金貸しとエルフ

山井

第1話

 デービー灯が地下壁を照らし、うすぼんやりと暗闇と格闘する最中、薄い布切れの仕切りを隔て、影法師が揺らめていた。


 影の人物は、少々へっぴり腰気味に揺れ動き、両の手をグッと握りこみ、前髪を少し触り、風切羽根形の耳をぴょこんと揺らすと、決意じみたポーズで部屋に入る。

「取引をしてください!」

 翡翠色の瞳孔が小刻みに震え、たなびく銀髪は光を織り込んでなお一層輝きを増す。香の匂いが辺りに充満し、黴と埃の臭気を打ち消した。


 エルフの少女であった。


 それは地球にはいるはずのない生物で、夢と妄想の産物で、しかし、確固たる形を以て姿を現した。



 唖然とする気持ちをなんとか抑え、咳払いをして誤魔化した。

 シキは金貸しだ。

 顧客が話を急ぐなら、それに応じるのが商売だ。


 尖った耳だとか、本当に寿命は長いのかだとか、どうして鉱山にいるのかだとか、そんなことは取引後の談笑の際に聞けばいい。


「ええと。金を借りたいということでいいのですね?」

 エルフの少女は恥ずかしそうに俯きながら、首を縦に振った。

 後ろ手に指を組む仕草に、シキは少女の実年齢の低さを見積もる。


「時代が時代ですので。担保が必要になりますが、よろしいでしょうか?」

 シキの居る場所は炭鉱、正確には炭鉱型のダンジョンである。

 地球がダンジョンに覆われながらも、人々は不安定な生活の中に、安定を見出したのであった。


 もちろん、シキもその一人であり、ちょっとした資産を元手に、金貸しを始めたのである。


 そういった言外の意図をも呑み込み、少女は答える。

「はい、担保は私です」

 思わず、シキの表情が固まった。


 少女は眼をそらさず、しかし、頬を朱に染め、どこか所在なさげに話を切り出した。

「幾ら借りれるでしょうか?」

 いや、待て。確かに、地球はもはや原型をとどめていない。であれども、だからといって、このご時世に人身売買だと?


 少女の提案は、暗に、担保となるものが身一つしかないことを告げている。それはつまり、身売りを余儀なくされる状況に立たされているということでもある。安易に少女を帰すわけにはいかない。

 ここで少女を帰したとて、向かう先は別の金貸しだ。



 シキは佇まいを正し、真剣な面持ちで少女の正面に座り直す。


 同情は買わない、それは商売人としての流儀である。

 しかし、ただでは返さない。それもまた商売をする上で、大切なことだ。


 シキは言葉を選ぶのを諦め、単刀直入に告げた。

「金は何に使う?値段はそれ次第だ」


 視線が交錯する。

 言うべきか言わざるべきか。

 時間の経過が、事の重みを率直に伝えてくるように感じた。


 息が詰まる。口を強く引き結んだ少女は、上気した顔をさらに紅潮させ、机へと乗り出した。


「お酒です。お酒が飲みたいんれすう」

 ばたん、と少女は机へと崩れ落ちる。

 赤ら顔は酒飲みのそれで、酒精の臭いが鼻につく、立てる寝息を睥睨しながら、シキは深く溜息を吐いた。


 年齢を見誤ったな、とシキは嘆息し、目の前の酒漬けエルフをどうするかの算段を立てることに決めた。



 ぐーすか、と乙女らしからぬ寝息を立てるエルフを背にシキは、融資履歴を洗っていた。融資履歴には千金の価値がある。それは鴨リストという点でもそうであるが、それ以上に、冒険者たちの経済状況が色濃く映る。

 鉱山型ダンジョンをねぐらにする冒険者の財布の中身を大方把握していることだろう。


 だからこそ、エルフ達の動向に、はたと気が付いた。


「ダンジョン移転か」



 自由気ままな鉱山型ダンジョンは安定していると評判高いが、それでも餌を求め、移動する。ついに、その重い腰を上げる時期が来たのだろう。


 エルフ達の居住まいと繋がったのも、そのためだ。


 しかし、机の上で解決できることは多くない。


 シキはそう結論づけ、支度に掛かる。



 通気口が唸りを上げ、緩やかな振動が壁をつたう。お世辞にも睡眠には適さないというのに、少女は死んだように眠りこくっている。


 外から漏れる光を頼りに、鼻歌まじりに掃除するシキは、傍から見れば、どこか変人じみている。

 しかし、もしダンジョン移転の話が事実なら、それは多大なるビジネスのチャンスだ。商人として、血沸き立つのも無理はない。



 石畳に零れた土をひたすら外へと追い出していく。

 鼻唄はもう何年も前に流行った曲だ。

 今後新しい曲が流行ることはないかもしれない。


 文明の解体がシキにとって、どう働いたかは分からない。しかし、ダンジョン事変がなければ、シキが真剣に生きることもまた無さそうであった。


 郷愁に駆られ、手が止まる。暗がりから、翡翠色の瞳がじっとこちらを見つめていた。


「それは人間の国の曲ですか?」

 素面の肌は雪のような白さで、滔々と光る虹彩が、暗闇に灯る。


 いつから起きていたのか、いつから聞いていたのか、少女は慌てるでもなく、ただ視線を投げかけてくる。とはいえ、何かを伝えたいわけでもないようで、顎に手を付き、考えあぐねていた。


「幾ら借りれそうですか?」

 その声音に期待はなかった。

 話の流れとして、当然の帰結として、取り敢えず否定されてやろう、そんな趣である。


 だからこそ、その一言は少女にとっては想定外のはずだ。


「試用期間の結果次第だ」

 少女を雇うと決めたのは、つい先ほどになってだった。

 酒飲みは商才の一部だと、誰かが言っていたのを思い出したのだ。

 半ば言い訳じみた理屈の割に、理由としての喉の通りは存外良かった。


 少女の吃驚を一目見ようと視線を落とす。


 少女は目を伏せている。

 身売りにしろ、つき返されるにしろ、少女の現実は暗かった。

 それでも、諦念混じりの色が変わる。

「それって……もしかして」

「ああ、お前の試用期間だ」


 少女は身を翻して、シキの前に突っ立った。

 少し足りない目線を、つま先立ちで誤魔化して、面と向かって言い放つ。

「お前ではなく、ネイアです」

 花開くような笑みをこちらに向けて、踵を付いた。


「酔っぱらってはいないだろうな?」

 シキの言葉に、ネイアは呆然と口を開いてみせたかと思えば、今度は何かを言いかけて、止めた。


 くるりとこちらに背を向ける。

「信頼は勝ち取ります」


 シキの口角が思わず上がる。

 悪くない拾い物をしたかもしれない。

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