あと5分

半チャーハン

あと5分

ピリリリリピリリリピリ─────────


 派手に目覚まし時計の鳴る音がした。鼓膜を突き刺すうるささは嫌な朝を象徴していて、聞くだけで気分が悪くなる。


「あと5分……」


 呻くように呟いて、また目を閉じた。深い眠りの底に落っこちる。



────花々が咲き乱れる丘の上にいた。


雪斗ゆきと。こっち来て」


 焦げ茶色のボブカットを春風になびかせて笑う、一人の女性がいた。踊るように手招きをしている。


 舞い散る花びらが彼女の顔を隠していた。


 でも、近づけばきっと分かる。僕は笑って頷く。その人がいる方へ迷いなく走る。


「待ってよ」


 足を必死に動かす。


「待ってよ、待ってってば」


 いくら走っても、砂を蹴っているみたいに前には進めなくて、あなただけが遠ざかる。


 そのままあなたは見えなくなった。


 それでも僕は諦めきれなくて叫んだ。女性の名前を呼んで、全身の感覚がなくなるまで走り続けた。


───────5分経過


「இஇஇ! 」


 叫びながら起き上がる。冬なのに汗をかいていた。目の前の現実を映す目を覆って、夢の中の光景を丁寧に反芻する。


「どう? 思い出せた? のことは」


 いつのまにか、腰まで届くような長い髪を愉快そうに揺らし、サングラスをかけた女がドアにもたれかかっていた。


「……思い出せなかったよ」


 ベッドの脇の壁をドンと叩いた。腕に刺さった管から伝わった振動で、点滴がカチャンと揺れる。


「思い出せなかったよ! お前の変な薬のせいでな! さっさと僕を解放しろ!! 」


「ふふっ。そんな怒んないでよ。はい、がんばれがんばれ」


 手を軽く鳴らし、女は近づいてくる。


「諦めて、私にしなよ」


 女は僕の顎を持ち上げて妖艶に微笑んだ。真っ赤な唇が部屋の証明に反射してつるりと光る。

 

「触るな。……あと5分」


「はいはい」



─────波の音が聞こえた。


 波打ち際でスキップし、楽しそうに笑うボブカットの女性がいる。


「おい、聞こえるか!? 」


 女性はくるりと振り向いた。その顔にはぼんやりとモヤがかかっている。


 彼女は聞き返すように、耳に手をあてた。


「あなたの名前を教えて! 」


 また聞こえなかったようだ。一歩近づいてまた耳に手をかざす。


「名前! 教えて! 」

 

 彼女は首をかしげる。波打ち際に沿って、カニみたいに横移動を繰り返す。


 僕の方に近づいているはずなのに、僕たちの距離は縮まらない。


─────────5分経過


「アアアアーッ! 」


 起き上がると、ベッドの縁に女が腰掛けていた。


「ふふっ。楽しかった? 」


「……悪夢だよ」


 どうしても会いたい人はそこにいるのに、僕は触れることができない。


「あと5分」


「もう、しょうがないわね」


 女は文句を言いながらもどこか楽しそうで、鼻歌すら歌っていた。



──────紅葉が舞っている。


 大樹の幹に寄りかかり、小柄な女性は手を振っていた。


「───っ。こっちへ来てよ!」


 言葉は届いたのか、彼女は首を振る。スッキリと整えれたボブカットが揺れる。


「なんでだよ! 君のいない世界なんて虚しいだけだ! せめて、僕の記憶の中だけでも…!! 」


 女性は首を振り続けていた。


「せめて何か言ってくれ! 声を聞かせてくれ! 」


 女性はふいに、首を振るのをやめた。


 顔は相変わらずよく見えないが、ふと暴れる紅葉が彼女の顔から少し逸れ、口元があらわになった。


『a』


『I』


『a』


 読唇術は心得ていないが、母音だけ何とか読み取れた。


 『aia』


 それが彼女の名前だろうか。


 すがるように見つめる。紅葉が彼女の全てを覆おうとするように吹き荒ぶ。彼女は手を振っている。与えられた5分が終わるまでずっと振り続けていた。


 まるで何かを訴えかけるように。


─────────5分経過



 目を開くと、そこに長髪の女はいなかった。ホッとしつつ、また瞼を下ろす。


「あと5分」


 女がこの部屋に盗聴器と監視カメラを設置していることは知っている。腕に刺さった点滴から液体が管を滑り始める。きっと、じきに眠りが訪れる。



──────体を揺さぶられていた。


 目を開けると、そこにはボブカットの女性がいた。


 あまりに当然のように目の前にいたから、驚きすぎて上手く声が出なかった。


「あ、あ……」


「ずっと伝えられなくてごめんね。私の名前はゆみだよ」


 囁くように彼女は言う。僕は必死にコクコクと頷いた。


 母音が『aia』ではないことに少しの違和感を覚えたが、そんなことすぐにどうでも良くなった。


 だって、目の前にずっと探し求めていた女性がいる。たとえ夢だとしても、会えたのだ。思い出せたのだ。


「んっ」


 突然彼女が唇を重ねてきた。恥ずかしそうに顔を赤らめながら呟く。


「好き」


「もちろん、僕もだよ! 」


 愛を確認をし合うと、彼女は満足そうに頷いた。数秒見つめ合ったあと、抱きつくように押し倒される。


 柔らかい体が密着し、ベッドがギシギシと揺れる。


 夢中になっていた僕は、5分たってもあの部屋に戻らないことに全然気づかなかった。


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