期間限定の恋人

説那

期間限定の恋人

「それ、本気で言ってる?」


 女の言葉に、男は肩をすくめる。


「嘘みたいな話だけど、本当だし、本心から言ってる」


 女は口を噤んで、考え込む仕草を見せた。


「無理に、とは言わない」


「……でも、このまま断ったら、私はあと3ヶ月、ずっと気になってしまうし、張元はりもとくんが嘘を言うとも思えないんだよね」


 女は、はぁっと深く息を吐く。張元と呼ばれた男は、その様子を見て、心配そうに「すまない」と口にした。


「……私が断ったら、他に頼めそうな人のところに行くの?」


「いや。そんな相手はいないし。菅原すがわらに断られたら、諦めるつもりだった」


 張元は、既に冷めた様子のコーヒーをすすった。菅原は、その様子を胡乱げに見つめている。


「僕はそんなにモテる人間でもない」


「張元くんから出てくる言葉とは思えない。まぁ、私が知ってるのは、10年前の君だけど」


「あの頃も同じだっただろ?」


「バレンタインデーのチョコの量を思い出してほしいわ」


「覚えてないよ」


「自覚のないのが腹立たしい」


 張元は自覚のない優しい笑みを浮かべて、菅原に問う。


「で、答えは出た?」


「……迷ってる時間はないでしょう?本当にあと3ヶ月しかないの?」


「そうだよ」


 張元は菅原の顔を正面から見つめて、間髪入れずに言葉を続ける。


「僕の余命はあと3ヶ月だ」


◇◇◇


 菅原すがわらが、生活に必要な荷物を張元はりもとの家に運び込んだのは、その翌日のことだった。元々は実家住まいだったので、それ以外の荷物はそのままにしてある。両親には、一人暮らしの準備として、友人の元に間借りすると説明した。一人暮らしをしようとは、常々思っていたので、間違いでもない。


 張元は、一人暮らしなのに、ファミリー用の分譲マンションに住んでいた。元は親の持ち物だったが、相続で受け継いだらしい。

「どこでも好きな部屋を使ってくれていい」と言われ、菅原は一番狭く日当たりが悪い部屋を選んだ。「なぜそこに?」と笑われたが、その部屋でも菅原には十分すぎるほど広かった。


 張元が、菅原に持ちかけた提案は、『自分が死ぬまでの3ヶ月間、期間限定の恋人になる』というものだった。生活も共にし、その間は仮初でも恋人のふりをする。だから、菅原は張元の家に引っ越しをした。期間の短さを考えると、すぐに実行に移さないといけなかったのだ。


 お互い仕事をしていたが、それはそのまま続けていくことになった。だから、菅原は張元の家から通勤する。辞めた方が、残された期間を自由に過ごせるのではないかと思えたが、張元は「自分が死んでも、菅原にはその後の生活があるだろう?」と言って、仕事は続けた方がいいと主張した。


 提案の見返りは、張元が今までに貯めた預貯金を、全て菅原に渡すというもの。つまりは金だ。既に半額は菅原に支払われている。それでもかなりの金額。菅原は別に見返りは必要ないと張元に告げたが、彼は見返りがあった方が、遠慮なく提案できると言って譲らなかった。もう、半額は菅原に残すと、遺言書まで作成して、知り合いの弁護士に頼んであるらしい。


 ただ、菅原は張元の余命があと3ヶ月ということを、提案を受けた今でも信じていなかった。なぜなら、張元の体調が悪いようには見えず、通院している様子もなかったからだ。仕事にも平日は休みなく行ってるし、どう見ても近々亡くなる人間の行動には見えなかった。


 休みの日は一緒に過ごしているが、することは特別なことでもなく、買い物したり、映画を見に行ったり、散歩をしたりと、恋人同士のデートらしきものを模してるだけ。


 恋人なんだからと、手を繋いだり、抱き締めあったり、キスをすることもあるけれど、全ては菅原から言わないとならなくて、張元はその度に顔を赤くさせ、戸惑ったように応ずるだけだった。提案してきた割には、張元は恋愛自体あまり経験をしていないようだった。


 なぜ、自分だったのか。なぜ、そんな提案をしてきたのか。


 菅原が張元の真意を問うことなく、時は過ぎ、あっという間に3ヶ月が過ぎた。


◇◇◇


 珍しく、張元はりもとがお互い有休をとって、一日遊びに行こうと、菅原すがわらを誘った。


 平日のテーマパークはとてもすいていて、2人はこれでもかというほど、休みを満喫したのに、ところどころで言葉が出なくなる。

 たぶん、2人でテーマパークに来るのは、これが最初で最後だろうと、薄々思っていたからに違いない。


 菅原は、常に張元の腕に縋りつくように体を寄せていたし、人が周りにいるにも関わらず、張元から菅原にキスをせがむことも多かった。

 その甘い空気を纏ったまま家に帰り、菅原は初めて張元に自分を抱いてほしいと頼んだ。仮の恋人同士を演じていた2人は、キスまではしていても、それ以上の関係を築いていなかった。


 何より、間もなく別れることが分かっているのに、それはできないと、張元が頑なに拒んだせいでもあった。


「やっぱり、私のことが好きにはなれないの?」


「……好きでなかったら、最初からこんなこと頼んでない」


「じゃあ、なぜ?」


「……もし、君に子どもができたとしたら」


「最高じゃない」


「……」


「一夜限りの関係で、できるとは思えないけど、貴方が私を愛してくれたあかしでしょう?」


「僕は、君だけに大変な思いはしてほしくない」


「私が望んだことなのに?」


「僕は」


 張元の目尻に涙が浮かぶ。彼の初めての泣き顔を見て、菅原は彼の髪に手を当てて撫でる。


「本当は死にたくない。君と一緒に生きたいんだ」


 それ以上、何も言えなくなった張元の体を、菅原は強く抱き締めた。


 翌日、前夜のことはなかったかのように、2人はいつも通りの朝を過ごし、家の前で別れ、仕事に向かった。

 一足早く家に帰った菅原すがわらの元に、1本の電話があった。


「はい。直ぐに行きます」


 菅原は家の近くでタクシーを捕まえ、電話で知らされた病院に向かう。

 彼の言ったことは正しかった。

 車窓の外の夜景が涙で歪んだ。


◇◇◇


 自分は見える人間だった。

 霊とかではなく、人の未来が。


 自分の身近な人の死とか、人生の転機らしきものがうっすらと。

 そして、その未来は、自分がどんなに手を尽くしても、回避できないものだと分かった。それからは、たとえ見えても、自分の心の奥底にしまい込んで、決して口にはしなかったし、もちろん、行動にも起こさなかった。


 不思議と自分の未来だけは見えなくて、だから、自分にとって、いいことは何一つない。


 そんな自分に唯一見えた未来が、ある日、交通事故で死んだことだったなんて、笑えるよな。


 自分が間もなく死ぬことが分かったら、その前にやりたいことが、たった一つしか思い浮かばなかった。

 彼女にしたら、いい迷惑だったろうと思う。


 時々見える彼女の未来に、自分の姿がなくとも、自分に似た男の子の姿があって、一緒に笑っているのを見たら、それだけで幸せに思えた。


 ありがとう。

 僕の恋人になってくれて。


 終

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

期間限定の恋人 説那 @kouumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画