第8話 チャンスはピンチ
柿Pと会食した翌日、朝目覚めると、土屋マネからLINEが届いていた。
【昨日は大丈夫だったか?】
昨日、報告をせぬまま寝てしまったので、心配をさせてしまったのだろう。
【おはようございます。報告遅くなってすみません。昨日は大丈夫じゃなかったです】
私はあわててそう送信したのち、放課後すぐに事務所へ向かうことを約束した。
事務所に入ると、土屋マネと社長が笑顔で出迎えてくれた。
私はてっきり二人とも怒り心頭かと思っていたため、その笑顔を見ただけで泣きそうになった。
ミーティングルームに通された私は、昨日の柿Pとの出来事をなるべく詳細に話した。
私が一通り報告を終えると、社長はにこやかに言った。
「まぁ、いい経験になったんじゃないか?」
その時の私は、社長の笑顔をあきらめの笑顔だと解釈した。
当然だ。柿Pに直接売り込みができるという千載一遇のチャンスを、私はみすみす逃してしまったのだから。
――もうチャンスが無いのなら、いっそのことアイドルなんて辞めてしまいたい。
そう思った私をギリギリのところで繋ぎとめていたのは、間近に迫った7月末のファーストライブだ。
別に自分のこれまでの努力なんてどうでもよかった。しかし、今私が辞めれば桜ちゃんや、土屋マネ、その他事務所の全員に迷惑が掛かることになる。それだけはどうしてもできなかった。
しかし、プロのアイドルとして初めてのステージに上がるという行為は、他人のために努力するにはあまりにも過酷なものだった。
そんな折に私は偶然、
私は一人の女子高生が背負うにはあまりにも大きすぎるストレスを忘れるため、快楽の海の奥底へと沈んでいくこととなった。
ファーストライブが終わった後も、私を見捨てたと思っていた社長や土屋マネは、これまでと同様に接してくれた。
そのため、徐々に私は柿Pとの苦い思い出を記憶の外に追いやり、いつしか完全に忘れていたのだった。
♥ ♥ ♥
柿Pとの出会いからおよそ5か月が経った今、私は社長のアトリエにいる。
目の前に座る社長は言った。
――柿Pが私に会いたいと言っていると。
「でも、私は……」
私は言葉に詰まったが、社長は私の言いたいことが分かったようで、話を続ける。
「やはりキミは誤解したままのようだね」
「誤解?」
私は首をかしげる。
「あの時、確か柿崎さんはキミに、『夏休みの宿題を早くやるように』と言ったんだったよね?」
「はい」
「それは、どういう意味だと思うかい?」
「もしかして……」
私は目を見開く。
改めて今、社長にそう問われ、私は今更ながらい柿Pの言葉の真意に気付いた。
「さすが、
社長は私の反応を見て、理解したと思ったのだろう。
「あの時私は、『普通の女子高生に戻れ』と言われたのだとばかり思ってましたが……。恐らく、その時柿崎さんが私に与えてくださった『課題』に早く取り掛かりなさいと……」
「そう言うことだね」
そう言って、社長はカップの紅茶を啜った。
「はぁ~」
私は大きな溜め息と共に頭を抱え込む。
――何故、もっと早く気付かなかった?
「それで、柿崎さんは、私の宿題の進捗状況を確認しに来るということですね」
私がそう言うと、社長は声を上げて笑ってから言う。
「そこまで柿崎さんも暇じゃないよ。萌音さんの担任の先生じゃないんだからね」
――言われてみれば確かに。
「では、なぜ私の元に?」
「単刀直入に言おう。ラジオパーソナリティーの話が来てる」
私は再び目を見開く。
「それって、『もえ学』にですか? それとも他のグループも一緒ですか?」
「いいや、萌音さん個人に、だ」
「!」
私は驚きの声すら上げられなかった。
そんな私の様子を社長はにこやかにただ見ている。
「でも、私、宿題やってません……」
「そこなんだよね」
そう言って、社長は少しだけ笑顔のトーンを落とす。
「よく一般的に『ピンチはチャンス』っていうだろ?」
「はい」
「この業界は逆だ。つまり『チャンスはピンチ』なんだよ」
「チャンスはピンチ……?」
私は復唱しながら思い出す。
「そっか。まさに前回、私が柿崎さんにお会いした時がそうでした……」
「そう。チャンスはいつ巡って来るかわからない。この前、萌音さんが柿崎さんと出会ったみたいに偶然かもしれないし、今回みたいに暗に予告されていたのにも関わらず、準備が出来ていないときに限ってチャンスが訪れたりする」
「はい……」
「だからね、そんな不意の『チャンス』こそが取り返しのつかない『ピンチ』に繋がったりするんだよ」
「はぁ……」
私は身に覚えがあり過ぎて、社長の言葉が氷の刃の様に私の胸をえぐる。
社長は柿Pの要件の詳細を話す。
「今回は、柿崎さんが直接かかかわっている番組じゃなくて、別のPの番組らしいんだけどね。今のパーソナリティーが2月から産休に入るようでね。その代役を探しているとのことなんだよ。だからまだ採用されるかどうかは分からない。柿崎さんが萌音さんと会って、どう考えるかだね」
「はぁ……」
私はいよいよ頭がクラクラしてきた。まるで首を絞められている時のような息苦しさを覚えるが、そこには全く快楽はない。ただただ苦しいだけだった。
「さぁ、どうする?」
「えーと……」
私が言葉に詰まっていると、社長は言う。
「ここは防音も完璧だ。ここで話したことは決して外に漏れることはない。俺は折角、萌音さんをここに招き入れたんだ。なんでも正直に話してごらん」
私は社長のその言葉を信じ、言葉を選ばずに話す覚悟が出来た。
「結論はもう決まってます。柿崎さんのオファー是非、受けさせて頂きたいと思います」
他のメンバーの前では決して言うことの無いであろう言葉が、ここでは自然と言えた。
「うん」
社長はにこやかに頷く。
「ただ、結論に迷いはありませんが、不安でいっぱいです。そもそもなぜ、私のところへお話が来ているのか……」
「それは、萌音さんが柿崎さんの引き出しに入ったからじゃないかね?」
「柿崎さんの引き出しに入る?」
――そんな怪盗ルパンのような真似はした記憶がない。
「そう。この業界でこういう仕事をしているとね、日々いろんな人に会うんだよ。その中で、ピンと来た人がいれば、まずは自分の記憶の引き出しに留めておく。そして、何かあった時……、例えば今回の様に、産休の代理を探しているなんていう状況になった時に、ちょうどいい人材がいないか、その引き出しを探すんだよ。それで今回、柿崎さんは、萌音さんのことを思い出したんだろうね」
「はぁ。でもなんで私を思い出してくれたんだろう……」
社長は微笑みながら言う。
「まぁ、これは俺の憶測の域を脱しないけど、折角アトリエにいるのだから話そう」
そう前置きをしてから続ける。
「まず第一に『運』だ」
「運……」
「萌音さんはあの日、偶然駅で柿崎さんに会った。その時、桜さんとは別れた後だったんだろ?」
「はい。彼女はJRだったんで」
「まず、そう言うところで既に『持ってる』とか『持ってない』とかっていうのがあるんだよ」
「はぁ」
「ついでに、柿崎さんのご自宅がが萌音さんと同じ最寄り駅だったというのも、運だね」
「はい」
「あとは、萌音さんの才能だ」
「才能?」
「まず、渋谷であった段階で、何かピンとくるものがあったんだろう。そして、食事の場面。あれはね、あの時萌音さんから話を聞いて、正直すごいと思ったよ」
「すごい? なにがですか?」
私は身に覚えのない評価に首をかしげる。
「所作を見抜かれているとか、『何ができるんだい?』という問いかけの重要性とか。恐らく桜さんや、『リトル』のメンバーだったら、気づけないんじゃないかな」
「……でも、私は答えられなかった」
「いや、萌音さんのキャリアを考えれば十分合格点だと判断されたんだよ。萌音さんがうつむく様子を見て、柿崎さんは『この子は分かってる』と判断してくれたんだろうね」
「でも次の日、社長さんはそんな事、言いませんでしたよ?」
「そりゃ、言ったらつまらないからね」
「つまらない……」
――そのせいでその後、私はマリアナ海溝より深いところまで堕ちて行ったというのに……。
「そう。きっと、あの時答えを与えていたら、萌音さんは成長しなかったかもしれない」
「……必要な痛みだったと」
「そう言うことだな」
私はなぜか母親のことを思い出した。母親も私に対してそういうことをよくやる。
「どうした? ふくれっ面をして」
「すみません。……なんか、母親のことを思い出して、つい不愉快な気持ちになりました」
社長は笑いながら言う。
「あのお母様も、そういうことをよくするのかい?」
「はい」
「なるほど。家で既に『業界仕様』で教育されてきたから、萌音さんは年齢の割には妙に社会人慣れしてるんだね」
「……確かにそうかもしれません」
「さて、今後の話だが……。なるべく急いだほうがいい。他の誰かに話が決まってしまう可能性があるからね」
「わかりました。柿崎さんのご都合で、最短の日にお願いします」
「OK! 早速連絡をしておく」
「お願いします」
「あと、初めに言ったとおり、ここでの話は他言無用だ。土屋はいいとして、少なくとも他のメンバーには話すなよ」
「わかりました」
JKアイドル♥萌音のウラのウラ まさじろ('ぅ')P @masajirou_p
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