ペディキュア

おひとりキャラバン隊

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「ねぇ、ケンジ〜。見てみて! 今日ネイルサロンで可愛くしてもらったんだよ〜」


 間延びした声でそう言いながら、姉の沙也加さやかが両手の指を揃えて僕に見せてきた。


 リビングのソファで寝転びながら漫画雑誌を読んでいた僕は、沙也加の声に顔を上げ、姉の両手の指をチラリと見ると、

「ふぅん、いいんじゃない?」

 と、無難な返事をしておく事にした。


 僕は兵藤ひょうどう健治けんじ、高校3年生。姉は大学2年生だ。

 来週から冬休みでクリスマスもあるからと、姉は「最強のおしゃれをする」のだとかで、月初から色々と頑張っているらしい。


 姉に彼氏がいるだなんて話は聞いた事が無いが、大学に入ってからは「今年こそは彼氏を作って一緒にクリスマスを過ごすんだ!」と息巻いている。


(こっちは大学受験が控えていてそれどころじゃないってのに、女子大生ってのは気楽なもんだな……)


 弟の僕が言うのも変かも知れないが、姉の沙也加は、何もしなくてもそこそこ「美人」の部類に入るのではないかと思っている。


 姉に彼氏ができないのは、外見というよりは内面の問題で、「自分より可愛い子が周りにいっぱいいて、自分の美貌が埋もれている」と考えている、いわゆるコンプレックスに起因しているように思えてならない。


 肩まで伸びた栗色でストレートの髪、卵型でふっくらした輪郭、二重瞼ふたえまぶたの目はぱっちりとしていて、母親に似てまつ毛も長い。大きくは無いがそれなりに存在を主張している胸、細くはないが女らしくやわらかなプロポーション。


「何もそこまでオシャレに気を遣わなくても、そこそこモテるんじゃないの?」

 と僕が言っても、

「何言ってるのよ。女の世界は過酷なのよ。頭のてっぺんから両足のつま先まで、完璧なオシャレをしなきゃ、いい男に見つけてもらう事なんてできやしないんだからね」

 などと言っていた事からも、察するに姉のコンプレックスは重症らしい。


「ネイルサロンで全部の爪を花柄にしてもらったのも、今は花柄が流行ってるからだし」


 ちゃんと見ていなかったので分からなかったが、どうやら姉は全部の爪を花柄にしてもらった様だ。

 そう言えば、姉の部屋のカーテンは向日葵ひまわり柄だし、いつも使っているシャープペンの柄の部分にも向日葵ひまわりみたいなデザインがほどこされていた気がする。


 しかし、手の指の爪ならともかく、足の爪まで花柄にしたところで、スニーカーを履いて大学に通う姉には意味の無い事では無いのだろうか。


「じゃ、行ってきます!」

 と姉がご機嫌な様子で大学に向かったのを見て、僕はようやくソファから身体を起こした。


「そろそろ勉強するか……」


 僕は留守になった自宅の静けさを肌で感じながら、自室に戻って受験勉強を始める事にしたのだった。


 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


 ピロリロピロリロ……


 唐突にスマホから着信音が鳴った。


 スマホの画面には知らない番号が表示されている。


(誰だ?)


 赤本の数学の問題に挑んでいたが答えの導き方に行き詰まっていた僕は、普段は知らない番号の電話を無視するにも関わらず、気分転換のつもりで電話に出てみる事にした。


「もしもし?」


「あ、兵藤沙也加さんのご家族の方ですか?」


 電話の相手は女の声で、まるで短距離走でもした直後なのかと思わせる程に息を切らしている様だ。それに近くに救急車が走っているのか、サイレンの音がうるさい。


「はい、そうですが?」


「あの……、兵藤沙也加さんが事故に遭って、意識が無い状態なんです! 登録されている電話番号で、どなたがお父さんか分からなくてこの番号に連絡させてもらったんですが……」


「……え?」


(姉が事故に遭って意識不明?)


 僕は一瞬呆然としたが、すぐに冷静さを取り戻し、


「あの、僕は沙也加の弟ですが、すぐに両親とも連絡を取りますので、今の状況を教えてもらえますか?」

 と訊く事が出来た。


「今、救急車の中なんですが、S県立中央病院に向かっているので、そちらに来て頂いてもいいですか?」


 電話の相手が誰かは分からないが、相当に気が動転しているらしい。


 すぐに両親に連絡をとるべきだとは思ったが、相手は僕を父親と混同している様に感じた。


「分かりました。すぐに向かいますので、あなたの連絡先を教えて頂けますか?」


「あ、はい! えーと、私はいつきみどりと言います。沙也加の友達で……、えっと番号は、090の……」


 僕は電話の相手が教えてくれた電話番号をすばやくメモし、お礼を言って電話を切った。


 電話を切ったとたんに訪れる静寂の中、ジワジワと事の重大さが僕の心をわし掴みにしてくるのを感じた。


(姉さんが意識不明? ……大変だ!)


 今さらながら心臓の鼓動が高まるのを感じながら、僕は急いで服を着替えて家を出る事にした。


 両親は仕事に出ている。


 携帯電話は出てくれないかも知れないが、バスで病院に向かう途中にLINEで状況を伝えておく事にした。


 病院まではバスに乗ってから1時間以上かかった。


 いつもはもっと空いている筈の道のりだったが、途中で別のバスと大型トラックが衝突する事故があったという事で、交通規制が敷かれて渋滞が起きていた様だった。


(姉さんが事故にあったのって、その事故の事か?)


 僕はそんな事を思いながらバスを降りて病院のエントランスに入ると、いつきみどりから聞いた番号に電話してみる事にした。


 すると、待合スペースに並ぶベンチに座っている人の中から若い女が立ち上がり、スマホを耳に当てて入口の方を向いた。


(あの人がそうか……)


「もしもし、今病院に着きました。病院の入口のところに立っています」

 僕がそう言うと、立ち上がった女が僕の姿を見つけたらしく、


「今そちらに行きます!」

 と言って電話を切り、足早に僕の方に向かってきた。


「あの、僕が沙也加の弟の健治ですが、姉の沙也加は今どこに?」

「あ、えっと……、救急車が病院に着いてから、私はすぐにここで待っている様に言われて、私も今どうなっているのか分からなくて……」

「そうですか……、じゃあ、病院の人に聞いてみるしかないですね」

「そ、そうね……。そうしましょう」


 僕は病院の総合案内の窓口に向かい、沙也加の状況について確認した。


 窓口の人が言うところによると、バスの事故で10名以上がこの病院に運ばれたらしく、姉も応急処置を受けた後に3階の病室のベッドに運ばれたという事だった。


 僕とみどりは窓口で聞いた通りに病室に向かい、ゆっくりと病室の扉を開けた。


 そこは大きな病室で、両サイドに6個ずつベッドが並んでいた。


 そのうちの8個のベッドに全身を包帯で巻かれた怪我人が寝かせられており、ぐるりと見回してみたが、一目見ただけではどれが姉なのかは分からなかった。


(そんな……)


 僕はその光景に愕然としたが、僕の後ろに立っていたみどりは腰が抜けた様に両手で顔を覆ってその場に座り込んでしまった。


 そんな中、僕は包帯でぐるぐるに巻かれた怪我人の膝から下やつま先が見えている事に気付いた。


(そうだ。姉さんはネイルサロンで足の爪も花柄にしてる筈だ!)


 僕は一つ一つのベッドに寝かされた怪我人のつま先を見て周り、6つ目のベッドに寝かされた怪我人のつま先に、向日葵の柄が描かれているのを見つけた。


 その怪我人は、他の怪我人よりも大きな怪我をしている様で、胸の動きから呼吸をしているらしい事は分かったが、姉の名前を呼んでも返事はなく、今も意識が無いままの様だった。


「嘘だろ……?」


 両親がいつLINEに気付いて病院に来れるかは分からないが、両親が来た時に僕は、この状況をどう説明すれば良いのだろう。


 身体を揺すって目をさましてやりたい衝動に駆られたが、大怪我を負っているのならそれもはばかられる。


「姉さん……、姉さん?」

 と僕は何度も姉に呼び掛け続けたが、ベッドの上に横たえられたその身体から返事は無かった。


(何てこった……、今朝はあんなに元気だったのに……)


 僕はつま先に描かれた向日葵ひまわりを見つめながら、顔も見えない程に包帯で巻かれた姉の、右手に軽く触れた。


 ザラザラとした包帯の手触りが僕の指先に伝わる。


 ドクドクと脈打つ僕の心臓の音が、まるで耳元で鳴っているかの様な感じがする。


 だんだんと息をするのも辛くなる程に鼓動が早まり、頭がクラクラとしてきた。


 ジワジワと迫りくる不安に、膝がガクガクと震えだす。


「健治、来てくれたんだ?」


 ふと背後から姉に呼ばれた様な気がして、僕はハッと振り返った。


「……姉さ…ん?」


 そこには、頭に包帯を巻いた姉の姿があった。


「えっと、何で?」


 僕は目の前に立っている姉の姿が信じられず、そんな言葉しか出て来なかった。


「何って、大変だったんだよ。乗ってたバスにトラックが突っ込んで来てさ。私も頭を打ったみたいで、ちょっと気絶してたっぽいんだよね。目が覚めたら病院でビックリしたよ」


「無事……なの?」


「無事に見える? まあ、命に別状は無さそうだって言われたけど、頭にでっかいタンコブができて、今もズキズキ痛いんだよね」


 僕は不意に涙が込み上げてくるのを止められず、その場に座り込んで嗚咽おえつを漏らした。


「何よ何よ、みどりといい、健治といい……」


(無事だった! 姉さんは無事だった!)


 僕が目を開くと目の前に姉の足が見え、つま先が開いた病院のスリッパから見えるそのつま先に、バラが描かれているのを見た。


「……ヒマワリじゃなかったんだね」


 僕がそう呟くと、姉はきょとんとした表情で僕を見返し、


「ああ、ネイルの事? だって、クリスマスだよ? 花柄の種類を選べるなら、クリスマスローズにするに決まってるじゃない?」


(そんなルール、知らないよ)


 僕はそう心の中で言い返したが、姉が無事だった事に心から安堵した。


(他の大怪我した人には申し訳ないけど、とにかく姉さんが無事で良かった!)


「とにかく、この後私も精密検査しなくちゃいけないらしいから、ちょっと帰りが遅くなるって、お母さんに言っておいてくれる?」


「ああ、わかったよ」


 僕は無理やり笑顔を作ってそう言いながら、

(これからは、もっとちゃんと姉のつま先まで見ておく事にしよう……)

 と思ったのだった……

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