第3話 きっかけ

 ――それは突然やってきた。


 今年の春。忘れもしない3月22日、金曜日のことだ。

 私は高校の合格を報告するために、母親と共に千葉の叔母の元へ挨拶に行った。

 

 その帰り道。

 母親は会社に寄って行くというので、錦糸町の駅で別れた。

 JRを降りて地下鉄に乗り換える途中で、私は突然見知らぬ男に声を掛けられる。

 

「ちょっと~、お嬢さん!」

 

 初めは自分のことと思わず無視して歩いていると、もう一度「お嬢さ~ん」という声と共に肩を叩かれた。

 

 少し驚いて不審そうに振り返ると、年のころは40前後のおじさんが、私のカバンについていたパスケースを差し出した。

 

「落としましたよ~」

 

 なんだ、不審者じゃなかったのか。とりあえず安心。

「あ、すみません、ありがとうございます」

 私は笑顔で礼を述べてパスケースを受け取った。

「どういたしまして」

 

 どこか飄々とした雰囲気が印象的な男性だったが、私はそれ以上気にせず、その男と別れた。

 

 

 ――ふぅ、これが無ければ帰れないところだった。

 

 早速私の手元に戻ってきたパスケースを改札機にかざし、私は駅に入っていった。

 私がホームに降りると、ちょうど電車が去っていったところだ。


 ――ついてないな。

 

 私がベンチに座ると、目の前に先ほどの男が現れ、目が合った。

 怪訝そうな私の表情を察したのか、男は困ったような表情で言う。

「あぁ、ごめん。別につけてきたわけじゃなくてね、俺もこの電車に乗るんだよ」


 ――いや、別に聞いてもいないのに、わざわざ言い訳してくる時点でむしろ怪しいし。

 

「あ、先ほどはありがとうございました」

 私が今一度お礼を言うと、男は私の前を通り過ぎた。


 変なおっさん。

 そう思っていると、その男は何かを思い出したかのように引き返してきた。

 

 今度は何だ?

 流石に不審がって身構えていると、彼は私の隣に座りながら言った。

 

「あの、ちょっと話聞いてもらってもいいかな?」

「嫌です」

 

 私が即答すると、男は思わず笑いながらも、持っていたカバンの中をゴソゴソと漁りながら言う。

 

「まぁ、そう言わずに。実は俺、こう見えて芸能事務所で働いてるんだけどさ」

 

 そう言いながら取り出した名刺入れから名刺を一枚取り出し、私に差し出した。


 トゥインクル★プラネット

 マネージャー 土屋一臣


 ――え? なに? スカウト?


 私はこの時点で既に不審半分、興味半分だった。

 

「一応、会社の決まりでこっちも見せないといけないんだよね」

 そう言いながら、男は首から下げていたネームフォルダーを私に見せる。こちらは顔写真付きのICカードのようなものだった。

 

「まぁ、こんなの見せられても、怪しいとは思うけどね」

「え、まぁ。えっと、まさかとは思いますが、これってスカウトってやつですか?」

「まぁ、そのまさか、かな?」


 私はいまだ不信感満載だったが、ほんのちょっと興味の方が勝ってしまった。

 

「えっと、モデルとか、タレントとかですか?」

「うちは主に女性アイドルなんだけど」


 アイドル? この私が?

 

「アイドルって好き?」

「まぁ、それなりには……」

「トゥインクル★スターは知ってる?」

「TikTokとかで見たことはあります」

「あの子たちの事務所」

「え? そうなんですか?」


 ――ヤバい! 不審と半々だった興味が70%くらいになっちゃったんですけど?

 

 それでも私は、ためらわず不審感をそのまま口にする。

「でもスカウトって普通、原宿とか渋谷じゃないですか? ここ錦糸町ですよ?」

「まぁ、そうだよね」

 男は笑いながら続ける。

「俺も別にここでスカウトするために待ってたんじゃなくて、会社に戻る途中でね。たまたま君を見つけたから、ダメもとで声を掛けてみたってわけ」

「ダメもとで……ですか」

 

「いやぁ、そうだよ。スカウトする方の身にもなってごらんよ。人間不信になるから」

「そうなんですか?」

「警察呼ばれそうになったこともあったし」

 

 この土屋という男、話し方があまりにも自然で、嘘をついているようには見えなかった。

 

「キミ、中学生?」

「この春から高校です」

「そうか、それは良かった」


 何が良かったんだ?

 

「家どこ?」

「三茶です」

「それは好都合。うちの事務所、神保町だから半蔵門で一本だ」

 

 ――しまった、下北って言っとけばよかった。

 

「もし興味あるんなら、話だけでも聞いていく?」

「正直、興味はありますけど……」

「怖い?」

「はい」

「そうだよね」

 

 男は私をどこまで本気でスカウトする気があるのかわからない態度で続ける。

 

「とりあえずさ、ここから事務所まで俺が前を歩くから、途中で気が変わったり、怖くなったら逃げなさい。それならいいかい?」

「は、はい」

 

 なんか、思いのほか気遣ってくれているような気がして、なんとなく安心してしまった。

 あとから思えば、本当に怖いことだったと思う。

 

 結局私は神保町の駅で降り、男の斜め後ろに付いて歩いて行った。

 路地を曲がり暫く歩くと、男は古いビルに入っていった。フロア案内には確かに「トゥインクル★プラネット」の文字がある。


 男と一緒にエレベータに乗る。突然の密室で俄かに緊張が走るが、男は相変わらず飄々とした態度のまま5階で降りる。

 男がICカードをかざしてオフィスの入り口を開け中に入り、私はそれに続く。

 

 狭いオフィスの奥には中年の男性と20代くらいの女性。

 土屋という男は、その男性に声を掛ける。

 

「後藤さん、戻りました。この子がさっきLINEした子です」

 わたしは突然紹介され、会釈する。

「ようこそ! 土屋、まずは奥に案内して。後から行く」

「はい」


 私が奥の応接ブースの様なところに案内された。

 コートを脱いで椅子に座ると、先ほどオフィスにいた女性がお洒落なカップに注がれた紅茶とクッキーを私の前に置く。

 

「よろしければどうぞ」

「ありがとうございます」


 女性が退出すると、私をスカウトした男が向かいに座った。

 

「改めまして、トゥインクル★プラネットのマネージャー、土屋です。よろしくお願いします」

「あ、鎌田樹莉愛じゅりあです。よろしくお願いします」

 

 土屋さんはタブレットを開きながら、早速本題に入る。

 

「まずはこの後の流れからね。はじめに当社の事業内容を簡単に説明します。その後、質疑応答を受け付けます。基本的に今日はそこまで。もし当社でアイドル活動をやってみたいなってことになったら、後日、親御さんと一緒に来てもらいます。そこで、正式な契約と言う事になります。よろしいですか?」

「はい」

 

 なんか、思ったより事務的で、意外としっかりしてるなという印象。

 その後、土屋さんはタブレットを使いながら、所属のアイドルやタレントを紹介してくれたり、報酬の話などもしてくれた。

 

 一通り土屋さんの話が終わるころ、先ほど奥にいた中年の男性が応接ブースに入ってきた。

 彼は名刺を差し出しながら自己紹介する。

「当社の社長兼プロデューサーの後藤です。よろしくお願いします」

 

 社長さんだったのか~。

 

「よろしくお願いします」

 私は名刺を受け取る。

 

「彼女、家、三軒茶屋なんですって。ここからも一本だからちょうどいいですね」

 土屋さんがそう社長さんに説明すると、私は俄かに焦って口を挟む。

 

「あ、すみません。さっきは嘘をつきました」

「嘘?」

 土屋さんは怪訝そうな顔をする。

「すみません。本当は横浜です」

「横浜!? 横浜のどこ?」

 目を見開く土屋さん。私は正直に話すことにした。

「……ホントは『たまプラ』です。ちょっと盛りました」

 

 それを聞いた社長さんは豪快に笑い出す。

「いいねぇ~、キミ! 盛り方が」

 その横で土屋さんも苦笑いする。

「まぁ、たまプラーザならどっちにしろ半蔵門で一本だけどさ。まぁ、さっきの話の交通費の条件は変わってくるかも」

 そう言う土屋さんに、社長は尚も笑いながら言う。

「いや、そのぐらい出してやれよ。良い! この子、気に入った!」

 

 その後、社長さんからもいくつか私に質問があった。

「ご両親は何されている人?」

「父は銀行員、母は化粧品会社勤務です」

「3人家族?」

「はい、そうですが、父は単身赴任で仙台にいます」

「そうなんだ。家族とは仲良し?」

「うーん、ボチボチですかね。父は週末しか帰って来ないんですけど、帰ってくると正直ウザいです」

 社長さんは苦笑する。

「そっか~。お母様は?」

「母は化粧品会社の研究員で、大学院も出ていて尊敬はしてますけど……、もう少し家事をしっかりやってほしいですね」

 私の話に社長は腹を抱えて笑っていた。

 ちょっと正直に言い過ぎただろうか?

「じゃ、後は家に帰って、家事手伝いながら、親御さんと相談して決めなさい。あと、土屋と連絡先交換して、適宜連絡してくださいな」

「はい」

 そう言って、社長は退出した。

 

 私はその後、土屋さんとLINEを交換して事務所を後にした。


 ♥  ♥  ♥

 

「あんたがアイドル? ウケるんだけど~」


 テレビを見ながら缶ビールを飲む母親の横で、私は洗濯物をた畳みながら今日の話を切り出した。

「私だって、柄じゃないとは思うけどさぁ~」

「何? あんた、興味あんの?」

 私は母親から目をそらして呟く。

「……無くはない」

 

「ぶ~!」

 再び噴き出して笑う母親に、私は畳んでいた父親のパンツを投げつける。

 

「ちょっと! 一番汚いやつ投げないでよ!」

「ママが笑うからでしょ?」

 そう言って母を睨みつける私をよそに、母は手元のスマホをいじりだす。


 ――何だ、興味ないのかよ?

 

 そう思った瞬間、母は言う。

「今週は無理。30日の午後か、31日だったら、一緒に事務所行ってあげるわ」

「ホント?」

 私は俄かに笑顔になる。

 

「いや、あんたがやりたいならね。もう高校生になるんだから、自分でよく考えて決めなさい」

 

 私は珍しくまともなことを言う母親のその言葉に、心なしか背筋が伸びた。

 

「わかった。パパは?」

「あ、パパには言わない方が……良いんじゃない!」

 そう言って母は、私が先ほど投げた父親のパンツを思いっきり投げ返してきた。

 

 

 ――翌日、私は土屋さんに連絡し、31日の昼、私と母は事務所にお邪魔することとなった。

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