第7話 キミは、何ができるんだい?

 ――あれは7月初旬、蒸し暑い水曜日の事だった。

 

 月末に私たち「もえもえはぁと学園」の初ライブを控え、私と桜ちゃんは土屋マネと共に渋谷のライブハウスを訪れた。

 当日お世話になるスタッフさんに挨拶をし、実際に私が立つことになるステージを見せてもらった。

 

 挨拶が終わりライブハウスを出ると、桜ちゃんはJRで帰るので、先に別れた。

 そして私は自宅へ帰るため、土屋マネは事務所に戻るために、同じ地下鉄のホームへ向かった。

 

 改札口を抜けたところで、土屋マネは足を止めた。

「あ、柿崎さんだ!」

「誰ですか?」

「関東テレビのプロデューサーさん。挨拶に行こう」

 

 私は土屋マネに連れられて、初老の男性の元へ近づいた。

 

「柿崎さん!」

 土屋マネが声を掛けると、その男性は振り向いた。

「えーと、キミは……」

「トゥインクル★プラネットの土屋です」

「あぁ、後藤くんのところの!」

「はい。いつもお世話になっております」

 柿崎さんの表情から、二人は面識があることは分かった。

 

「柿崎さん、この子はこの春、うちの事務所に入った新人でして、菊川萌音もねと言います」

 土屋マネに振られ、私は自己紹介をする。

「トゥインクル★プラネット所属の菊川萌音と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 私は深々と頭を下げた。

 

「若いね。いくつ?」

「15歳です」

「中学生?」

「高校1年生です」

「そうか」

 そう言いながら、柿崎さんは私の顔をまじまじと見た。

 

「わかった、覚えておくよ」

「お急ぎのところ、お呼び止めいたしましてすみません」

 と、土屋マネ。

「いやいや。これからもう、帰るだけだからね。後藤君によろしく伝えておいて」

「はい。かしこまりました」

 

「じゃ、私はこれで」

「失礼します」

 私は再び深くお辞儀をした。

 

 柿崎さんが見えなくなって、私は改めて土屋さんに聞く。

「有名な方なんですか?」

「そうだな。関東テレビのプロデューサーで、業界の重鎮と言っても過言ではない人だ。うちの社長も昔からお世話になってるんだよ」

「はぁ」

「柿Pと言えば、業界では知らない人はいないよ」

「柿ピー」

 私は思わず笑って言う。

「本人の前では言うなよ」

「はい!」

 

 私と土屋マネはホームで別れ、それぞれ別の方向の電車に乗った。

 電車に揺られながら、先ほどの柿Pさんのことを思い出す。

 

 さすが、渋谷の街はどこに誰がいるかわからない。そしていつ、仕事上でお世話になる人と偶然出会うかわからないものだ。


 ――東京じゃウカウカと歩けないね~。

 

 地元の駅で電車を降りると、私はまずホーム上にあるトイレへ向かった。

 そして用を済ませ、トイレから出ると、ちょうど次の電車がホームに着いたところだった。


 私はその人の波にのってエレベータに進もうとした時だった。

「あれ、さっきのお嬢さん?」

 私はその声のする方を向き、目を見開いた。

 

「柿ピー……さん!」

 

 口に出してから、先ほどの土屋マネの「本人の前で言うなよ」という言葉を思い出し、慌てて口を手でふさぐが、時すでに遅しである。

「……じゃなくて、柿崎さん」


 そんな私に、柿Pは苦笑しながら言った。

「本人の前で言うとはいい度胸だな」

「申し訳ございません!」

 私は深く頭を下げた。

 

 私の芸能人生、終了のお知らせ。

 短かったな~、ほんと。

 明日からは普通の女子高生としてひっそりと暮らそう。

 

「ところで君は、確か渋谷で別れたはずだが?」

「えっと、その後の急行に乗ったら、先に着いたみたいでして……」

「西村京太郎か、君は」

「……えっと、そう言った方は、存じ上げないんですが……」

 

 ――もう駄目だ。誰かいっそ私を殺してくれ!

 

 15年間の短い人生の前途を諦めかけている私に、柿Pは追い打ちをかける一言を放つ。

 

「まぁ、ここで会ったのも何かの縁だ。食事でもどうだい?」


 ――えぇぇぇぇぇ~! 無理無理無理無理~!

 先ほど土屋マネの言っていた「重鎮」という言葉が頭を駆け巡る。

 

「そ、そ、そんな……」

 慌てふためく私に柿Pは笑いながら言う。

「そんなに怯えなくても、取って食いやしないよ。それに後藤君には私も世話になってるからな」

 

「えっと……、そうおっしゃられるなら、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか……」

「あぁ。じゃ、行こうか」

 そう言って柿Pはエスカレーターの方へ進む。

「はい……」

 私はその後ろに続いた。

 

 ――どどどど、どうしよう、どうしよう! 土屋マネ、助けて!

 

 その時私は、事務所の「緊急用LINEグループ」の存在を思い出した。

 普段は何かあれば土屋マネ個人に直接連絡するか、もしくは桜ちゃんも含めた「もえ学」のグループLINEで連絡を取り合うことになっているが、緊急事態が発生した時は、すぐに土屋マネが対応できないこともある。そのため、私の事務所では「緊急用のグループLINE」が用意されているのだ。

 

 このLINEグループは私と、社長を含む全マネージャーが入っており、私が緊急でメッセージを送ると、すぐに誰かが対応してくれることになっている。

 

 ――間違いなく今は緊急事態だよね!

 

 私は初めてだったが、ためらわずにそのLINEグループを使うことにした。

 

 その前に、怪しまれないように、先に柿Pに話をする。

「あの、一応家族に遅くなる旨を連絡してもよろしいでしょうか?」

「あぁ。もちろん」

 

 私は急いで緊急用グループにメッセージを打った。

【地元の駅で、柿崎Pにお会いし、食事に誘われました】

 

 私は祈るような気持ちで画面を見ていると、程なくして既読が付く。

 そして返信が来た。

【柿Pなら大丈夫】

 陽菜ひなさんだ。

 

【くれぐれも粗相の無いようにね】

【社長もOKって】

 恐らく、陽菜さんも急いで返信をくれているのだろう。メッセージが小刻みに送られてくる。

 

【わかりました。いってきます】

 そう送信して、私はスマホの画面を閉じた。

 

「家族に伝えたので、大丈夫です」

「そうか、それは良かった」

 

 私は柿Pに連れられ、駅前にあるデパートのお蕎麦屋さんに入った。

 注文を終えると、柿Pはにこやかに話し始めた。

「緊張してる?」

「はい、正直……」

 そう言って私は、少しはにかむ。

「まぁ、無理もないか。さっきの土屋君に『偉い人だぞ~』って脅されてるんだろ?」

「……はい」

 そう言って私は少し笑って首をすくめた。

 

「家、この辺なの?」

「はい、新石川です」

「あぁ、じゃあ駅の反対側だ」


 そんな感じで柿Pは他愛もない世間話を続けた。そして私は、柿Pの優しそうな笑顔で、徐々に緊張が解けていくのが分かった。


 柿Pは非常に話がうまくて面白い。

 だから私は、すっかり油断して、いつの間にか世間話から仕事の話へシフトしていることに、気付かずにいた。

 

「……そっか、じゃぁ、アイドルになったのもホント偶然なんだね」

「はい」

 私はお蕎麦を啜りながら、いつの間にか近所のおじさんと話しているような雰囲気でいた。

 

「キミはこれから先、どういった分野で活躍していきたいと思っているんだい?」

 だから、柿Pがものすごく核心に迫る重要な話をしだしても、全く気付かなかった。

 

「正直言って、まだわかりません。アイドルとしてお客さんの前に立ったことも未だ無いし、そんな私が色々と言うのもおこがましいのですが……」

 柿Pは優しい笑顔で先を促す。

「構わんよ。言ってごらん」

 

 私は箸をいったん箸置きに置くと、言った。

「先輩たちがラジオ番組とか出ているのを見て、私も出演してみたいなとか。あと、CMやドラマ、映画なんかも興味があります!」

 

 無邪気にそう答える私に、柿Pは相変わらずの笑顔で続ける。

 

「なるほどね。ところで、今キミは話をする前、箸置きに箸を置いただろう。キミは最近の若い子にしては所作が美しいね」

「え、あ、ありがとうございます」

 意外なところを褒められ、そうお礼を述べた瞬間、私は凍り付いた。


 ――ヤバい、一挙手一投足を見られている!

 

 何とか笑顔を保ったが、私の心の中はパニックだ。

 

 これは近所のおじさんとの会食じゃない。きっと面接だ!

 

 ――やられた。気付くのが遅かった。

 

 私の動揺を知ってか知らずか、柿Pは追い打ちをかける。

 

「ところでキミは、何ができるんだい?」

 

 その一言は私にとってあまりに重く、一瞬にして私から笑顔を消し去った。

 

 ――キミは何ができる?

 ――アイドルとしてのキミの価値は?

 ――他の子ではなくキミを使うメリットは?

 

 それらは全て同義だ。

 

 もう、作り笑いすらできず、うつむいた。


「……ごめんなさい」

 そう言うのがやっとだった。


 それを見た柿Pは一瞬驚いた顔をしたのち、再び笑った。

「夏休みの宿題は、早めに取り組むことをお勧めするよ」

 

 ――お前は普通の女子高生に戻れ。

 私はそう言われたと解釈した。

 

 その後のことはあまりよく覚えていないが、私はともかく事務所に迷惑をかけないよう、最低限、粗相のないよう気は使ったつもりだ。

 お店を出て、私は再度丁寧に食事のお礼をした。


 柿Pは言った。

「また、どこかで会う機会があるとするならば、その時はよろしくね」

 

 私は再び深々とお辞儀をすると、その場を去った。

 その時、柿Pが私の背中を見ながらニンマリと笑っていたのは、知る由も無かった。


 

 魂を抜かれ、抜け殻となった私は、そのままふらふらと歩き、何とか家までたどり着いた。


 リビングでは母親がビールを片手に、何やら資料を広げてPCを打っている。

「ただいま」

「連絡も無しに夕飯すっぽかして、良いご身分ね」

「ごめん……」

 

 ――なんでこんな時に限って柿ピーつまみにしてんだよ!

 私は心の中で毒突く。

 

 どんよりした表情の私を見て、母親は怪訝そうに言う。

「男?」

「仕事」

「フラれた?」

「だから、仕事って言ってんじゃん!」

 

 母親はわき腹を掻きつつ、気怠そうに言う。

「話、聞くよ」

 

 私は先ほどの柿Pとの出来事をかいつまんで話した。

 

「でさ、『ところでキミは、何ができるんだい?』って言われて、私、何も答えられなくて……」

 そこまで言うと、自然と涙が浮かんできた。


 そんな私を見て、母親は噴き出して笑う。

「なにがおかしいのよ!」

「いやぁ、ごめん。意外と真面目にアイドルやってんだな~って思って」

「……どういうこと?」

 

 母親はテーブルに広げられた資料をバサバサと振りながら言う。

「今、学会発表の抄録纏めてんだけどさ、私らがやってる研究もそう。誰かと同じじゃ価値が無いのよ」

 

「ママも私にアイドルの価値が無いって思う?」

「さぁ。それはママが決めることじゃなくて、世の中が決めること。ただ、少なくともあんたの代わりがいくらでもいるんなら、わざわざあんたを使う価値は無いわな」

 

 ――正論だ。何も言い返せない。

 

 私は何も言わず、自室に戻った。そしてその夜遅くまで、私は泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る