第5話 毒蜘蛛

 今日はクリスマスライブのレッスン。主に振付を見てくれるのは「トゥインクル★スター」のマネージャー、牧野美玲みれいさんだ。

 彼女自身も元アイドルである。

 

 振付レッスンと言うと、スウェットやジャージを着てやるイメージがあったが、ここの事務所では社長の方針で、なるべく本番に近い衣装でやることになっている。

 それは、衣装もお客さんに魅せる自分自身の体の一部だという考え方に基づく。

 例えば、ターンをするとスカートの裾が広がる。その裾がどの程度広がったらより美しく見えるか。それを計算して回れ、と言うのが社長の指示だ。私たちは衣装の動きも気にしながら、鏡の前で何度も同じ振付を繰り返し、練習していく。

 

「あ~、萌音もねちゃん。リボンが崩れてるよ」

「あ、すみません」

 

 美玲マネは私のリボンを結び直しながら言う。

「良い? リボンはアイドルの命なの。衣装をよく見て? リボンって一番目立つところとか、かわいく見せたいところについてるでしょ? だからリボンが崩れていたら、可愛さが台無しなんだよ」


 さすが元アイドル。指摘の内容も的確だ。

 美玲マネは、一言で言うととても優しくて、それでいて厳しい。一見矛盾しているようだが、そう言う人。

 私たちの話もよく聞いてくれるし、接し方もすごく優しいんだけど、妥協は許さない。でも、レッスン中は笑いが絶えない。そんな不思議な人だ。


 1時間ほど集中したレッスンが続いたあと、休憩に入る。

 私はカバンから取り出したスマホを見ると、LINEの通知が届いていた。

 陸斗りくとからだ。


 既読がつかない様に、通知画面で内容を確認する。

「今日の夕方、予定開いたんだけど、会える?」

 

 ――昨日は会えないって言ってたくせに。


 私は腹が立って、スマホをそのままカバンの上に放り投げた。


 3時間ほどのレッスンが終わると、入れ替えで「リトル♥ウイング」のメンバーがスタジオに入ってきた。

「お疲れ様です!」

 私と桜ちゃんは、先輩たちに元気よく挨拶する。

 

「どう? 順調?」

 リーダーの「ちーたん」こと千紗ちささんはいつも私たちの事、気にかけてくれる。

 

「はい! 何とか頑張ってます」

「リトルの皆さんも頑張ってください!」

 そう言って私たちはレッスンスタジオを出た。

 

 隣の更衣室で着替えを済ませ、下の階の事務所に顔を出して挨拶をする。

「お先に失礼します!」

「おう、気をつけて帰れよ~」

 土屋マネに見送られて私と桜ちゃんは事務所を後にした。

 

 桜ちゃんとは駅まで一緒だが、彼女は三田線。私は半蔵門線で路線が違うので、駅で別れる。

「そんじゃまたね~」

「お疲れ様~」


 桜ちゃんと別れると、私はホームに向かいながら、先ほど届いていた陸斗のLINEを開く。

 理央りおと付き合い始めた私にとって、陸斗のことなどどうでもよかった。今日だってどうせ私の身体が目当てだろうし。


 私はあんたの欲求を満たすために存在してるんじゃないんだよ!

 そう思いながら、返信をする。

 

「ちょっとなら、会えるよ」



 渋谷駅で地下鉄を降りて、私はいつも陸斗と待ち合わせをしている出口へ向かう。


 今ならまだ引き返せるかな?

 そんな事を思いながらも、私は道玄坂に面した出口で、さなぎから蝶になる。陸斗の彼女として。

 

 その蝶は残念ながら、大空に羽ばたく間もなく、毒蜘蛛の巣に引っかかる。まるで自ら飛び込むように。


 陸斗と落ち合った私は、少ない言葉を交わしたのち、そのままホテルへと向かう。


 室内に入って荷物を置くと、陸斗は私をベッドの前に立たせた。

 そして、おもむろに目隠しをされる。


 私は黙ってそれを受け入れる。


 視界を奪われ暗闇の中、陸斗は黙って私のスカートをゆっくりと降ろす。

「恥ずかしいよ……」

 しかし陸斗は何も答えず、続いてタイツを脱がす。

 

 私は何も見えない中、よろめきながらも自らタイツから足を抜く。

「見えなくて怖いよ……」

 私がそう言うと、不意に陸斗の手が私の秘部に触れた。

 

「怖いって言ってる奴が、もうこんなに濡らしてるのか?」

 

 タイツだけだと思っていたが、下着も取られていたらしい。

 私は目隠しをされて、上半身はそのままに下半身だけ晒されていると思うと、顔が熱くなった。

 

「ヤダ、やめて……」


 陸斗は「フン」と鼻を鳴らすと、今度は私の上半身も脱がした。

 

「なに? どうするの?」


 目隠しをしたまま、恐らく何も身に着けていないであろう私は、心細くて泣きそうになる。

 そんな私の気持ちにはお構いなしで、今度は耳に何かを入れられる。

 感覚からして恐らくイヤホンだ。

 そう思った瞬間、大音量の音楽が流れる。

 

「え? 何? 怖い!」


 イヤホンから流れる音楽の音量が大きく、周りの音が全く聞こえない。

 そのまま私は手首を縛られ、ベッドの上に寝かされる。

 視覚も聴覚も奪われ、上も下もわからない。そんな私のデリケートな部分を陸斗は刺激する。

 

「何、コレ! いや、怖い!」

 

 毒蜘蛛に羽を奪われた蝶は、芋虫に戻ることも出来ず、ただ生殺与奪の権を相手に握られたまま、快楽の海に堕ちていく。

 そして、何度も何度も押し寄せる波の果てに、私はいつしかその意識を手放した――。


 ♥  ♥  ♥

 

 陸斗とは、初めて体を重ねたときから、ノーマルではなかった。


 行為の最中、陸斗は不意に私の首を絞めてきた。突然襲う息苦しさ。私は恐怖のあまりパニックになる。

 

 ――殺される!

 

 しかし、徐々に頭がフワフワしていく感覚のなかで、恐怖や息苦しさとは違う感覚が芽生えるのを感じた。


 程なくして陸斗が果てて、私は息苦しさから解放される。私は暫くむせた後、陸斗を見ると、彼は気まずそうな顔をして「ゴメン」と呟いた。

 

 そして、すこしの時間をおいて、2回目。

 私は途中で呟く。

 

「首、絞めて……」


 陸斗は一瞬驚いたのち、私の首に手をかけた。

 先ほどよりも早くフワってなる感覚がしたが、その後のことは覚えていなかった。


 ふと気が付くと、陸斗が心配そうに私を見ている。

「大丈夫か?」

「あれ? もう、終わったの?」


 私は途中の記憶がすっぽりと抜け落ちていて不思議な感覚だった。

 

「ごめん、俺やり過ぎたみたいで、樹莉愛じゅりあすごい痙攣してたからビビっちゃって」

「え? マジ?」

 

 どうやら絞め堕とされたらしい。とりあえず、倦怠感はあったが、私の体は無事のようだった。

 


 しかしその夜、私の中で芽生えた新しい快楽は、私の心をどんどんと蝕んでいった。

 

 その日から私は、陸斗と体を重ねるたびに、責められることを求めた。


 サディスティックな行為とは裏腹に、私の扱いに関して、陸斗は常に紳士的だった。ロープなどで私の自由を奪う時は、すぐに脱出できるようにハサミが用意されていた。

 ギブアップの合言葉もあった。私が限界を感じたときは、「ホントに無理」って言えばすぐにやめてくれた。


 そんな安心感も、私が躊躇なく快楽の奥底に溺れていく要因だったのだろう。


 ♥  ♥  ♥

 

 私が目を覚ますと、陸斗は私の横で小さな寝息を立てていた。


 私は怠い身体を起こすと、大きく伸びをする。凝り固まった筋肉が少しずつほぐされていくのを感じる。

 

 手首には縛られたロープの跡が残る。

 ――早く消えるといいんだけど。

 

 そんなことを考えていると、陸斗のスマホが小さく鳴った。

 どうやらLINEが来たらしい。

 

 私はそのメッセージをどうしても見たい衝動に駆られた。


 陸斗は完全に熟睡しているようだ。

 私はこみ上げる衝動を止められず、陸斗のスマホに手を伸ばした。


 パスコードはなんとなく、いつもの陸斗の指の動きで知っていた。私は震える指でそのコードをタップすると、果たしてロックは解除された。

 LINEのメッセージを開かない様に通知だけを開く。

 

 みさき:りっくん、今夜は会えるにゃお? 連絡まってるにゃお~


 ――「にゃお」って……。

 

 陸斗は相変わらず、寝息を立てている。

 私は罪悪感と闘いながらも更に写真のフォルダーを開くと、私の写真以外に見知らぬ女の写真が沢山出てきた。茶髪でミディアムヘアのこの女が、恐らく「みさき」だろう。正直、私より可愛くない。

 

 不意に陸斗が寝返りを打った。

 私は急いでスマホの画面を閉じると、元あった場所に置いた。


 陸斗が目覚める。間一髪だった。

 

「ごめん、すっかり寝ちゃった」

「いや、私も今起きたところ」

 

 私はベッドから立ち上がって言う。

「先、シャワー浴びてきていい?」

「あぁ」

 

 私は浴室に入ると熱めのシャワーで念入りに汗を流した。

 理央がいるにもかかわらず、陸斗と体を重ねた忌まわしい感触をも洗い流すかのように。


 

 帰りの電車の中で、私は先ほど陸斗のスマホで見た「みさき」の事を思い出した。やはり、陸斗はクロだった。

 

 写真フォルダのサムネをめくっていくとき、気付いたことがあった。

 私の写真もみさきの写真も、服を着ていたり着ていなかったりするのだが、みさきの方は「ノーマル」な写真しかない。対して私は、「アブノーマル」な写真も含まれていた。


 ――結局そう言うことだ。

 

 陸斗も「みさき」では解放できない欲求があるのだろう。

 

 私にとっての毒蜘蛛は陸斗ではなく、私自身の中に巣くう悪魔。

 そして陸斗もまた、その毒蜘蛛の餌食となっている蝶に過ぎないのだった。

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