step out

moes

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「オミ、アイ?」

 その短い言葉の意味がうまくつかめず思わずカタコトで聞き返す。

 聞き返してる間につながった。『お見合い』だ。

「え? 誰が? 湊にい様が? あ、でもそういう話が出てもおかしくない年齢ですもんね、兄さま」

 今年二十七歳になるんだっけ? 特定の女性はいないみたいだし、伯父さまの跡を継いで立派に社長業もしているし、見た目も悪くないし、人当たりも悪くないし、そんな話も舞い込むだろう。

 今までなかった方が不思議なくらいだ。

 うんうんと肯いて納得していると「そうじゃない」と苦々しい声がテーブルの向こう側から届く。

「え? じゃあ伯母さま? 伯母さまはお見合いは必要ないでしょう? 先月、紹介してくれましたよ。すてきな彼氏さん」

 夫である伯父さまが亡くなられた後、立派に跡取りである湊にい様を育て上げたおばさまは第二の人生を謳歌している。

「それはそうだろ。仮にあったとして、そんな話持ち込んだらなに言われるか……いや、この話も知られたらアレなのは同じか」

 疲れたようにぼそぼそとこぼす。

「大丈夫ですか、兄さま。では誰が誰とお見合いなんですか?」

 まぁ、ここまで来たら察しが付く。付きたくはないけれど。

「それはあなたです。琴音さん」

 ですよねぇ。消去法的にね。他にいないもの。

「私、まだ高校生なのですけれど」

 十八歳だから結婚できないわけではないけれど、結婚を急がねばならない年齢ではない。

 そもそも今の時代、無理に結婚する必要もないだろう。

 兄さまは深々と溜息をつく。

「年齢的に考えて、私よりも兄さまの方が先に身を固めるべきでは? まぁ、私のような小姑がいては邪魔だから片付けておきたいという気持ちはわからなくはないですが」

 湊にい様は結婚相手としては条件が良い。

 親との同居はないし、お金はあるし、身内には優しいし。

 ただ一つの難点は私の存在だ。

 妹のような顔をして同居している従妹。

 お相手としたら普通に扱いに困るだろう。

 兄さまにはお世話になっているし、結婚生活を邪魔する気もないから、その時にはこの家を出るつもりはあったけれど、お見合いという形で持ってこられるとは思わなかった。

 せめて高校卒業までは猶予があると思っていたのだけれど。

 まぁ仕方がない。自力で生きていくお金も能力もないのだ。

 なるようにしかならない。

 どうにか現状を呑みこんで顔を上げると兄さまが大変不機嫌そうな顔をしていた。

「すみません、放置して」

 謝罪の言葉にいっそう眉間にしわが寄った。

「謝るポイントがずれているよ、琴音」

 首を傾げているとわざとらしいくらいに深々とした溜息が吐き出される。

「兄さまの意に沿わない謝罪をして申し訳ありませんでした」

「考えるのが面倒だからって適当な謝罪をするんじゃないよ、まったく」

 あきれ声はいつも通りの柔らかさで、気づかれないようにほっと息をつく。

「わかりやすく話してくれない兄さまが悪いと思います」

「おれのことを全く信用していない琴音の方が悪いと思うけどね。別に嬉々として見合いさせるわけでもないんだよ」

「断れない筋からの申し出ということですか」

 仕事のお付き合い上、そういうこともあるのだろう。

「とりあえず、会うだけあって断ってくれていいから。じゃなくて断れ」

 めずらしい。命令口調だ。

「会ってみたら気が合って、好きになるかもしれないよ?」

「ありえないな。いい大人が高校生を見合いに引っ張り出すということだけで既に」

 冷えた目に反射的に息をのむ。

「ご、」

「ごめん。どうにか阻止したかったんだけど、余計な口出しするのがいてね」

 この様子を見ると本当に不本意なのだろう。

 兄さまが私を邪魔に思っているのでなければ充分だ。

「大丈夫。食事して帰ってくる程度のことしょう? お断りしても良いなら気楽なものです」

 たかだか数時間、適当ににこやかに笑って、適当に相槌を打つくらいはできる。

 胸をはって応えたのに、兄さまは残念そうな表情で頭を左右に振る。

「なんでそんな反応ですかっ。私はやればできる子ですよ! この間の周年パーティでもきちんと出来ていたでしょう?」

「それが良くない方に出たんだよねぇ。琴音は黙っていれば大人しくて儚げな美少女だから」

 これは褒められたのか? 違うな。容姿は良いけど中身が残念と言われただけだ。つまり順当で的確。

「お見合い相手はパーティ出席者の方ですか。私の見た目に騙されたんですね。がっかりですね」

 それほど堅苦しいものではないとはいえ、それなりの規模の、ほぼ会社関係の集まりでは出しゃばらずにこにこしているくらいしか出来ることはない。

「そういう察しは良いよね、琴音は。……まぁ、その通り。忌々しい」

「兄さま、口が悪くなってますよ。で、どんな方です? 言われてもたぶん顔は覚えていないですが」

 にこやかに挨拶はしていたけれど、きちんと顔など見ていない。

「三十二だったかな、たしか。見た目はこれと言って特徴のない感じの……ヤマジの社長の息子だよ」

 息子の顔はわからないけれどヤマジはわかる。古くからの取引先のはずだ。

 それはそれとして。

「三十二って、おじさんじゃないですか」

「……うん。いや、そうなんだけど。おじさん。高校生からしたらそうか」

「本筋じゃないところで引っかからないでくださいよ、兄さま。大丈夫、兄さまはおじさんじゃないですよ」

 まだ二十代だし、と付け加えたらへこみそうなのでやめておこう。あと数年の猶予になってしまう。

 それに兄さまはおじさんにはならない気がする。うん。なるなら素敵なおじさまだろう。

 伯父さまもカッコよかったからなぁ。きっとあんな風に。

「その慰めも微妙にずれてる気がするんだけどね」

 兄さまは深々と溜息をつく。

 それは私のずれた慰めに対するものではないのだろう。

「大丈夫だよ、兄さま。私はやればできる子です。きちんと任務を遂行してきますよ」

 結局のところ心配性で過保護なのだ、兄さまは。

 安心させるように胸を張ってみせると苦笑された。

 失礼だなぁ。



 お見合い場所は眺めのいいレストランだった。

 仲介人を立てず二人だけでとの申し出も、軽く昼食をという話がフレンチのフルコースになってることも仕方ないとしよう。

 でもワインを勧めるのはアウトだよね。

「ごめんなさい。まだ二十歳になっていないので」

 笑顔は絶やさないまま、しかししっかり断る。

「十八なら成人だし、飲んでも大丈夫なんじゃない?」

「二十歳の誕生日まで楽しみをとっておきます」

 再度断ると不貞腐れたような表情。

 見た目は普通の、どちらかと言えば大人しげな雰囲気の人だ。

 予想していたほどおじさんっぽさはないし二十代と言われればそうかな? と思えそうだ。こんな風に不機嫌を表面に見せると余計に。

 それでもこちらがにこにこしていたら気を良くしたのか、自慢話やうんちくが始まる。

 そうなんですね。すごいですね。

 適当に相づちを打ちながら聞き流す。

 食事はおいしいのが救いかな。フルコースは少し重いからハーフコースくらいが良かったけど。

「琴音さんにはずっと僕の隣で僕の為に笑っていてほしいと思っていて」

 は?

 適当に聞き流していたけど、これは肯いちゃいけないやつだ。

 気持ち悪。

 何一つ逆らうことなく、にこにこしてるだけの人形のような妻が欲しいってことでしょ?

 最悪。

「高校を卒業したら、すぐにうちに来てもらえばいいから」

 はぁ?

 なに結婚が確定みたいな話してるの?

「何一つ不自由なんてさせませんから」

 キリッとしてるけど、結婚すること自体が不自由だよ。

 鳥肌が……どうしよう。兄さま。

 やればできる子ではなかったかもしれないです。

 表面的にはまだ微笑めていると思いますが。

 どうしよう。



 良い案は浮かばないまま、独りよがりの素敵な結婚生活を語られ本格的に気分が悪くなる。

 デザートが出されるタイミングでお手洗いにたつ。

 マナーがどうとかくどくど言われたけれど「申し訳ありません」と一言だけ返してそのまま中座する。

 マナー違反は承知の上だけれど、あなたには思いやりの気持ちがないのでしょうか。

 鏡にうつる自分の顔の蒼白さをみて小さくこぼす。

 さて、どうしようかな。

 いつまでも化粧室に立てこもっているわけにはいかない。

 戻ってデザートを食べて、どうでも良い話を微笑って聞き流して、食事のお礼をして、おそらくされるであろうこの後の誘いを断って一人で帰途につく。

 結構な難ミッションではないだろうか。

「無理かも」

 微笑って会話どころか、顔を合わせることを想像するだけで足が動かない。

 体調悪くて帰るということを伝えにいくのも気が重い。

 心配だから送る、などと言われたらそれはそれで困る。

 迎えを頼んであると言えば引いてくれるだろうか。

 迎えが来るまで付き添うと言われたらアウトだ。

「……あの、大丈夫ですか」

「っえ? あ、」

 急に声をかけられ振り向くとぐらりと視界が揺れて、壁を支えに座り込む。

「お連れ様が婚約者が戻ってこないから、と」

 いつの間に婚約者になってるんだ。ただの見合い相手なだけだよ!

 反論の声を上げる気力もなく、俯いたままゆるゆると首を横に振る。

 もう、ほんとうに、むり。

「……差し出がましいですが、スタッフの控室でお休みになりますか? お連れ様の方へは私どもの方かお先にお帰りいただけるよう伝えておきますよ」

 背中にそっと当てられた手があたたかい。

 顔を上げると、凛とした雰囲気の女性が心配そうにこちらを見ていた。

 甘えて、良いだろうか。

 頷く女性に頭を下げる。

「ご迷惑、お掛けします」

「とんでもない。立てますか? 手を貸しますね」

 てきぱきとしているけれど、声には労りがあってほっとする。

 まだ少しふらつく視界の中、支えてくれる手を借りながら案内されたスタッフルームのソファに座り込む。

「ほかのスタッフが来るかもしれませんが事情は伝えておくので気にせず休んでいてくださいね」

 出された緑茶を口にする。

「おいしいです」

「少し眠ると良いかもしれません。おうちの方に連絡は入れてくださいね。またあとで来ます」

 ロッカーから出した私物らしきストールを私の肩にかけると颯爽と部屋を出て行ってしまう。

 お礼を言う暇もなかった。



「……あれ?」

 視界に入ったのは見慣れた天井。

 今、何時だろう。

「琴音、気分は?」

 起き上がろうとすると、そのまま横になっているように言われ大人しく従う。

「兄さま? なんで…………ごめんなさい」

 ベッドの脇に何故かいる兄さまに尋ねかけて思い出した。

 お見合い、うまくやれなかったんだった。

 おそらくあのままスタッフルームで寝てしまい、起きないまま家まで連れて帰ってもらったのだろう。

「謝るのはおれの方だよ。考えが足りなくて無理をさせた。ごめん」

 そっと頭をなでてくれる手の感触が懐かしい。

 幼い頃は褒めたり、慰めたりでよくこうして撫でてくれた。

 そして熱を出した時は良くこんなな感じで看病してもらった。

 いつ頃からか、兄さまは私の部屋に入ることはなくなったし、適度な距離をとるようになったと思う。過保護は過保護なままなのだけれど。

「兄さまのせいじゃありません。私が思ったより出来なかったのと、相手の方が想定以上にちょっとあれだっただけです」

「いや、おれは琴音の保護者として付き添うべきだった」

 常識的に考えればそうだろう。実際、二人きりで会うと聞いた時には腰が引けた。

「どうしようもない下世話な邪推を助長するわけにはいかなかったのでしょう?」

 兄さまが年の離れた従妹である私に手を出しているとか、私が兄さまを籠絡して会社を乗っ取ろうとしているとか、二人は不適切な関係とか、年頃の男女が二人で暮らしていて何もないはずがないとか、この程度の噂は私の耳にも届いている。

 兄さまはもっと直截的に言われているに違いない。

 お見合いをねじ込んだ相手もそのあたりを突っ込んで了承させたのだろうと思う。

 兄さまとしても噂を払拭したいという思惑はあっただろう。おそらく私の為に。

 兄さまは困ったような笑みを浮かべて深々と溜息をこぼした。

「兄さまはさ、結婚しないの? 恋人は?」

「……いないよ。しばらくはするつもりも作るつもりもないよ、仕事も忙しいしね」

 唐突な話題転換だったけれど、私の表情を見て兄さまは真面目な顔で答えてくれる。

 本当のところ、私が一人前になるまでは、とか嫁に出すまではとか考えていそうなんだよね、兄さまは。

 聞いても答えないだろうけれど。

「じゃあ、兄さま。私と結婚、というか婚約しませんか?」

「は?」

 我ながら爆弾発言だったとは思うけれど、おもむろに額に手の平を当てて熱を確認するのはやめてくれませんかね、兄さま。

 正気ですよ、私は。



「琴音、兄さまも熱があるようだから部屋で休むよ」

 触っても熱くないのは自分にも熱があるから、という態にする気だな、兄さまめ。小さい子に言い聞かせるような口調だし!

「私も兄さまも平熱です。そしていたってまともな提案です。何もないから文句が出るんです。婚約者同士であれば一緒に住んでいても何ら問題ないでしょう?」

「問題しかないからね? 琴音が好きな人が出来た時に困るでしょう」

 あきれ切った声。

「もちろん、兄さまにお相手が出来た時はきっちり身を引くし、相手に説明もしっかりするよ。大丈夫」

 あくまで噂を抑えるための仮初の婚約だ。良い気持ちはしないだろうけれど、納得してもらえるように言葉は尽くすつもりだ。

「ひとつも大丈夫じゃないね。琴音が本当に結婚したい相手が出来た時に婚約していたという事実が傷になりかねない」

 不機嫌な顔。うん。言ってることはわかる。

「それを傷だと思うような相手とは結婚してもうまくいかないと思う。ご家族がそう感じるようなら、そちらともたぶん上手くいかないだろうしね。つまり婚約には利点しかないのでは?」

「……だんだんそれもそうかと思ってしまう自分が嫌だよ、おれは」

 がっくりと肩を落とす。納得はできてなさそうだけれど、もう一押しかな。

「そもそも私の場合はね、兄さま。結婚したい相手なんか見つからないんじゃないかなって」

 ずっと女子校だったし、男の人と知り合う機会はそれほど多くはなかったけれど、それでも。

「大学に行けば同年代の男が山ほどいる。中には琴音が良いと思う男だっているだろう」

 変な男に騙されないかは心配だ、などと余計な過保護も発揮してくれている。

「私の一番身近にいるのが兄さまでしょ? 基準が兄さまになってると、それ以上の人ってなかなか難しいかなって」

 物心ついたころから過保護に甘やかされてかわいがってもらってるし、勉強も運動もできて優しい完璧な『従兄』だったから。

 たぶん初恋も兄さまだった。

「……殺し文句だなぁ。琴音は妹なんだよ、おれにとって。妹なんだけどなぁ、条件は良いんだよ、確かに。一緒にいて楽だし、楽しいし。婚約すれば余計な縁談を持ち込まれなくて済むなぁとか打算的な考えが」

「兄さまは打算的なところが良いと思う。そしてなんとなく私に丸め込まれてくれるところも好きよ」

 うふふふ、とわざとらしく笑ってみせると苦笑いをした兄さまぽすぽすと頭を柔らかくたたいてくる。

「そういうところもかわいいなぁと思っている兄馬鹿ですよ、おれは。とりあえず検討はするから、もう少し寝てなさいね」

 もう眠くはなかったけれど大人しくうなずき布団にもぐる。

 継続中の初恋は隠したままでいるから。

「もう少し、そばにいさせてね」

 兄さまがいなくなった部屋でひっそり願った。


                                  【終】




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