第2話 萌音と私

 翌朝、私は目覚めてスマホを見る。時刻は11時過ぎ。もうお昼だ。

 今日は完全なオフ。まだ寝ていたいが、トイレには行きたい。

 

 仕方なくベッドから起き上がりトイレに向かうが、ちょっと歩くだけでもこの上ない倦怠感が襲ってくる。

 本当にトイレに行かないアイドルが存在するのなら、お目にかかってみたいものだ。

 

 自室に戻って、昨夜の出来事を思い出す。


 

 理央りおにとって昨夜は初めての経験だったので、案の定、色々とスムーズにはいかなかった。

 それでも私が誘導して何とか体を重ねることが出来たが、1度目は理央がすぐに果てた。

 十分な満足が得られなかった私は、2度目で上になったが、それでも思うようにいかずモヤモヤは残った。

 

 そして、そんなぎこちない時間を経たあと、理央は私に「付き合ってほしい」と交際を申し込んできた。

 

 ――思わず「順番が逆だろう!」と、突っ込みを入れたくらいにして。

 


 私にとって「付き合う・付き合わない」はどうでもいいことだったが、理央にはそれが重要らしい。

 私は正直面倒くさかったので一度流そうとしたが、理央はそれを許してはくれなかったので、とりあえずOKを出した。

 別に断る理由もなかったし、何なら断る方が面倒くさいと感じたから。

 

 理央が帰った後、私は不思議と穏やかな気持ちになった。

 トキメキは皆無だったが、そこには今までにない安心感があった。

 

 しかし、心は不思議と満たされているのに、私の身体はどうやらそうではないらしい。

 まだ理央の感覚が残る私の身体が疼く。

 私は未だ消えぬ小さな火種を、自らの指で始末する。

 そして、小さく繰り返す痙攣に身を委ねながら、そのまま眠りに就いた。


 

 改めてスマホを開くと、朝9時前に理央からLINEが届いていることに気付いた。

【昨日はありがとう。バイト行ってくるね。樹莉愛じゅりあは今日休みだろ? ゆっくり休んでね】

 

 お前は私の彼氏か?


 そう心の中で突っ込みそうになり、ふと冷静になる。

 そうか、彼氏になったんだっけ。


 そして、私はふと気づいた。

 ――あれ、彼氏が二人になっちゃった。

 

 面倒くさいから、陸斗りくとも当面キープしておくか。でも振られるのは癪だから、無理そうになったタイミングで私から振ろう。

 

 色々考えていたら目が冴えてしまった。身体はだるいが腹は減る。

 私はリビングに降りて、昨夜の残り物をレンジで温めなおす。

 

 YouTubeを適当に見ながらご飯を食べていると、理央からLINEが届く。

【今から昼休憩。あのさ、今日15時でバイト終わるんだけど、その後、樹莉愛の家に行ってもいいか?】

 

 私は思わず舌打ちをした。

 私はこれまで、ドライな恋愛しかしてこなかった。私が会いたいときだけ会えればいい。そして、火照った身体を癒してくれさえすればそれでいい。

 それ以外はむしろ干渉してほしくない。

 

 それなのに、理央はなんだ?

 この先も毎日何度LINEしたりとか、毎日の様に会ったりとか、考えただけでも虫唾が走るんですけど。

 

 そんな、流行りのアイドルソングみたいな恋愛は真っ平御免だ。


 そこまで思って、私は笑いが沸々と込み上げてきた。

 そんな流行りのアイドルソングを歌っているのは一体どこの誰だ?

 

 私はふと、奇妙なことを思いついた。

 いつも私が歌っているような可愛い女の子を演じてみるのも面白くない?

 

 私は理央に返信する。

【わかった、待ってるね♥】

 

 ハートマークなんかつけちゃって、キモっ!

 

 まぁ、「もえもえはぁと学園」の私が言うのもなんだけどさ。


 ♥  ♥  ♥

 

 15時過ぎ。予告通り理央は我が家にやってきた。

 

「昨日はありがとう。ホント助かった。あと、なんか、流れであんなことになっちゃって……」

 そう言って理央は私から目をそらす。

「後悔してる?」

「そんな、するわけないだろ」

「そっか」

 

 ヤバい。なんか、気まずい。


 私は話題をそらす。

「理央、バイトって何してるの?」

「コンビニだよ。線路の反対側のセブン」

「へ~そうなんだ」

 

「樹莉愛は?」

「え? 私?」

 

 私は一瞬返答に困った。今まで彼氏にアイドルをやっていることなんて話したことなかった。

 いつも適当に「飲食店」とか誤魔化してた。

 バイトの話を振ったのは墓穴だった。

 

 ただ、その時、なんとなく、理央なら話してもいいかなって思った。

 どうせ親経由でバレるかもしれないいし。

 

 ――そもそも、なんで私、今までの彼氏に嘘ついてたんだっけ?

 まぁ、この際それはどうでもいいや。

 

「私ね、実はアイドルやってるんだ」

「はい?」

 私はさらりと告白するが、さすがの理央にとっても、私の回答は想像の斜め上を行くどころか、場外ホームランだったらしい。

 

「あ、アイドルって、AKBみたいなやつ?」

「そう、AKBみたいなやつ」

「樹莉愛が?」

「うん。まぁ、事務所の規模が全然違うけど」

 

 相変わらず鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている理央をよそに、私はスマホでグループのサイトを開いて見せた。

「この『萌音もね』って言うのが私ね」

「うわ~、すげーな!」

 

 スマホの写真を見て感嘆の声を挙げる理央を横目に、私はクローゼットから萌え系の衣装を引っ張り出す。

 

「こんなの着てね~」

「お! それは、ステージ衣装か?」

「いや、ライブの時の衣装は事務所管理だから。これはあくまで私服」

「そうなんだ~」

 

 私はかわいらしいワンピースをあてがいながら言う。

「着てみようか?」

「おぉ! 折角だから」

「おっけ~」

 

 私はいったん衣装をクローゼットに掛けると、おもむろに着ていた服を脱ぎだす。

 

「おい、ここで着替えるのかよ?」

「昨日、それ以上の事しといてそこ気にする?」

「いや、なんか、そう言われると……」


 理央はそう言いながらも、私に背を向けた。

 別に気にしなくてもいいのに。

 

「アイドルって、恋愛禁止じゃないのか?」

 理央が後ろを向いたまま話しかけてくる。

「事務所によるんじゃない? ちなみにうちは『絶対にバレるな』って言われてるからよろしく」

「マジか……」

 

「はい、着替えたよ」

 私が声を掛けると、理央は私の方を振り返った。

「おぉ、確かにアイドルだな!」

「まぁ、メイクとか髪型いじってないから不完全だけどね~」

 

 私は平然を装いながら、実はさっきから理央の反応をいちいち気にしていた。

 アイドルをやっているって言って、正直ドン引きされたらどうしようとか思ってたけど、理央の反応は想像していたよりもずっとライトだった。

 それがまた、新たな不安を誘う。

 

 ――私に興味ないの?

 

 

「ねぇ、理央」

「なに?」

「正直、私が『アイドルやってる』って聞いて、どう思った?」

「どうって?」

「いや、なんか思ったより反応薄いなーと思って」

「そうか? まぁ、驚きはしたけど、でもどんな格好してても、樹莉愛は樹莉愛だろ?」

 

 私はその一言にハッとした。

 

「え、ちょっと待って? 私がいつも、どれだけ準備してメイクして、髪型整えて、声のトーンまで変えて、一生懸命『萌音』を演じているというのに、それでも理央は『樹莉愛と変わりない』って言うの?」

 

「あぁ、なんか気に障ったら申し訳ないけど、でもまぁ、どんなに華やかなステージにいても、それも含めて樹莉愛だろ?」

 

 ――あれ?

 

 私の中で、何か大きなものを動かされた気がした。

 

「私が今まで苦しみもがいてきた、私と萌音とのギャップを、理央は埋めてくれるというの?」

 

 私がそう思わず呟くと、理央は意味が分からないという顔をして言う。

「ギャップ? ってゆうか、その『萌音』も含めて樹莉愛だろ? って言ってんの」


 何を当たり前のことを、とでも言うように、さほど興味もない素振りで私に背を向け、理央は紅茶を飲む。

 

「理央……」


 何だろう、私がこれまでずっと悩んできたことが、まるで初めから無かったかのように理央が消し去ってくれた気分。

 私は不覚にも涙が出そうになったが、必死にこらえる。

 

「なんか私、今、理央の背中を蹴りとばしたい気分」

 そう呟くと、理央はあわてて振り向く。

「おい、やめろ! 綿矢りさ先生じゃないんだから」

「誰それ?」

「知らんのか? 芥川賞作家だけど」

「わかんないけど、なんか理央のお陰でスッキリした。ありがとう」

 

 そういって私が笑うと、理央は立ち上がって抱きしめてくれた。

 そして、目と目が合うと、自然にキスをする。

 

 長いキス。そのうち、理央の右手がスカートの中に侵入してくる。

 私はその手をとって理央に言った。

 

「この服、汚したくないから、先に脱いじゃって良い?」

「え? いや、なんか……、萎えるわ~」

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