第4話 新しい人格

 3月31日、私は母と事務所へ出向き、専属アイドルとしてマネジメント契約をした。

 

 母が月末のこの日を選んだのは、母自身の仕事の都合もあるだろうが、月末で父が帰って来ないことを見越しての事だろう。母なりに父を気遣ったのか、それとも単に面倒くさかったのか。九分九厘後者だろうなと私は思った。

 

 契約用紙はペラペラの紙1枚だったが、「著作権」だの、「肖像権」だの、「損害賠償」だのという、今までの人生であまりお目にかかったことの無いキーワードが並んでいたのが印象的だった。

 

 

 4月1日付で、私は正式に「トゥインクル★プラネット」の専属アイドルとなった。

 が、すぐに仕事が入ることは無かった。

 事務所から呼び出されたのは、高校の入学式があった翌日、6日土曜日の事だった。

 

 事務所の入り口に着くと、まだICカードを貰っていない私は、インターホンを押す。

「はい」

 女性の声がする。初日に紅茶を出してくれた、あの綺麗なお姉さんだろうか。

「あ、鎌田です」

「はい、今開けますね~」

 そう返答があるとすぐに、「ジー」という微かな音がして鍵が開いた。

 

 私はドアを引いて中に入る。

「失礼します」

 

 私が恐る恐る中に入ると、土屋さんの顔が見えた。

 土屋さんは電話中で、私の顔を見るなり、奥の方を指さした。恐らく、以前と同じく応接ブースの方に行けと言うことだろう。

 私は電話の邪魔にならないよう黙って頷くと、応接ルームに入った。


 程なくして、初日にお会いした綺麗なお姉さんが来た。

「お疲れ様~」

「お疲れ様です!」

「ご挨拶がまだだったね」

 そう言って、その女性は首から下げたネームプレートを見せながら自己紹介してくれた。

「トゥインクル★プラネット 副社長兼マネージャーの後藤陽菜ひなです。よろしくね」

「はい! よろしくお願いします!」


 後藤、副社長と言えば――

 

「もしかして社長さんの……」

「そう、お察しの通り」

 お姉さんはにっこりと笑う。笑顔がめちゃめちゃキュートだ。

 

「娘さん?」

「妻です!」

 

 あ~、やってしまった!

「ご、ごめんなさい」

 私は耳まで赤くして謝るが、陽菜さんは笑って言う。

「いや、若く見られてうれしいよ~」

 

 陽菜さんは「現役アイドル」と言われても全く違和感なく通用する可愛らしさとスタイルだが、後から聞くところによると38歳。ちなみにやはりともいうべきか、元アイドルだ。

 

「まだ土屋マネ、かかりそうだから……」

 そう言って陽菜さんに手招きされて私は、オフィスの一角にある給湯コーナーへ案内された。

 

「お茶とかコーヒーは自由に使っていいからね。水とお湯はここ」

 そう言って、ウォーターサーバーを指さす。

「はい」

「冷蔵庫はここ。私物を入れるときは名前書いてね。誰かに食べられちゃったりするから。あと、ここのお菓子も自由に食べていいからね~。頂いたお菓子とか、社長の差し入れとかだから」

 確かに先日、母親が持参した菓子折りもこのコーナーにわずかに残っていた。


 私は早速、陽菜さんに促されて紅茶を淹れた。

「私も飲んじゃお~っと」

 陽菜さんは間近で見ても本当に可愛くて、観ているだけで癒される。

 

 私が応接ルームに戻ると、ちょうど土屋さんが電話を終えてブースに入ってきた。

「お待たせ~」

「お疲れ様です」

「お、紅茶かぁ。俺もたまには紅茶にしよかな」

 私は慌てて立ち上がる。

「あ、私入れてきます!」

 そんな私を土屋さんは右手を出して制止する。

「うちの会社、そう言う気を使わなくていいから」

「でも……」

「どこの世界にタレントにお茶入れてもらうマネージャーいる?」

 そう言って笑いながら土屋さんは給湯コーナーへ向かっていった。


 初日の社長さんや今日の陽菜さん、土屋さんの様子から、私はこの時点でなんとなくこの事務所の柔らかい雰囲気を感じ取っていた。

 ――結構いい事務所かも!

 

 土屋さんが戻ってくると、早速オリエンテーションが始まった。

「まず、これがIDカードね」

 そう言って、ストラップ付のネームホルダーに入ったIDカードを渡された。

 

 ――菊川萌音もね

 

「あれ、土屋さん。これ私のじゃないです」

 私がそう指摘すると、土屋さんは笑いながら言う。

「今日から君は『菊川萌音』だよ」

「……芸名、ですか?」

「そう言う事。ちなみに誕生日は11月29日ね」

 

 いきなり新しい人格を与えられて、私は戸惑いを隠せなかった。

 

 土屋さんと話をしていると、突然上からゴトゴトと音が聞こえてくる。

 私が不審に思っていると、土屋さんが教えてくれる。

 

「上がレッスンスタジオになってるんだよ」

 

 その後、私は土屋さんに連れられ、上の階に移動した。

 防音の分厚いドアを開けると、中ではアイドルメンバーらしき女性が4人、後藤社長、そして男性がもう一人。

 音楽が止まると、後藤社長が私を紹介してくれる。

 

「この4月から入った『菊川萌音』だ。よろしくな~」

 私は突然の紹介に驚きながらも自己紹介する。

「新しくお世話になることになりました。菊川萌音です。よろしくお願いします!」

 私は先ほど聞かされたばかりの、全くなじみのない人格で自己紹介をする。

 

「え~! めっちゃかわいい~」

「髪、つやつや~」

 

 先輩アイドルからの容赦ない誉め言葉攻撃に耐えかねて、私はみるみる赤面する。

 とりあえず母親の化粧会社のサンプルを使いまくっているお陰で、髪を褒められたのは良かった。

 

「こっちは、『リトル♥ウイング』のメンバー」

 初対面の男性がそう紹介すると、メンバーが自己紹介する。

 

「はい! リーダーのちーたんです!」

「みうみうです!」

「ここあです!」

「さやぽんです!」

「4人合わせてリトル♥ウイングです。よろしくお願いします!」


 お~! すごい!

 

「ちなみに俺は、主にリトル♥ウイングのマネージャーを担当している大塚です」

「よろしくお願いします!」


 一通り自己紹介が終わったところで、後藤社長が改めて紹介してくれる。

 

「萌音は新ユニット『もえもえはぁと学園』に入る予定なので、よろしくな!」

「はい!」

 リトル♥ウイングのメンバーの元気な声が響く。


 ――もえもえはぁと学園? それって私が所属するユニット?


 今日は頭の中に「?」が浮かびっぱなしだ。


 私は土屋さんに連れられレッスンルームを出た。

 私が部屋を出る際、リトル♥ウイングのメンバーが皆、手を振って「頑張ってねー」と応援してくれるので、私も「ありがとうございます」と言いつつ、ぎこちなく手を振り返して部屋を後にする。

 

 階段を下りながら私は土屋さんに質問する。

「えっと、さっき社長さんが言っていた『もえもえはぁと学園』って言うのが、私が所属するユニットですか?」

「そう! 後で詳しく説明するね~」

 私たちが5階のオフィスに戻ると、先ほどの応接ブース――正確には「ミーティングルーム」と言うらしい――に女性が座っていた。


 新たなお客さんかな? と思っていると、土屋さんが紹介してくれた。

「彼女は、水上 桜。キミと一緒にユニットを組む相手だよ」

 

 え? このちっちゃくてかわいい子が?

 

「水上桜です。よろしくお願いします!」

 

 ――声可愛い~! もしかしたら私より年下かな?

 そんなことを考えつつ、私も慌てて挨拶する。

「あ、鎌田樹莉愛じゅりあです! よろしくお願いします!」

「いやいや、そこは菊川萌音って言わないと」

 そう言って土屋さんは笑う。

 

 そんな挨拶を交わしていると、社長さんが現れた。

「さて、改めてお話をしようか」

 

 そう言って、社長さんが座るが、すぐに立ち上がる。

「やっぱ、なんか飲みながら話すか」

 

 社長のその一言で、皆はゾロゾロと給湯室へ向かう。私はなんか、このアットホームな雰囲気が私は早くも気に入った。


 全員が飲み物を片手に、ついでに大量のお菓子を持ってミーティングルームに戻ると、改めて社長さんからの説明が始まる。


「キミたち二人は、今日から新ユニット『もえもえはぁと学園』のメンバーとして活動してもらう。グループのコンセプトは『恋するJKアイドル』だ」

 

「はぁ……」

 余程、私は不審そうな顔をしていたのだろうか?

「どうした、萌音?」

 社長が私に問う。

 

「いやぁ、恋するJKって……。私あんまり恋愛経験ないんですが、大丈夫ですか?」

 あんまりどころか、正直全くない。

 そんな私の心配をよそに、社長は笑っている。

「大丈夫! その初々しさが良いんだよ!」

 

 すると今度は、桜ちゃんが手を挙げる。

「あの、私、JKじゃないんですけど、大丈夫ですか?」

「え? もしかして、桜ちゃん、中学生?」

 私が驚いて聞くと、桜ちゃんは控えめに答える。

「いや、19歳」

「えー!! ごめんなさい。てっきり年下だと思って」

 

 そんな様子を見ながら社長は笑いながら言う。

「恋愛経験があるとか無いとか、JKだとかJKじゃないとかは関係ないんだよ。キミたちの仕事は『恋するJKアイドル』を演じることなんだ」

「演じる……」

 私はその言葉をかみしめる。

 

「いやぁ、でも、萌音ちゃんは本物のJKだけど、私は嘘っぱちだから……」

 そう言う桜ちゃんに、社長が手のひらを向けて制止する。

「桜、嘘じゃないよ。演じるんだ」

「演じる……ですか?」

「そう。例えばサスペンスドラマの犯人役は本当に人を殺すか?」

「いや、まさかそんなことは……」

「それと同じだ。この事務所のメンバーは、自信とプライドを持ってそれぞれの役柄を演じているアイドルなんだ」

「なるほど」

 桜ちゃんも、その社長の言葉にとりあえずは納得したようだ。


 ――演じる、ね。

 私は、なんかその言葉がすごく気に入った。


 

 ♥  ♥  ♥

 

 

 あれからまもなく8か月が経とうとしている。

 私は今、スタジオに向かう電車の窓から、外をぼんやり眺めていた。


 あのとき貰った「菊川萌音」という人格は、私にとって意外と心地の良いものだった。

 自分であって、自分でない。

 樹莉愛だったらしないことも出来たし、言えないことも言えた。


 しかし、こうした快楽を伴うものは、往々にして中毒性を伴うものだ。

 それに気をよくした私は、いつの間にか意図的にいくつかの人格を使い分けるようになった。


 アイドルの私、学校での私、彼氏である陸斗りくとの前での私。


 ――そしてこの先、理央りおの前では、どんな私でいればいいのだろう。


 

 二子玉川を出ると、電車は地下に入る。

 

 学校に行くときは渋谷駅で降りる。

 事務所に行くときは神保町。


 私はこのトンネルの中で、まるで芋虫がサナギを経て蝶になるように人格を入れ替え、それぞれの駅の出口でそれぞれの人格を纏って地上に顔を出し、羽ばたく。

 

 

 今日、神保町の駅の出口を出た私は、「萌音」として冬の空を羽ばたいていった。

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