初心な私とハイヒール

錫石衛

私の初めての恋愛

きっかけは些細とは言えないことだった。私、木月小夜きづきさやは、その夜、職場の先輩である渡見小次郎わたみこじろうと歩いて帰っていた。飲み会をやった後で酔っていた私も先輩も酔っていた。満月が道を照らしていて、田舎である盛岡のその道には明かり1つ灯っていない。


「ねえ、小夜ちゃん」

「何ですかー。先輩も私のことを地味な女だと思ってるんですかー?」

「いや、ねえ、小夜ちゃんってこうして見ると美人だなって思ってさ」

「きゅ、急に何ですか! 茶化してるんですか!?」


 そして小次郎は私を近くにある倉庫の壁に寄せて身体の横に手を突き出す。いわゆる壁ドンである。私は酔って真っ赤になった顔をさらに赤くした。そしてもう一方の手も反対側に突きだしドンという音を立てる。そうして耳元で囁く。


「月の光に映る君が凄く綺麗に見えてさ」

「っ!」


 その後、これから何をされてしまうのかと内心アワアワしながら目を瞑る。小次郎の顔を見るのが恥ずかしくなったのだ。だが、その後何かされる訳でもなく、小次郎の両手の熱が離れていくのを感じた。


「って言ったけど。驚かせちゃったかな」

「急すぎますよ! もっと、こう、こ、心の準備をさせてくださいよ」


 そう言って私はそっぽを向いた。ふとつま先の痛みが気になる。慣れないハイヒールを履いてきたからだろう。その痛みに集中することにして恥じらいを忘れようと私は試みた。


「小夜ちゃん、大丈夫?どこか痛いの?」

「大丈夫ですよ! ほら、帰りますよ。私の家はこっち側なのでここでお別れです」


 そうして強引に別れようとするが、やはりハイヒールのつま先の痛みが気になる。そして少しの虚しさが襲ってきた。まるで小次郎と別れるのが名残惜しいような感覚だった。私がさっさと帰ろうとする瞬間に先輩は声をかける。


「さっきのは僕の本音だからね」

「っ! し、失礼します」


 体温が高まる感覚が私を襲いながら、帰る足を早める。恥ずかしいが、この時私は初めて先輩である渡見小次郎を意識した。そして、これが私の恋の始まりだった。

 




 私は家に入る。そしてハイヒールを脱いだ。


「うわ、靴擦れしてる! ちゃんと足の形調べたつもりだったんだけどなあ......」


 つま先から血が出ていた。痛々しいその傷は私の浮かれた気分を少し戻す。だが、小次郎の帰り際の行動は頭から離れない。


「本音って言ってたけど......先輩も酔ってて変なこと言っちゃったのかなあ。私みたいな地味な女なんて誰も相手しないと思うし......」


 とは言いつつも、小次郎のその時の表情を思い出す。本音と言った時の顔は真剣だった。私はそれを思いだし赤面する。


「もう寝よ。湿布張って体洗ったら」


 私は風呂に入る。痩せた貧相な体を露にする。身長はあるが、胸は僅かに膨らんでいるだけだ。友達にスタイルが良いと言われたことはあるが、胸の大きい人を時々羨ましく思うことがある。そんな体の汚れを温かくなったシャワーで落とし、肩まで伸びる黒い髪にシャンプーを泡立てる。傷口には当たらないように風呂用の椅子に腰かけている。そうして体を洗い終えた後、私はタオルで体を拭いた。ふと洗面台の鏡を見る。この顔を見て小次郎は私を美人と言ったのだろう。私は自分の顔を可愛いと思ったことはない。そこには根暗な女がいるだけに私の目には映っていた。


「この顔で美人かあ。もし本当なら先輩も物好き......って、なに考えてるの私っ! 」


 鏡の前で恥じらう自分の顔を見てしまう。一瞬美女が恥じらっているように見えてしまった気がするが気のせいだということにした。さっさと洗面台から去り、布団に横になる。何も考えないようにしようとして、ずっと小次郎のことを考えながらその日は眠りについた。





 そうしてその後、私は出社を続け、小次郎と会うたびに態度がぎこちなくなり、顔を見れていなかった。あの後、小次郎が酔った時の急な行動を謝ってからも、顔を赤くして言っていたことから、本音だったかもしれないと思いあの日のことを蒸し返してしまうのだ。そうして小次郎に今日も話しかけられようとしていた。


「ねえ、小夜ちゃん、そろそろ態度を戻してくれて_」

「っ」


 小次郎の顔をやはり見れない。目を合わせられようとするとその真っ直ぐな視線が私を見ていると思うと直視できないのだ。


「......ごめん」

「せ、先輩......っ」


 言葉を発そうとすると頭が真っ白になってしまう。私の職場でのミスも増えていた。こんな感じで小次郎といる時の私は仕事どころではなかった。


「おいおい、お前らとっととくっつけや。そして根暗、お前は手を動かせ」

「やらなきゃならないことなんて知ってますよ! 貴方に私の何が分かるんですか!」


 部長の西野信之助の叱咤に私は反論する。この状況がいけないことは私も分かっているが、無理なのだ。怒りと恥じらいを同時に感じる。


「ちょっと仕事が終わったら来い、木月。その事で話がある」

「......何ですか?」

「あー、部長、小夜ちゃんのことは俺に責任があるんであんまり叱らないであげてください」


 急に信之助の表情が真剣になったことで私は一瞬冷静になる。何の話だろうか。だが、小次郎が私を庇うように前に立ったことですぐに感情は乱れる。本当に仕事にならない。


「違うな。怒るわけじゃないからお前は気にするな渡見」

「だったらいいんですけどね」


 信之助は信頼されている。嘘を言うことがない誠実な彼が言うことに、小次郎は安心して引き下がった。小次郎との気まずい雰囲気で仕事もままならないまま時間は過ぎて放課後になった。そこで私は信之助から話をされた。


「実は渡見が転勤になってな」

「えっ! 嘘!」


 目の前が真っ暗になったかのように私の心は沈み絶望する。今は側にいることができるが私がここの会社員で有る限り小次郎との距離は遠くなってしまう。残る選択肢は_

 

「本当だ。それも離れた東京だ。お前はあいつのことが好きなんだろう?なら早いうちに結婚しておけ。会えなくなるぞ」

「そ、そんな急に言われましても......でも、離れたくない」


 その時に私の決意は固まる。小次郎と結婚して一緒に東京に行くと。

 呼び出しから解放された後にスマホを確認する。私のスマホには一通のSNSのメッセージが入っていた。友達の渡見三穂からだ。彼女は小次郎の妹だが、彼女とは長い間の友達である。SNSには「相談乗るよ。ここのカフェに来て」と言うメッセージと辺鄙な所にあるカフェの位置情報が載ってあった。




「やあー久しぶりねえ小夜ー」

「三穂ちゃん。やっぱり先輩に聞いたからなの?」

「そうだねえ、がっつり聞いたわ。小夜ちゃんってスタイルいいし美人だし。でさ、結婚したんでしょ、うちの兄さんと」

「えっ、そこまで先輩には話しては_」

「それくらい察すれば分かるって。まずはデートから、って言いたいところだけど時間が無いからねえ。お別れ会でバシッとメイクを決めて、おしゃれもして、私が徹底的に仕込んでやるわ。任せなさい」


 三穂と私は久しぶりに会ったのだが、その場でどんどん話が進んだ。私が小次郎の好みだと言うことをこれでもかというほど言われた。そして、表情が明るければ私が美人だと言う客観的な感想を貰った。


「そういえばさあ、小夜」

「何?」

「うちの兄さんにナンパされてた時どこか痛そうにしてたって聞いたけど、どこなの?」

「ハイヒールが靴擦れしててつま先が痛かったの。次は合うやつを買いたいなあ」

「オーケー」


 三穂はわけあり気な表情を浮かべて私を連れて会計をしている。大丈夫なのかという少しの不安と三穂への信頼の狭間で私は揺れていた。一応三穂はおしゃれのセンスはいい方だ。私はおしゃれをこれと言ってしたことがないので、彼女に教わるのはベストなのだと思っているが、不適な笑みを一瞬浮かべたのが気になった。とは言え、私は勢いに押されて質問できずにそのままデパートに連れていかれる。駅前で服屋に行ってまずは服を買うということなのだろう。そうして私はいろいろな所を三穂と共に見て回った。化粧品屋や香水屋見て確認して三穂がチョイスしてくれた。そうして私はハイヒールを買いに靴屋に向かった。今回はぴったり合うやつが欲しい。


「小夜ー、服とかは一通り見て合うのを買ったけど今回はハイヒール。合うのを一緒に探そ」

「靴擦れしないのにしないと。ここは念入りに見たいなあ」 


 そうして私はハイヒールを三穂と共に見たり付けたりした。違和感がある足の形の物もあったが、無事に合うのを見つけた。それはシンデレラのガラスの靴をイメージした素材が透明できらびやかなスパンコールのついたハイヒールだった。


「これがいいよ三穂」

「私もそれがいいと思った」


 私達はハイヒールを決めて買った。試着の最後に足に少し違和感を感じたが、私はこの時は気にしておらず、気のせいだと思っていた。その後、三穂に小次郎と喋る訓練をしてもらう。写真を見ながらまずは話す。


「先輩、迷惑かけてしまってすいません。でも、

 あの夜に言ってくれたこと、とっても嬉しかったです。結婚してくれませんか?」

「その調子その調子。イメージしてやってこう」


 私は三穂と共にプロポーズの練習をし続ける。そうしている内にもう、小次郎と話せるのではないかとやってみたくなる。


「ねえ、今なら先輩と話せるかもしれないし_」

「だめだめ。やるなら驚かせないと。っていうかお別れ会まで仕事では小夜と兄さんは離されるみたいだから。仕事にならないらしいじゃん」

「そうかあ......」


 今までのことを振り返ってそれもそうかと反省する。仕事になっていないからそうされたのだろう。そうなると会うのはプライベートでなら会えるかもしれないが、時間は短い。それに驚かせるというのも悪くないと思った。

 そうして私は三穂に練習を徹底的にさせてもらい、お別れ会に備えるのだった。





 小次郎のお別れ会当日、私はメイクを決め、服装も三穂と選んだ服でキッチリと整えてきた。先輩と会う準備は済んでいる。後は祝った後、プロポーズするだけだが、この前買ったハイヒールに微妙な違和感を感じていた。


「大丈夫......だよね」


 私は独り言を言いながら会場へ向かう。そこでは先輩が質問責めされていた。私も緊張する中、声をかける。


「先輩」

「小夜ちゃん! 凄い美人だよ」

「なっ! いや、ありがとうございます」

「おいおい、小次郎の癖にこんな美人を連れてるなんて生意気だなオラ」


 私と小次郎は柄の悪そうな男が間に入ったことで離れてしまう。小次郎はこちらを見ようとしてくれていたが、男が突っかかる。


「兄さん。そこを退いてくないか?僕は小夜ちゃんと話がしたい」

「あんな女は俺にこそふさわしい。分かったら席で待ってるんだな」


 そうしている内に会が始まってしまう。三穂も来ていたがその表情は読めない。私達はあまり話をしないまま、席に着く。となりには柄の悪そうな小次郎の兄を名乗る男が座った。そうして会は進む。自由がある程度できた時間、小次郎の兄を名乗る男が話しかけてきた。

「姉ちゃん、これが終わったら俺といいところ行かねえか、たっぷり可愛がってやるよグヘヘヘヘ」

「やめてください」

「やめろ。小夜ちゃんが困ってるだろ」


 小次郎が、柄の悪い男に突っかかってくる。普段は小次郎は優しいが、それからは考えもつかなかい表情だった。それに柄の悪い男はたじろいだ。


「な、何だ?俺はお前の兄だ」

「関係ない。僕は小夜ちゃんと話が一番したかったんだ。兄さんは別れの時にそんなことされたいか?」

「やべっ」


 その怒っている時の表情は見ていない、柄の悪い男はその顔を見て逃げていった。そして、自由時間が終わる。そうして、1人ずつ、小次郎に伝えたいことを言うことになった。その時、ハイヒールを履いたつま先が痛む。こんな時にと思ったが、私の番は回ってくる。だが、それを見て小次郎が声をかけてきた。


「小夜ちゃん。大丈夫?足、痛くない?」

「大丈夫、です」

「小夜ちゃん。無理はよくないよ。僕は君が前から好きだった。美人なのもそうだけど、君は一緒に仕事してる内に純粋だし、優しいし」

「そ、それは先輩もですよ」

「いいぞー。行け行け渡見ー」


 先輩の思わぬ不意打ちに私は顔を赤らめるが、肝心なことは私が言う。


「私も先輩が好きです。結婚してください」

「小夜ちゃん!」


 こうして、私達は結婚することになった。終わった後に小次郎は声をかけてくる。その笑顔はとても清々しいが、その目には心配の色も見える。


「小夜ちゃん、足大丈夫?」

「先輩がいるから大丈夫です」

「ねえ、一緒にならない?兄さんは処女以外には手を出さないから」

「っ、ありがとうございます」


 私の顔は赤面する。そして、そんな私の唇に小次郎はキスをした。


「これからはずっと一緒だよ小夜ちゃん」

「っ、嬉しいです! 先輩」


 こうして、私達は結ばれた。これからの結婚生活を胸に私は心を踊らせた。

 

「計画通り」

「お前計ってたのか!」


 去り際に三穂と柄の悪い男が話していた気がするが全く気にならず、小次郎に手を引かれ行った。

 



 そうして、私達は結ばれた後は新婚生活を楽しく送っていた。


「小夜ちゃんの今日の料理も美味しいよ。ありがとう」

「嬉しい。大好きよ貴方」


 私は結婚して小次郎の呼び方を先輩から貴方に変えた。その方が自然だと思ったのが何はともあれ私は今幸せな生活を送れている。それに感謝しながら毎日を送るのだった。

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