丁妓公共商工組合



 馬車は道なりに進み、やがて都へ通じる大路、全周街道へ入った。道が舗装されているため、馬車の速度は一気に上がった。あとは街道沿いの駅で馬を休めながら西へ進むのみである。

 途中、いくつかの町や集落を通り三人の少年を乗せた。彼らも丁になるという。この時期、貧しい家は口減らしのために子供を手放す。

 少年三人の表情は固かったが、当然のように身の周りのものを入れた包みをかかえていた。包みには衣類や布団、食べ物、箸や椀などの食器が入っていて、それに気づいた蘭児は自分がいかに貧しい無一物であるかを知って恥ずかしくなった。両親が娘に与えてやれたのは、父の着物のみで、他は本当に何もなかったのだ。

 雷と少年たちは草履ぞうりを履いているが、蘭児は裸足である。彼女は穿袴の裾を引っ張って汚れた足を隠そうとした。

 さらに雷は、荷物を背負って街道沿いにぽつねんと立っていた少女二人も乗せた。荷馬車はそれで満員になった。

 娘たちはざんばら髪を縄で縛っただけの蘭児とはだいぶ違う風体だった。髪は結いあげ、厚手の上衣に裳袴すかーとを履いていた。荷馬車に乗っている間じゅうしくしくと泣いていた。

 雷は少年三人とは世間話や前借り金の相談をしたが、娘二人には一言も話しかけなかった。下手に憐れんだところで、どうすることもできないからだろう。

 日が暮れて夜になった。莱師らいしという町へ入ると、祭りでもあるのか、ところかしこに赤の提灯がぶら下がっていた。歓楽街とおぼしき明るく賑やかな通りの入り口に、男が数人立っていた。娘二人はそこで降りた。

 雷は男たちから金を受け取るとすぐに出発したが、蘭児は連れていかれる娘たちが華やかな灯りの群れに吸い込まれ、小さな点になってしまうまで見つめた。

 あの娘たちも「最初から存在しないもの」になるのだろうか。自分はどうなるのだろうかと思った。


 夜は駅舎の馬小屋に泊まった。その後も、蘭児は雷から饅頭や炒った豆などを施された。

 雷は「売りものを途中で死なせるわけにはいかないからな」と言い訳したが、阿蘭村から都までは馬車なら三日程度の距離である。最低でも水だけ飲ませておけばいい。道中の食事はすべて持ち出しなのだから、随分と面倒見のいい荷運び人だった。

 翌々日の夜、蘭児たちは都の入り口である大門に到着した。

 大黎国の首都であり、正式名は董陽とうようだが、民衆からは大都だいとと呼ばれている。皇帝とその一族、貴族、士大夫と呼ばれる官僚や軍門が集う巨大都市であった。蘭児はいくら首を伸ばしても頂きが見えない城壁と、馬車が横に三台並んでも余裕で通れる巨大な門扉に圧倒された。

 大門は日暮れとともに閉鎖される。壁にそって兵士が立ち、焚かれた篝火で昼間のように明るかった。

 ゴーンゴーンと鐘の音が聞こえてくる。大都の時を告げる警邏鍾けいらしょうである。元は戦争などの有事に警報として鳴らされる鐘だったが、平和な時代においては時計の代わりとなっていた。鐘の回数によって時間がわかるようになっており、午前を上、午後を下で各十二等分し、半刻(一時間)ごとに時を知らせる。朝に六回鐘が鳴れば上六ツ刻(午前六時)、日中に四回鐘が鳴れば下四ツ刻(午後四時)である。

 門の周辺は治安がよいため野宿する者が多く、隊商や芸人の一座、それらを相手する屋台や物売りで賑わっていた。

 雷は城壁に沿って馬車をとめ、みなで囲むようにして夜を過ごした。蘭児は移動中も手巾で顔を冷やし続けていた。腫れは少し引いたものの、目の周りや頬骨のあたりに紫や黄、青黒の痣ができている。傷が癒えるまであと数日はかかるだろう。


 夜が明けると門扉が開き、馬車は都の中へと入った。

 そのまま中央市場に向かう。朝の大路は人の肩と肩が触れ合うほどに混雑していた。

 蘭児は都を行き交う人々に目を丸くした。通りを一区画進むだけでも、村の数倍の人を見た。

 大半が蘭児と同じような簡素な上衣と穿裾に帯や縄を締めているが、袖が長くゆったりとし、上衣が足まで届く長袍ちょうほうを着ている者もいた。

 重ね着ができ、衣服に多くの布地を使える者ほど富裕である。衣の素材、袖や丈の長さといった身なりが、その者の地位や身分を表していた。

 行き交うのは男ばかりだった。元々、女は男よりも数が少ない。阿蘭村でもそうだった。けれど村を歩けば、女児からばあさんまで女衆を必ず見かけた。都の往来は人の多さに比べて女があまりにも少ない。

 蘭児は不思議に思った。都に暮らす女たちは家から出ないのだろうか。それとも朝だから見かけないだけなのだろうか。耳を澄ませば、挨拶する声、物を競り合う声、笑い声、泣き声、罵声、怒声など様々な音が混ざり、喧噪となって聞こえてくる。女性特有の甲高い声は本当に稀だった。老若の男たちがひしめく雑踏を、馬車は通り抜けた。

 馬車は市場の一番北にある丁妓公共商工組合の停車場に停まった。蘭児たちはそこで降ろされた。

 雷に連れられて入った組合の案内所は、若い男や少年でごった返していた。各地から売られてきた者であり、運び人、仲介人などがぴったりついている。ここにも女の姿はなかった。


 雷が顔見知りらしい男たちに声をかけた。彼らは懐に何枚もの木札を挟み、細い筆を持っていた。首には紐を通した小さな墨壺を下げている。墨壺売人すみつぼばいにんと呼ばれる丁妓の交渉人である。丁妓は国のもとで専売、管理されている。組合は法務局商工所に属する下部組織であり、墨壺売人は最下級ではあるがれっきとした官吏である。

 売人たちは蘭児たちをじろじろと上から下まで眺め、雷が言うまま手元の札に名前や歳を書きつけていった。紙は正式な書類にしか使われない。売買記録は木の板を細く切った札で作成する。

 蘭児以外の少年三人は、すぐに別の人間がやってきて奥へ連れていった。蘭児の番になった。雷が小さな声で耳打ちした。

「お前は黙っていろよ。いいな」

 蘭児はこくりと頷いた。

「こいつだけなんで顔がボコボコなんだ」

 売人が尋ねた。商品なのだから、見た目を気にするのは当然である。

「親父に殴られた」

 雷は簡潔に事実を述べた。

「痣だよな。変な病気じゃないよな」

「違う。今は見てくれが悪いが必ず治る」

「で、何ができるんだ。読み書きや算盤そろばんは?」

 雷は少し困ったような顔をした。

「いや、特に何ができるというわけじゃないが……すこぶる健康で歯も丈夫だ。なんでも食うが、大飯食らいではないので安上がりだ。東部の生まれで寒さにも強い。走るのも早いから、小間使いには持ってこいだ。何より我慢強いし、よく働く」

 雷は適当なことを言っている。蘭児も自分が品定めされているとあって何度も頷いた。

 自分にできることを考えたが、家事、山菜取り、農作業、牛馬の世話、子守りくらいしか思いつかない。それ以外のことをさせようというのなら、一から教えてもらって覚えるしかない。

 雷は前借り金の話もした。蘭児の父から頼まれたらしく、銀貨四百枚は欲しいと言った。

 売人が蘭児をもう一度見、あっさり「五年縛りで百五十だな」と言った。丁として五年働いて銀貨百五十枚である。希望額の半分以下だ。

「待て、いくらなんでも安すぎる」

 と雷は抗議したが、売人は首を横に振った。

「周りを見てみろよ。時期が悪いから仕方ないが、今は人が余りまくっている。こいつは痩せているし、技能もない役立たずだ。一人前に仕込むまでそれなりに金がかかる」

「お前たちが仕込むわけじゃないだろ」

「そうだが、毎日人を売ってりゃわかるんだよ。手間ばかりかかる小僧を欲しがる旦那は少ない。しかもこれから冬だ。寒くなりゃ、財布の紐を解く指もかじかんじまう。百五十、これ以上は無理だ」

 蘭児は会話を聞きながら素早く計算した。自分の値は百五十で、売れればその半分が家族に届く。貨幣の価値も相場もよくわからないが、銀貨が七十枚あれば家族は冬を越せるだろう。

 売人たちはにやにや笑っている。蘭児は「それでいい」と言おうとして口を開きかけた。そこで雷と目が合った。やめろと彼の目が言っている。出しかけた声をぐっと呑み込んだ。

 雷は蘭児の値に納得できないと言い、しつこく食い下がった。交渉は半刻半(三十分)ほど続き、結局は「五年縛り、銀貨二百八十枚」で決着がついた。最初に言われた額より大幅に上がっている。

 交渉が成立すると、売人は札に蘭児の値段を書きつけた。

 雷が声を顰めて言った。

「お前の親父の希望は銀貨三百枚だった。少し下がっちまったが、そんなに悪くはないだろ」

 蘭児もようやく理解した。人の売買においても、値段はあってないようなものなのだ。まずはふっかけて、買い叩かれ、食い下がって上げてもらってを繰り返し、じりじりと落としどころを探る。ある程度の相場はあれども、値は交渉によって決まる。余計なことを言わなくて本当に良かった。この後も、自分は黙っていようと思った。

「しかし、不景気なんだなあ。去年の話だが、女の丁の相場は三百以上と聞いたんだ。四百は無理としても三百五十はかたいと踏んでいたんだが」

 雷はぼやき、首をひねっている。

 札を書き終えると、売人の一人が蘭児を奥の事務所へ連れていった。

 事務所は広く、中央に大きな机と椅子が置かれている。机の前には、堂々たる体躯の事務官が座っていた。縦にも横にも大きいが、太っているわけではなく、衣服の上からでも筋骨隆々の体躯が見てとれる。尻の半分は椅子からはみ出してしまっている。身体が大きすぎて家具が合わないのだ。

 机の上には硯や筆、朱墨汁が入った大きな皿などが置かれ、分厚い正方形の板が積み上がっていた。

「おおい、銀郎ぎんろう。売約だ。割符を作ってくれ」

「承知」

 銀郎と呼ばれた事務官は野太い声で答え、蘭児の情報が書かれた札を受け取った。

 銀郎は札を注意深く読んだ。机上に積んである正方形の分厚い板を取ると、それに文字を書き始めた。蘭児は板の上から下に向かって書かれる字を見つめた。

 銀郎が書く字は彼の太い腕や指に似合わず繊細だった。きっちり四方が角ばっていて、大きさも揃っていて、縦も横も定規で線を引いたかのようにまっすぐである。売人たちの流し書きとは違って、漢字の点や、トメ、ハネ、ハライも手を抜かず、力を入れるところは一点入魂のごとく、抜くところはふわりと手を浮かせて優雅な強弱をつける。

 綺麗な字だと蘭児は感心した。緻密な文様のようにも見えた。意味はわからない。最初の方に書かれている二文字「蘭児」がどうやら自分の名前であるらしいのを、確信もなく眺めるばかりだ。

 彼は札の内容を丁寧に写していたが、あるところで手をとめると顔をあげた。札を見、蘭児を見た。それを二回繰り返した後で、彼は言った。

「……これは女ではないのか?」

 銀郎の疑念に、売人は笑った。

「女だって? これから売りものになるってのに、女を殴る阿呆がどこにいるんだよ」

 銀郎は、むうと唸った。得心のいかない顔をしつつも、「失礼した」と神妙に言った。そのまま頭を下げそうな勢いである。売人が慌てて言った。

「いいんだよ。見間違うのも無理はねえ。俺もとんと女を見ないんで、どういう顔だか声だか忘れちまいそうだ。家に母親や姉妹がいるやつはいいよな」

 銀郎は下を向いて、再び書き始めた。板一枚を文字でびっしり埋め、もう一枚も同じ内容を書いた。

 二枚とも完成すると、蘭児の手のひらを朱墨汁の皿に漬けさせ、それぞれの板の中央に手形を押させた。朱墨汁は水で薄めてあり、手形の下から文字が浮かび上がる。さらに法務局商工所と組合の印を押した。

 板が乾くと、銀郎は一枚を持って立ち上がった。身長は六尺半(約二メートル)ほどもある。蘭児は事務官よりも兵士の方が似つかわしい巨体に圧倒された。

 銀郎は机の端に板を半分乗せると、左手で押さえた。そして太い右腕を振り上げた。こめかみに青筋が浮く。

「とおぅ」

 と彼は叫んだ。次の瞬間、パアンと乾いた音がして板の半分がはじけ飛んだ。蘭児は呆気にとられた。板は大きく弧をえがいて部屋の隅に落ちた。

割符わりふだ」

 と、机上に残った左半分を蘭児に渡しながら、銀郎はかに言った。

「ここにお前の身分を登録し、証明する符を二枚作成した。一枚はこちらで保管する。もう一枚は割って、左半分はお前が持ち、右半分はお前を買った主人が持つ。年季が明けると、主人はお前に割符の右半分を返してくれる。そうなれば自由になれる」

 蘭児は、割符をおずおずと受け取った。板はすっぱりと綺麗に割れていた。側面はかんなをかけたようになめらかである。

 銀郎は、道具も使わず手刀で板を割った。中央に押した朱色の手形もきっかり半分になっている。とんでもない怪力であり、正確無比な技でもあるが、こんなことに使うのは少々勿体ないような気もする。

「割符は大切に保管せよ。誰かに見せたり、渡したりしてはならない。ただし、官が要求したときは別だ。すみやかに出して、己の身分を証明するように」

 銀郎は至って大真面目である。売人は後ろで細かく肩を震わせ、笑いをこらえている。

「はい……」

 蘭児は返事し、割符はふところに仕舞った。手巾に続いて得た二番目の持ち物である。


 登録を終えて案内所へ戻ると、雷が待っていた。

 彼は彼ですでに組合から四人分の運び賃を受け取っておりホクホク顔だった。二人は外へ出た。蘭児は正式に丁となり、売れるまでは組合の預かりとなる。雷とは停車場でお別れだった。

「ありがとう、おじさん。手巾や食べ物をくれたり、交渉してくれたりして。妓にならずにすんだのは本当に感謝している」

 蘭児は礼を言った。雷は御者台に乗りこみながら言った。

「いいんだよ。女は貴重だしな」

「私が女だから助けてくれたの?」

「そりゃ野郎よりは気を使うさ。男は放っておいたってどうにかなるが、女はそうじゃないからな。俺は、この世の中は希少なものほど大事にした方がいいと思っている。銀は銅よりも、金は銀よりもとれる量が少ないだろ。だから金が一番高い。女は男より少ないんだから大事にされて、気楽に生きられるといいんだがな」

「そうだね」

 相槌を打ちつつも、女が貴重というのは正直よくわからない。都ではあまり女性を見かけないのと関係があるのだろうか。何にしても、蘭児は雷の言葉を嬉しく思った。胸に温かなものが広がる。

「売れるまでは組合が面倒を見てくれる。メシも貰えるし、寝るところもある。案外ちゃんとしてるんだぜ。男と女じゃ寝る場所も違うはずだ。色んなやつがいるし、色々あるだろうが元気で暮らせよ」

「雷おじさんもね」

 雷は愛想よく笑い、馬に鞭をくれた。

 雷を見送ると蘭児は数日ぶりに、いや人生で初めて一人ぼっちになった。いよいよ一人で生きていかなくてはならなくなった。

  



 

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