隣人愛を求めなかったキリスト。
とあるところに、隣人愛の乏しい男がいた。
「人に与えられている時間は全く持って均等でない」
男はそう呟いて、ベッドに横たわり、延命装置を付けている妻の頭をなでている。
「君を、私はもう300年待ってきたが、まだ僕は君を愛している」
男はそっと頬に接吻をして言った。
「でも、君はもう僕への愛を乏してしまっているのかい?」
そういって、妻の鼓動の速さを確かめた。
「毎回、これを見ると君の鼓動が早まっている気がするんだ」
その時、看護師が入ってきた。
「時の砂、今月分です」
やたらと分厚い資料を持ってきた看護師が何やら黄金の色に輝く砂の入った瓶を持ってきた。
「ありがとう」
男はそういって砂を受け取り、迷わず妻の口に放り込む。
脳死状態の妻は、何も苦痛は感じなかった。
「そうだ、僕の分の時の砂と、若返りプランを予約したいのだが」
看護師は同意し、資料を取りに行った。
その後、夫人は妻の時の砂の原産の書かれた資料を見ていた。
「Made in Japan. 特徴的な思想はなし。家族関係良好。精神状態安定。女…」
長い資料に目を通した男はまた妻を見る。
「お前と一緒の環境の女の子を、何人殺しただろうか」
そういって、病棟を出た。
目の前には柵と何人もの警備員で囲われた空間があった。
「この先、時の砂飼育場。現在在庫量…80億タイムズ」
そう書かれてあるところを見て、男はため息をついた。
「やっぱり、時の砂の効率が悪いな」
先には、世界419がある。
世界419番では、この世と全く同じ形態の世界がある。
中には、世の不幸で死ぬ人々や、人々のエゴの犠牲になる悲しい人々。
つまり、零れていない純粋な時の砂があふれた人々がいる。
中には、世に絶望し、自殺した人。戦争に利用されて戦死した若者。大悪党。絶望する間もなく蒸発した人々などがいる。
それらから、時の砂を回収し、外に住む人々に還元するのだ。
しかし、時の砂には欠点がある。
回収した砂の持ち主の思想や人生のすべてが吸収した人に負担を与えるということだ。
さらに、それらの人々の千分の一の余生しか吸収できない。
では、どうのようにして純粋な思想を持ち、人生経験の乏しい砂を手に入れようか。
簡単である。
赤子の砂を回収するのだ。
しかし、取りすぎたら農場が壊滅するため、高級品として扱われる。
結局。外の世界も砂という資本の奴隷なのだ。
しかし、こうにもこの男は恋心によってそれらを成し遂げてしまった。
妻がもし、脳死状態から解放されたとき、男は喜ぶだろうか。
いや、違う。
男の望んだ妻の状態とはかけ離れた状態で回復するだろう。
しかし、それを男が分かっていないはずがない。
「車を出せ」
男はそういって家に帰っていった。
家に着くと、そこは資料と研究室。そして世界管理室があった。
「私の妻と最も性格が似ている人物はどれほどできた?」
報告に来た研究員は、重々しい口で言う。
「今期に生産できた…規定をクリアしたのは30体ほどです」
男は机を強くたたき、怒号を浴びせる。
「あれだけ融資して、あれだけ時の砂を与えてやってこれか?」
「申し訳…ございま..」
男は土下座を繰り出すが、男の矛先は別に向く。
「この様子だと、五次元を利用した生産方法はできていないようだな?」
別の責任者を睨む男。
「いえ、全体の進捗率は70%を超えており、芳しくないということは…」
「なら何だこのザマは!!!」
男の生産効率においての
しかし、男の基準は実に厳しすぎるなんて、五次元とは全くあっていないなんて、管理の人員が足りないなんて。
男の権力と威圧に吠える鼠は出てくることができなかった。
「チッ、もう脳死回復の準備はできているというのに…」
男は明らかにイライラしていた。
そんな時だった。
「エマージェンシー。エマージェンシー。現在、世界419の第39584番でイデアエスケープ発生。至急シャットダウンを実行してください」
「いいか。そろそろ世界419の一部はイデアエスケープを始めている。早く目的を完遂したまえ。」
研究員らは速やかに戻っていった。
イデア論。
それは、理念によって永遠不変の本質によって成り立っているという考えである。
世界419は、五次元飼育を実現しているので、このイデアの脱出。
つまり、イデアエスケープ(idea escape)を起こす比較的新しい。オリジナルの世界に近い先進世界において発生する。
イデアエスケープは他の世界と統合して管理世界を攻撃するため、シャットダウンの死守が重要になる。
シャットダウンさえ守れば、彼らは跡形もなくアポトーシスするのだ。
では、イデアエスケープはどのように発生件数が増加するだろうか。
それは、五次元飼育において指数関数的に増えていく。
なぜなら、五次元においては、過去と未来。そして選択による複数の世界線によってそれらすべてが時を上ってゆき、臨界点を突破するからだ。
そう、男に時間はなかったのだ。
いつの日か、イデアエスケープは日常と化した。
「今回のイデアエスケープ。前回の256倍くらいの戦力だったらしいぜ?」
休憩広場で、缶コーヒーの味のする水を飲んでいる研究員が話していた。
「マジか、やべーな。俺らのサーバー大丈夫かよ?」
「いや、まあ大丈夫だろ。サーバーの負荷はまだ0.3パーらしぜ?」
「あー。まあまあ大丈夫か」
その頃、男は病棟にいた。
「お前の性格が、もし。変わっていても。俺はお前を愛すさ」
そして、男は大量の時の砂を一つずつ飲ませていく。
男は涙を我慢しながら、少しずつ、少しずつ。
「では、脳死を治療します。よろしいですか?」
「ああ。頼む」
治療は、10分にも満たなかった。
しかし、聞こえたのは叫び声だけだった。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙」
妻の、聞いたことのない声だった。
ましてや、人間の声でないように聞こえた。
治療を行った医者でさえ耳をふさぐこの声に、男は涙を流していた。
「妻だ、私の妻だ」
男はその様子に歓喜している。
その時だった。
「エマージェンシー。エマージェンシー。現在、世界419の第37564276724番でイデアエスケープ発生。至急シャットダウンを実行してください」
「はあ、まあいい。どうせこれで最後だ。五次元飼育の役目はもうなくなったのだ」
しかし、一向に警戒音が鳴りやまない。
目の前には妻がぐったりしている様子があり、それをほっとくことはできなかった。
携帯が鳴りやまない。しかし、男は携帯を投げ捨て妻の元へ駆け寄った。
「おい、俺だ。ああっ!やっと…」
そういって、割れて真っ赤な頭に接吻をしている。
男の幸福は最高潮に達していた。
その時、研究員が駆け寄ってきた。
「たっ、大変です。イデアエスケープがシャットダウンを破壊し、この世及びます。早急に世界419を放棄してください」
「ああっ!あはっ、アハハハハ。だめだよ。だめだ!まだ、私の妻がどこかにいるはずなんだ!」
ベッドの真っ赤な妻の頭を掴み折り、自らの頭にまるでサッカーボールを合わせるようなしぐさをして、叫んでいた。
「目を覚ましてください。早く。世界が壊れるんですよ?」
もちろん男は聞かない。
「お前をいつも、探しているからな」
そんな様子を目にした研究員が覚悟を決めた。
「貴方みたいな人間に粘着されて、結局殺したのはあなた自身ですか。可哀そうな妻ですね!」
「あ?」
妻の血と脳汁を頭に浴びた男が、こっちを睨む。
すると、男の目の前には銃口を持った一人の若者がいた。
震えて、まともに引き金すら引けない様子の若者。
「お前みたいなモブが!口答えを…」
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