博物館

遠村椎茸

博物館

 街まで買い物に出たついでに、二人で博物館によった。

 古代エジプト展をやっていたのだ。

 人込みの苦手な彼はうんざりしている様子だったが、「ちょっと寄っていこうよ」というわたしの誘いに、溜息をつきながらも付き合ってくれる。

 彼は優しいのだ。

 ゲートを潜り、一階にある広い展示室の大きなショーケースの前まで来たとき、彼は言った。

「ちょっと、トイレに行ってくる。そのへんにいて」

 頷くわたしを残し、彼は慌てて駆けていった。

 ずいぶん我慢していたらしい。わたしは笑いながらその背中を見送った。

 振り向いてショーケースの中を覗いてみる。

 中にはミイラが入っていた。女性のミイラだ。

 死んでしまってから、こんなふうに人目にさらされるのは嫌だろうな……。

 心の中に、悲しみとも同情ともつかない気持ちがわいてくる。

 人権侵害だ。いかに学術的な目的のためとはいえ、ひとの死を見世物にするなんてどうかしている。

 裸で衆人の目にさらされるひとの気持ちを考えたら、こんなことはできないはずだ。

 修学旅行生だろうか、制服を着た何人かの男の子達がショーケースの周りに集まってきた。

「見ろよ、ミイラだ!」

「このミイラ、生意気にガムテープで前張りなんかしてやがる」

「ミイラでも、見せたら法律に触れるのかな?」

「こんな干からびたの見たって、しょうがねえだろうに」

 あはは、と学生達は笑った。

 わたしは悲しくなってきた。

 社会教育を目的とした施設で、人間の尊厳が失われている。

 考古学が人類の歴史を学ぶものであるというのなら、いったい、わたし達は彼女の死から何を学ぶというのか?

 人間の残酷さ?

 軽薄さ?

 あるいは、人類の愚かさか?

 思いやりを忘れた学問に、なんの価値があるというのだろう。

 涙が頬を伝った。

 泣きながら立ち尽くし見つめているわたしに、彼女がちょっと微笑んだ気がした。

 どうしたのだろう。なんだか胸が熱い。

 喉が、気も狂わんほどに喉が渇く—―。


 気がつくと、わたしはガラス越しに自分の顔を見つめていた。

 向こうから彼がやってくる。

「いやー、まいったよ。修学旅行生で一杯で、トイレが混んでてさあ――」

 そう言う彼に何か応えようと思うのだが、どうしたわけか声が出ない。

 身体が硬直して、指一本動かすことも出来なかった。

 わたしはショーケースの中にいた。

「ごめんな、待ったろう?」

 彼が済まなそうにそう言った。

「ほんの五千年くらいね」

 ガラスの向こうで、わたしの顔をしたエジプトの女が艶やかに笑っていた。


                             <終>

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博物館 遠村椎茸 @Shiitake60

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