第2話

 長く暗い坑道を抜けた先には、ギルドがあった。


 練習がてらの下手なギターが喧騒を調律し、杯のぶつかる音がそこかしこで響きわたる。

 酒を酌み交わす異種族に、大の字で寝かされた大男。肩を組んで十数年前だかの昼ドラソングを熱唱する輩もいる。昼夜を問わない鉱山では、丸一日誰かが入り浸っていた。


 ネイアがちらりとシキへと振り返る。

「やっぱり、明日にしません?」

 シキは苦笑し、「だめだ」と冷たくあしらった。

 何せ今から、ネイアの借金を纏める必要がある。借金は膨れるもので、明日しようの繰り返しが、身を持ち崩すことにつながる。


 自然光を照り返すネイアの肌は、象牙色に彩られ、蝋燭の揺れるに従って、瞳の色相は自在に変わる。

 しばらくの間を置いて、ネイアは小さく「そうですよね」と呟いた。



 スイングドアが軋み、鈴の音が追いかける。

 むっつりとしたシキの顔つきは酒場の住人には見慣れたもので、彼が人を連れるのも初めてのことではない。酒場は酔っ払いどもの笑い声に包まれた。

「おい、先生が来たぞ!」


 酔いの中でなら、あれほど心地よかった注目も、今のネイアにとっては針の筵。ひっそりと事が運ぶことを、道中どれほど願ったことか。神様は残酷だ。

 死刑囚のような面持ちのネイアを傍に、酔っ払いが声を響かせる。

「それで、今日の問題児の罪状は?」

「酒だ」

「相変わらずの不良生徒のことで」


 酔っ払いの語り口に、ネイアはふと違和感を覚えた。

「先生、ですか?」

 ネイアの呟きを拾い、酔っ払いは自慢げに講釈をしてみせる。

「ああ、この鉱山で馬鹿な行動をする奴を矯正ばかりしているからな。もちろん、金貸しってのは分かってるぞ?だが、借金で身を持ち崩すような奴から、取り立てるのは至難だ。そんな奴に先生は稼ぐ方法から教えてやってる。ほとんど慈善事業といってもいい。だから、先生ってな」


 最後に、「頑張れよ新入生」と酔っ払いは続け、テーブルにどかりと座り込んだ。彼は下品なジョークを言っては、テーブルを叩き笑っている。

 昨日の自分が同じように笑い、浴びるように飲んでいたことが心底恨めしい。


 項垂れるネイアに、仏頂面のシキが向き直った。

「なにもお前一人ではないということだ」

 シキの不器用な優しさに効果があったのかは分からない。

「だから、ネイアですって」

 それでも、ネイアは苦笑し、顔を上げる。



 気難しそうに腕を組んだシキは、彼女と離れ、酒場の店主を呼び寄せた。


 カウンターの奥から、熊と見間違う壮年の男がぬっと這い出てきた。

 男はシキを睨みつけながら、食い掛かるほどに距離を詰めると、つんざくような声量で告げた。

「気に食わん!」

 男、熊谷宗次郎は猟師であった。ダンジョンに住まいを移した後も、冒険者業は、熊撃ちよりも安全だと、魔物を一射で仕留めてきた剛腕である。

 しかし、シキは一歩たりとも引かなかった。

 彼は今は冒険者ではなく、商人だ。宗次郎の介入は筋違いというもの。

「その態度が気に食わん!」


 白目の大きな瞳で、睨みを効かせる宗次郎に対し、シキは見上げるようなしかめっ面で対抗する。冒険者どもは気にも留めない。それが日常で、宗次郎の相手が諦めるのが当たり前であった。

 しかし、シキは視線を外さない。

 あくまで、商人として情報を売りに来たのだ。

 シキとて宗次郎と同じ。相手が熊でも魔物でも、言葉が通じるなら、セールストークは止めるべきではない。


 じりじりと、火花の散る一分が過ぎた。

 宗次郎は、瞬きを数度して、ふんと一息払うと、今度は嬉しそうな微笑みをたたえて、腰を下ろした。

「まぁいいだろう。それで用はなんだ?」

「ネイアのツケ払いや、貸しをそちらで纏めてもらいたいのです」


 シキはまず、本題から切り出した。率直な対応に、宗次郎はシキの評価を一段上げる。

 宗次郎は厭らしい笑みを浮かべ、尋ねてみせた。


「貴様は商人だと聞いているが、商人はただで品物を配るのか?」

「もちろん、ただとは言いません。推測の段階ですが、益のある情報を」

「なんだ、人に無償労働をさせた挙句、眉唾物の情報を信じろってか?」


 シキからすれば、本当はダンジョン移転が真実であると言い切ったって良かった。しかし、あえて信憑性を誤魔化すことで、互助会がどれほど情報を探っているかの確認ができる。

 打算を隠し、真剣さを表情に、シキは言葉を探る。


「それに、同じ情報をこちらも握っていたらどうする?」


 やはり、互助会も何かを掴んでいる。

 この爺さんは、粗雑な見た目に反して、腹の探り合いを好むのが厄介だ。

 しかし、第一関門はとうに突破していた。目下のところ、この爺さんが求めるのは、主観を排した数値の羅列だ。

「私がお渡しするのはデータです。そこに何を読み取るかは、あなた方次第です」


 宗次郎は今度は人好きのする笑顔を浮かべて、シキの肩を寄せる。


「いいだろう、情報を受け取ってやる。借金の総額は後日伝えよう」

「ありがとうございます。ダンジョン移転については、こちらの資料を確認ください。債務者の情報については一部ぼかしてあります」


 宗次郎はさらりと資料に目を通すと、にんまりとシキの手を握った。

「よし。期日までの、借金の利息はこちらで何とかしておく」

 それは、借金の請負で生じる利息の時差を利用して、差額をちょろまかすつもりだったのだろう。

 情報によっては、差額で元を取ろうとしたのだ。


 宗次郎との分厚い握手を終えると、彼は肩を揺らして、酒場の奥へと消えていく。


 シキは肺に溜め込んだ空気を全て吐ききった。

 なんとかなった。

 どちらにせよ、借金の大部分はネイアの口約束によるものだ。互助会を挟まなければ、ありったけの額を吹っ掛けられたことだろう。身寄りのないエルフとなれば、なおさらのこと。

 ネイアを守るには、多少の損失は度外視で、この爺さんの助けを借りねばならない。


 取り敢えずの目標は達成だ。

 空いたテーブルに座り込み、一息つく。水でも頼もうかと、軽い逡巡をしていると、どさりと、誰かが真横に身体を寄せた。

 白銀の髪が緩く広がりシキの腕を撫でた。

 ついで、強烈なアルコール臭が広がった。


 見るまでもなかった。

「えへへ、飲んじゃいました」

 ネイアはシキに寄りかかるようにして、もたれ込んだ。


 この短い時間にどれだけ飲んだのか?

 或いは、たった一杯でそうなったのか?

 代金は誰が払うのか?


 いくつもの疑問が頭を過ぎり溶けていく。緊張のほぐれが、シキの思考を阻んだ。


 奥のテーブルからこちらに手を振る女性陣の姿が垣間見え、ようやく、疑問が氷解する。


 視線を戻せば、ネイアは両手を被せるようにジョッキを握り、並々と注がれた琥珀色の液体に見惚れていた。

 まぁ、いいさ。

 これでしばらくは飲み納めだ。死刑囚だって、最後の晩餐くらいは選ばせてもらえるのだから、ネイアが酒を飲むくらい、些細なことだ。


 シキは思考を手放し、ただ本能に従った。

「醸造酒を二杯くれ!」

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金貸しとエルフ 山井 @kikiku090

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