第6話 密室

 12月に入ってはじめての月曜日の朝。私は満員電車に揺られ、学校に向かっていた。

 

 街はすっかりクリスマスムード一色。電車の窓からは爽やかな朝日が降り注ぐが、そんな景色とは正反対に、私の心はどんより曇り空だった。

 

 ただでさえ憂鬱な月曜日。しかも今朝から生理が始まって、お腹も痛いし吐き気もする。


 ――あぁ、週末の妙な性欲はこのせいだったか。

 

 私はため息をつきつつ、無気力に電車に揺れに身を任せる。

 

 

 午後。学校が終わると、今度は事務所に移動する。


「お疲れ様で~す」

 私が事務所に入ると、陽菜ひなさんがいた。陽菜さんは私を見るなり、パッとアイドルスマイルをしてくれる。

「お疲れ~」

 そのキュートな笑顔に、私は癒される。

 

 奥の給湯コーナーには、リトル♥ウイングの「さやぽん」こと紗綾さあやさんがいた。

「お疲れ様です」

 そう言って挨拶する私の顔を見て、紗綾さんは驚く。

「お疲れ……って、ホントに疲れた顔してるね。どしたの?」

 

 紗綾さんはロングの金髪で、見た目はちょっとギャルっぽいけど、凄く優しい先輩だ。

「今日から生理始まって、お腹痛いし気持ち悪いし、憂鬱なんです~」

「いゃ~、わかるわ~。薬持ってる?」

「あります。まだ飲んでないけど」

「早く飲みな~。効くのに時間かかるから、レッスンに間に合わなくなるよ」

 

 そんな女子トークをしていると、リトル担当の大塚マネが事務所に入ってきた。

 大塚マネは事務所に入るなり、陽菜さんに声を掛ける。

 

「陽菜さん、社長いる?」

「あ~、今はアトリエですね~」

「そっか、それじゃしょうがないな」

 そう言って大塚マネは自分のデスクに座った。

 

 私と紗綾さんは、淹れたてのコーヒーを持って上の階のレッスンスタジオに移動した。

 移動中の階段で、紗綾さんはとても興味深い話を始めた。

 

「ねぇ、萌音もねちゃん。社長のアトリエの噂って聞いたことある?」

「社長のアトリエですか? いや、聞いたことないですけど……」


 事務所の一角にアトリエと呼ばれる部屋があることは知っていた。そこはプロデューサーでもある社長が、クリエーターとしての活動をするスペースだということも。

 しかし、入ったことも無かったし、これまで特に気にもしていなかった。

 

「実はあのアトリエは、色々噂があってね」

「噂ですか」

 怪訝そうな表情をする私に、紗綾さんは話を続ける。

「まず一つ目は、アトリエに社長がいるときは、誰も入ってはいけない。ノックもNGなんだって」

「はぁ。それでさっき大塚マネも『しょうがないか』みたいなこと言ってたんですね」

「そう。たとえ陽菜さんでもNGらしい」

「へぇ、厳重なんですね」

 創作活動を邪魔されたくないと言う事だろうか? だとしたらそこまで不自然な話でもない。

 

 話の本題はここからだった。

「ごくまれに、メンバーが社長からアトリエに呼ばれることがあるらしいんだけどさ、そこで起こったことは絶対に他の人に言ってはいけないんだって」

「はぁ」

「しかも、アトリエは防音構造で、中の音は決して外には聞こえてこない、完全な密室。そのうえ、中にはベッドもあるらしいんだよね」

「わぁお!」

 私は俄かに興味がわく。


「呼び出されるときは決まって、オフィスには他に誰もいない時。だから、いつ誰がアトリエに入ったのか、誰も知らないのよ」

「でも、どうして誰が入ったかわからないのに、中にはベッドがあるとかってわかるんですかね?」

「それはかつて、入ったメンバーがいるからだよ」


 私たちは上のフロアに着き、更衣室に入りながら話を続けた。

 

「でも、中での出来事は秘密なんですよね?」

「その人はうっかりしゃべっちゃったのかもね。実際にアトリエに呼び出された後、すぐに事務所を辞めたメンバーもいるらしいから」

「え? それって、消されたってことですか?」

「可能性はあるかも」


 女子にありがちな、胡散臭い噂話――。

 そう考えればその通りだが、往々にしてこの手の話は、聞き手の興味をそそる様に「尾ひれはひれ」が付いてくる。それがまた、妙に信ぴょう性を増してしまうものだ。


 

 翌日。生理2日目で不快指数MAXの中、私は今日も放課後、まっすぐ事務所に向かった。

 今日を乗り越えれば明日はオフ。……と言っても学校はあるけど。

 何とか頑張ろう!

 

 事務所に着くと、今日は社長しかいなかった。

「お疲れ様です!」

 私が元気よく挨拶をすると、社長も「おつかれ~」笑顔で答えてくれる。

 

 私が給湯コーナーで紅茶を淹れようとすると、社長に声を掛けられた。

「萌音さん、ちょっと、話、良いかな?」

「あ、はい!」

 わたしはカップを出す手を止めて振り返る。

「じゃ、こっちに」

 そう言いながら、社長はアトリエの重そうな防音扉を開けた。

 

 ――え? これはもしや?

 

 確かに昨日、紗綾さんから聞いたシチュエーション――誰もいない事務所で……という条件が当てはまっている。

 

「は、はい」

 わたしは俄かに緊張しながらも、社長に招かれるままに初めてアトリエへと足を踏み入れた。

 

 アトリエの中はそれほど広い空間ではないが、入って左側にはミキサーやキーボード、スピーカーなどの音響機材と作業用の机が並んでいた。

 そして、右側には給湯コーナーと同じようなミニキッチン、ビジネスホテルにありがちなユニットバスにトイレ、そしてその奥には噂通りのベッドがある。

 

 私がアトリエに入ると、社長は重い防音扉を閉めた。

 完全な密室。これで恐らく、私がどんなに悲鳴をあげようと、外には聞こえず、助けに来ることは無いだろう。

 そんな危機的状況に、私は――

 

 私は、……俄かに興奮を覚える。


 持病の発作だ。

 社長に無理やり乱暴される様子を想像するだけで、体が火照る。

 

 私は促された場所に座る。

 デスクの上にはICレコーダーが置かれていた。私の視線に気付いたのか社長は言う。

「このご時世だからね。ここは密室だ。お互いの立場を守るために、会話は録音させてもらうよ」

「はい」

 わざわざ録音されるという行為が、私の緊張をさらに高める。

 

「萌音さんはコーヒーより、紅茶派だったよね?」

「あ、はい。……ってゆうか自分でやります!」


 私が立ち上がってそう言うと、社長は笑顔で「いいから、いいから」と言って、紅茶とお茶菓子を用意してくれた。

 

 そして、社長は私の向かいに座ると、笑顔のトーンを落とし、少し真面目な表情で言った。

 

「まず、これから話す内容だが、決して他のメンバーには言わないでもらいたいんだが、約束できるかね?」


 本当に噂通りだ。私は不安4割・期待6割くらいで頷く。

「はい……」

 

「初めに言っておくが、俺もキミたちの間で、このアトリエについてどんな噂が流れているかは、知っているんだよ」

「え?」

「キミも聞いたことがあるだろ? 噂を」

「えっと、はい……」

 ――つい昨日。

 

「全く酷いよね。俺も妻子持ちだって言うのに」

「え? 社長さん、お子さんいらっしゃるんですか?」

 私は思わず目を見開く。

「あぁ、上の子は今年もう小学校に上がったよ」

「そうなんですね~」

 私にとってはそっちの方が驚きだった。

 

「だからねぇ、俺が今日、キミを呼び出したのは、もちろんそんなことじゃないんだよ」

「そうなんですね」

 私は安堵と落胆が交錯し、つい余計なことを口走ってしまった。

「よかったです。今、生理中なので、もし要件でしたら、後日に改めてもらえないかと考えていました」

 

 それを聞いた社長は目を丸くし、次いで腹を抱えて笑った。

「おいおい! 心配するところ、そこじゃないだろう! 後日だったらいいのかよ~」

「あ、すみません! あんなにきれいな奥さんがいるのに、変なことを口走ってしまって」

「まったく、みんなの先入観はひどいよね。俺は誰とでも寝るような、だらしない人間じゃないって!」

 

 ――耳が痛い。

「申し訳ないです……」

 私は2つの意味で謝罪した。

 

「まぁ、それはさておき、本題だが」

 社長は急に真面目モードに入る。

「はい」

 私も心持ち背筋を伸ばして聞く。

 

「俺にこの部屋へ招かれるということは、極めて重要な話であったり、内密にしていなければいけない話であることは事実だ」

「はい」

「実際、ここの場所でメンバーの契約解除を言い渡したこともある」

 ――紗綾さんが言っていた辞めたメンバーの事か?

 

「今回も結果的に、キミの進退に関わる話になるかもしれないので、しっかりと聞くように」

「はい」

 私は俄かに震えだす手を必死に押さえながら社長の話の続きを待った。

 

 社長は一呼吸おいてから話し始める。

「キミは以前、……たしか夏くらいだったと思うが、関東テレビの柿崎プロデューサーとお会いしてるよね?」

「はい」

 私はその時の出来事をすぐに思い出す。私にとっては大きな失敗をした、苦い思い出だ。

 

「その柿崎さんが、もう一度キミに会いたいと言ってきているんだ」

「え? 本当ですか?」

 これには私も驚きを隠せなかった。

 

「あぁ。もちろん本当だ。ただ……」

「ただ?」

 

「キミは前回、大きな失敗をしているね」

「はい……」

「つまりは、これはキミにとって最初で最後のチャンスかもしれない」

「はい……」

 

「だから、今日、俺はキミをここに呼び出したんだ」

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