うるさい尻尾の子守歌
宵月碧
うるさい尻尾の子守歌
宴の終わりには、ありとあらゆるモノが散らばっていた。
割れたワイングラス、壊れた椅子、床に散乱する料理の残骸と、赤く染まったテーブルクロス。すでに事切れて動かない、血の抜かれたいくつかの男女の亡骸。
凄惨なパーティーが行われていたのは明らかで、乾いた亡骸は衣服を剥ぎ取られた者もあり、食事のマナーも美学も知らない野蛮な吸血鬼の戯れが目に余る。
同胞の嘆かわしい醜態に眉をひそめたジル・フォードは、咥えていた煙草の煙を吐き出した。
磨き抜かれた革靴でワイングラスの破片を踏み締め、パーティー会場を後にする。
屋敷の外は夜の闇に覆われ、建物内から漏れる明かりだけが真っ黒なスーツに身を包むジルの背を照らしていた。周囲に他の住宅は見当たらず、ひっそりと佇む一軒の屋敷は、秘めた宴を開くのに打って付けの場所だ。
屋敷の屋根に止まっていた一羽のカラスが羽ばたき、背後からジルの肩に降り立った。
「手遅れだと伝えろ。掃除が必要だ」
低い声でジルが命令すると、カラスは返事とばかりに鳴き声をあげ、大きな翼を広げてジルの元から飛び立った。
屋敷で嗅いだ何人もの混ざり合った血液のにおいが鼻に残り、ジルは苛立ちを抑えるように煙草を口元へと運んだ。
* * *
吸血鬼のジル・フォードの屋敷には、奇妙な同居人がいる。
狼の姿で
帰ってくるなり会話もそこそこにシャワーを浴びて地下の部屋に戻ったので、アズライトは飼い主に無視された犬のように、落ち着かない様子でうろうろしているのだ。
同居を始めた当初は牙を剥き出しにして唸ってばかりいたアズライトも、半年ほど経った今ではこの有り様だ。
吸血鬼に懐く人狼がどこにいるんだと、呆れずにはいられない。
「おい、犬っころ。気付かれてないとでも思ってんのか? 鬱陶しいから入って来い」
ドアに向かって声をかければ、がたんと大きな音が響く。大方驚いて足を滑らせたのだろう。ゆっくりと開いたドアの隙間から、バツが悪そうに青年姿のアズライトが顔を覗かせた。灰色の髪に琥珀色の瞳は、狼の姿の時とまったく同じだ。
「部屋の前を野良犬のようにうろつかれるのは迷惑なんだが」
「俺は野良犬じゃねえし、うろついてもねえ」
顔を赤くして声を荒げたアズライトは、それでも律儀にドアを閉めてずかずかとジルが横たわるベッドまで歩いてくる。
ベッド以外なにも置かれていない殺風景な部屋で、アズライトは胡座を組んで床に座った。地下なうえに絨毯も引いていないので、秋も半ばの夜は床も冷たいのだが、寒さに強いアズライトは気にする素振りも見せない。
「今日、何かあったのか?」
「なぜそう思う」
ジルは毛布を腰まで掛け、ベッドの上で身体を横向きにして肘を付いた。片手で頭を支えながら、床に座るアズライトを一瞥する。
「別に、なんとなく……機嫌悪そうだから」
アズライトは控えめにそう呟くと、少し癖のある後頭部の髪を撫でた。
目付きの悪さと愛想の無さで普段から機嫌が悪そうに見えるジルは、感情を表に出すことはほとんどない。微細な変化に気付くのは狼の性質か、鈍感そうに見えて意外にもアズライトは鋭い。
「なあ、俺の血、飲むか? 仕事のあとは腹減るんだろ?」
黙っているジルにはお構いなしに、アズライトはベッドに置いた両腕に顎を乗せて首を傾けた。
平然と吸血鬼に血を差し出せる者が傍にいるのは、ジルにとっては都合がいい。例え男の血が不味かろうと、飢えれば味の良し悪しなどは二の次だ。
欲望のままにアズライトの血を貪るのと、先ほど古屋敷で見た同胞の凄惨な戯れは、一体何が違うのか。
苛立ちの理由も分からず、不快感ばかりが身体に渦巻くこの状態で、その矛先をアズライトに向ければどうなるか。
(馬鹿馬鹿しい……)
ジルは短く息を吐き出すと、気遣わしげにこちらを見つめるアズライトに視線を向けた。
多少乱暴なことをしたところで、人狼は人間のように柔ではない。今日目にした亡骸のように、簡単には壊れたりしないのだ。
「……いいのか? 今お前の血を吸ったら、止まれる気がしない。俺に犯されることになるぞ」
脅すように口を開けば、アズライトはきょとんとした顔で目を瞬いた。
「お前が俺を? どうやって? 俺は男だぞ」
純粋な琥珀色の瞳が、疑問と好奇心を宿してジルに向けられる。男同士の情交によるあれそれには、完全に無知といった様子だ。
アズライトは本能的に交尾の知識はあれど、それ以外で肌を合わせることへの意味と知識を持ち合わせていない。人間と狼の姿を持つ人狼でありながら、どう育てばこうもただの獣のように無垢でいられるのか。
ジルは呆れ気味に苦笑すると、それこそ苛々しているのが馬鹿らしくなった。虫の居所が悪いまま手を出せるほど、アズライトの存在は単純なものではなくなっている。
「そういやお前、未だに自慰も一人でできなかったな」
「は? な、なんだよそれ……! 今はそんなこと関係ないだろ!」
カッと一気に顔を赤くしたアズライトは、慌てて立ち上がって後退る。血を貰う代わりにジルが定期的に射精を手伝っているのだが、アズライトにもそれなりの羞恥心はあったらしい。
「俺がせっかく心配してやってんのに、馬鹿にしやがって……!」
「心配してくれていたわけか。それは有り難いな」
「うるせえ、クソ吸血鬼! とっとと寝ろ!」
本来の口の悪さで声を荒げたアズライトは、背を向けてドアへと向かう。顔と同じように赤く染まったアズライトの耳が目に付くと、ジルは思わずくくっと喉を鳴らした。
「アズライト、犬になってこっちへ来い」
ジルの声に足を止め、アズライトは不機嫌そうに振り返る。
「俺は犬じゃねえ、狼だ」
「ンなことはどっちでもいい」
「どっちでもよくねーよ! いつも毛が付くから近付くなって言うじゃねえか!」
「ああ……お前らの換毛期とやらは酷いもんだ。今日は見逃してやるから、早く来い。俺は寒いのが嫌いだ」
うんざりしたようにジルが溜め息混じりに言うと、アズライトは黙り込んだ。行くか行くまいか逡巡した様子を見せ、結局アズライトは言われるがままに狼の姿に成り変わる。
夏毛から冬毛に変わったアズライトの灰色の毛は、柔らかくふわふわだ。
散乱した衣服を後ろ脚で蹴飛ばし、アズライトはジルが寝そべるベッドに飛び乗った。文句を言うようにふんと大きく鼻息を鳴らして、ジルにぴったりとくっついて体を横たえる。
「犬のときは静かでいい」
言葉を話せないアズライトを見てジルは口の端を吊り上げると、横たわるアズライトの顎下を擽るように指先で撫でた。
うっとりと目を細めたアズライトは、尻尾をぱたぱたと振り始める。毛に覆われた太い尻尾は力強くベッドを叩いて音を鳴らし、機嫌が直ったことを無意識に知らせていた。
(うるせえ尻尾……)
ジルは温かいアズライトの体に腕を回すと、動き続ける尻尾の音を聴きながら目を閉じた。
アズライトの添い寝に思いのほかヒーリング効果があることに気付くのは、一度昇った日が再び沈んでからのことだった。
うるさい尻尾の子守歌 宵月碧 @harukoya2
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