靴下のつま先に穴が開いた時、世界は激震する

よし ひろし

靴下のつま先に穴が開いた時、世界は激震する

 靴下のつま先に穴が開いた。今月に入って三足目だ。三足セットで千円の全てがあっという間に穴が開いた。全部右足の親指のところだ。


 ハズレを引いたか――とも思ったが、恐らく違うだろう。前から同じように右足の親指部分に穴を開けることが多かった。子供頃はそうでもなかったが、大学に入学する頃から同じように穴を開けることが起こり始め、その頻度が年々増している。社会人になったこの春からはひと月に一足ぐらいの間隔で、靴下をダメにしていた。

 しかし、さすがにひと月に三足は初めてだ。


「くそ…、どうしてだ――」


 会社から帰宅して、その事に気づいた俺は、脱いだ靴下を床に投げ捨て、思わずうなった。

 靴下のつま先に穴が開く原因としては、靴のサイズが合っていないとか、爪のせいだとか、歩き方が変なんだろうとか、色々言われているが、当然、それらの対策は充分過ぎるほどしてきた。

 その結果がこれである。


「……勘弁してくれよ。はぁ~」


 靴下代だって馬鹿にならない。それに、いつも片足だけ残ってしまう。一応左右関係なく履けるものを選んでいるが、片方残るということは、片方を追加しないといけないわけで、つまりいつも同じデザインの靴下を履き続けなければいけない。まあ、おしゃれに気を使う方ではないので構わないが、悩みの一つではある。


「はぁ…、どうして穴が開くのかな?」


 リビングの床に座り、右足のつま先をしげしげと観察する。


 親指が原因だよな、多分……

 でも、爪も深爪に近いほど切ってあるし、やすりもかけて滑らかだし……

 人よりも若干親指が長いみたいだけど、それは左足も同じわけで、なら何故右だけ靴下に穴が開く?

 歩き方か? 右だけ強く地面を蹴っているとか?


「うーん……、わからん……」


 いくら考えてもわからない。そこで試しにすぐそこに脱いであった、穴の開いてない方の靴下を、問題の右足に履いてみた。足先までしっかりと履き、つま先を動かしてみる。


「問題ないよな。縫い目もしっかりしてるし、簡単に破れそうもないけど……」


 どんな場面でも履けるような黒の無難な靴下をじっくりと観察するが、特に問題はなさそうだ。となると靴が悪いのか。歩き方に問題があるのか。


「歩き方かなぁ…。どの靴でも穴は開くもんな」


 そう考え、試してみようと立ち上がった。その時――


「あれ?」


 目線の先、右足の靴下のつま先部分が、何やらもやっと動いたように見えた。


「ん?」


 顔を近づけ目を凝らす。その前で、つま先部分の布地が綻び裂けていく。


「えっ……」


 見る見るうちに、いつものような穴が靴下のつま先に開いた。


「ば、馬鹿なっ――!」


 思わず叫ぶ、と共に、反射的に右足の親指をくいっと大きく動かした。

 ところが――


「え?」


 開いた靴下の穴から覗くべきその親指の姿が見えない。穴は指先が飛び出すには充分過ぎるほど開いているのに、そこから出ているはずの指先が全くなかった。更に穴は広がり、親指の付け根まで飛び出す程になったが、その姿が俺の目には映らなかった。


「親指が、消えたぁ!」


 愕然と立ち尽くす。


 どうなっているんだ? 靴下に穴が開いて、親指が消えた……

 指が靴下と共に切断された?

 いや、そんな感じはない。痛みもないし、血も出ていない。

 それに――親指の感触がまだ残っていた。見えないだけで、まだそこに存在している。


「何が、起こっているんだ……」


 見えない親指に意識を向ける。


 クイッ、ククク……


 動く。いや、そんな感じがする。


「まだ、そこにあるのか?」


 腰をかがめ、消えた親指に手を伸ばす。右手の指先が足のつま先へと触れそうになった、その時――声が、聞こえた。


『捕まえたぁっ! 逃がさないよぉ!!』


「えっ!?」


 驚き、声の聞こえてきた方を見る。足元、右のつま先――


「あっ!」


 そのつま先、右足の見えない親指が何者かに強く掴まれるのを感じ、声を漏らすと共に反射的に足を後ろに引いた。


「うわぁっ!!」


 右足を引くと共に、何もない空間から何かが飛び出してきた。俺はその重さと驚きで、しりもちを着く。そして、その飛び出してきたものを凝視した。


 人だ!


 体にぴったりとした青いライダースーツの様なものを着て、フルフェイスのヘルメットをかぶった女性が、俺の右足の親指を掴んだ状態で、床の上に転げていた。


「な、な、なんだ、お前は!?」

「時空管理局のパトロール隊員、アマキ・リイサです。あなたを時空管理法違反の容疑で逮捕します!」


 ヘルメット越しとは思えないようなクリアな音声で呼びかけられた。ヘルメットのどこかにスピーカーでもついているのかもしれない。バイザーはミラー加工してあり、その表情は見えないが、声の調子から興奮しているのが分る。


「あ、あの、待って、ちょっと何が何だか――」

「動かないで!」


 女性が腰元に手を伸ばし何かを取り出すと、それをこちらに向かって投げた。直後、腕ごと胴体に何かが巻き付き、縛り上げられるように拘束された。


「拘束完了。――本部、これから例の犯人をそちらに護送します」

 言いながら女性は立ち上がった。

「犯人? 護送? 待ってくれ、何の話だ!」

「とぼけないで! 度々時空震を起こしている犯人だということは分かっています。現行犯ですからね」

「時空震?」


 何が何だかわからない。足元で立つ女性を見上げながら、困惑の表情を浮かべた。そんな俺の様子に気づいたのか、女性が腰をかがめ、俺の右足の親指を掴んで叫ぶようにして話した。


「あなたのこの指が、時空の壁を突き破って穴を開け、時空震を引き起こしていたことは分かっているんですよ。イタズラか、それとも何らかの意図があってのことかわかりませんが、甚大な被害も出ています。相当な刑が科されることは覚悟しておいてくださいよ」


「へ? 指? 時空の壁?」


 どういうことだ? 俺の足の親指が? いやいやいや、わけわからん。


「待ってくれ、靴下に穴は開けたが、時空の壁に穴とか――知らないぞ」

「ふん、とぼけていられるのも今のうちだけですよ。いいですか、時空犯罪に黙秘権は認められていませんからね。きっちり吐いてもらいますよ、全てをね、ふふふ」

「待ってくれ。本当に何が何だかわからないんだ。俺の話を聞いてくれ。俺は――」

「ああ、うるさい。少し静かにしておいてください」


 そう言うと女性が左手首に巻かれた装置を操作した。途端に――


「あ、ああっ……」


 体に巻き付いた拘束具から微弱な電流の様なものが流れ、意識が遠くなる。


「アマキ・リイサです。今犯人を無力化しました。これから本部に運びます。はい、はい、いえ、大丈夫です。はい。では、後ほど」


 そんな女性の声を聞きながら、俺は気を失った――



 さて、その後俺がどうなったかはここでは語らない。ただ、今はとある銀河の辺境にある監獄惑星に囚われているとだけ記しておこう。


 それにしても、まさか俺の右足の親指にあんな特殊能力――靴下のつま先に穴を開けると共に時空の壁にも穴を穿つ能力――があったとは、驚きだ。

 はぁ、今はその力も封じられているし、靴下も与えられていないので使うことができないが、どうにかその封を解き靴下を履いて、ここから脱獄してやる。


 そんなことを考えながら、俺は今日も生きている。地球から遠く離れたこの場所で……


END

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