女を愛していたのだろうか。

 真理という名前。愛らしいお人形のような外見。似合わない紫がかったピンクの口紅。お互いに戯れだけを求め合ったが、それ以外は全くと言っていいほど気が合わなかった。熱い躰の割に手は異様に冷たくて、その両腕が自分の肌に触れる度にぞっとした。痩せっぽちの躰の中で虫の翅のように浮き立つ肩甲骨だけが美しかった。

 ギクリとする。違う、あの女じゃない。思わず舌打ちする。夏ならもっと上手く探し出せるのに。近頃ずっとこの調子だ。会ってどうするのだ。あの女に未練があるのか。あいつと別れてから一体俺は何をしていた。そうだ、あいつを探している。真理の肩を探している。愛していたのか、あいつを。

 目が潤む。こんな人混みの中で大の男が泣きながら歩ける訳もなく、風邪をひいたように振る舞いながら冬の街を歩く。

 アイスクリーム屋の前を通る。真理はアイスクリームが大嫌いで、見ただけでも嫌な顔をしていた。

 そういえば、あいつの笑顔が思い出せない。一緒に海に行ったときも、家でドラマを観ていたときも、何だかつまらなそうな顔をしていた。後ろから抱きしめたときも、眠たそうな目で顔を背けた。あいつが笑顔を向けた事があったのだろうか。そういえば、俺はあいつに笑顔を向けたことがあったのだろうか。

 無駄な二ヶ月。

 他の男と寝た事を許せない俺に吐き捨てるようにそう言うと、清々とした表情を見せた。

 真理と一緒にいて楽しいと思ったことは一度も無かった。汚い色のTシャツにボロボロのデニム。いらいらと煙草を吸う紫がかったピンクの唇。踵の高いサンダルを履いて面倒くさそうに歩く。

 最後の別れ際にあの女は、俺の本棚を張り倒して出て行った。怒り狂って二人の思い出は全て捨てようとしたが、そういうものが画像一枚さえも無いことに気付いた。

 ただ、それだけの仲だった。

 駅前の階段を上る。この頃見上げながら上るのが癖になった。

 足が一瞬止まる。息が一瞬止まる。目が一瞬止まる。顔を少し紅潮させて階段を駆け下りる、水色のケープコートの女。真理だ!

 真理だ、真理だ、真理だ、真理だ、真理だ、真理、だ。

 心臓が激しく響く。足がもつれるのを無理して人混みに逆らう。人の流れに上手く乗りながら水色のケープコートが挑発する。全身が見えた。グレーのスーツにロングブーツ。耳には銀のピアス。紅い唇。

 見たことないような女。でも間違いなく、真理だ。何度も大声で叫びたくなるのを堪えながら近付く。

 真理が立ち止まる。一気に距離は縮まり、指がケープコートに触れる。

「真ーー」

 口が開いた途端、ケープコートは伸ばした手を振り払い、初めて見る真理の笑顔が目の前を通り過ぎた。

 静寂が襲った。真理はスーツ姿の男に連れられて、信じられないほどの笑顔と共に人混みに消えていった。

 無駄な二ヶ月。それが全てだった。

 夜の駅前、このまま人混みに埋もれて自分の存在を消してしまいたい衝動に駆られる。

 目にごみが入ってしまったように振る舞いながら人の流れに戻る。何度目を擦っても、あの肩甲骨の窪みが瞼から離れない。



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