第7話


 ぴく、と手の平が感じとった。

 軍医達が気を遣い、廊下で静かに話す声が聞こえていたが、フェルディナントは代わりに見ておきますから休んでくださいという騎士たちの言葉を全て拒否して、ネーリの側にいた。

 処置は終わったが、目が覚めないと無事かどうか分からなかった。

 血はかなり失っていたから、それが気掛かりだと言われた。

 何日だろうと、待ってやると思った。ネーリが目覚めるまで、絶対側を離れないと。彼の手首を握り締めて、ずっとそこにいた。

(俺は、ネーリの声が聞きたい)

 自分の動揺は竜騎兵団全体の士気に関わる。本当は私情に走るのは慎むべきだったが、構うものかと思った。

 その一瞬だけを願って、祈っていたフェルディナントは天青石セレスタインの瞳をハッと開いた。

「ネーリ、」

 顔を覗き込んで、呼びかける。

 長い睫毛が揺れた。

 祈るように見守る中で、やがて瞳がゆっくりと開く。

 会いたかった、ヘリオドールの光。

 美しい、その輝き。


「ネーリ」


 数秒光は彷徨ったが、そのうちに、フェルディナントを見つけてくれた。

「……フレディ……」

 ネーリの頬に手の平でそっと触れる。

「……大丈夫か? ……俺が分かるか?」

「……あのね、……ぼく、幸せだからって、伝えてね……」

 フェルディナントは目を瞬かせた。

 その顔を見て、ネーリは自分が夢を見ていたのだと、遅れて気づいた。

「……ううん……いいんだ」

 もう祖父はいない。

 誰もいない。

 ネーリは目を閉じた。

 ひどく疲れた。こんな感覚は初めてだった。眠る前自分は何をしていたっけ……、と考えようとしたけど、何も思い出せない。でも、きっと大して重要なことじゃない。

「ネーリ」

 フェルディナントが覆い被さるように、仰向けに眠るネーリを抱き寄せた。肩に激痛が走ったが、疲れて、声も出なかった。

「怖かっただろ……もう、大丈夫だ。絶対にお前には誰にも手出しはさせない。神聖ローマ帝国に連れて行ってやる。そこなら、お前を傷つけるものは絶対に入って来ない。俺が必ずお前を守ってやるから」

 フェルディナントの声が、

 言葉が、

 はっきりと認識できたわけではなかった。

 ぼんやりとした頭のどこかで、それを聞く。

 何を言われているのか、その時は分からなくても、ただ、響いて来る音がとても優しかったから、きっと優しいことをフェルディナントが言ってくれているのだということだけは、分かった。


「………………いたい……」


 呟いた。

 祖父が死んで、王宮を出て、一人でヴェネトを彷徨った。

 目的地も、行きたいところも、どこか別にあったわけじゃなかったけど、離れ難くて。


 痛いとか、

 寂しいとか、

 悲しいとか、


 いつしか口に出さなくなった。

 聞いてくれる人もいなかったし、言ったって自分に返るだけだったから。

 あれは、共に生きてくれる人がいる時に言う言葉なのだ。

 自分を分かって欲しくて。

 一人なら、言う必要はない。

 意味もない。

 一人なら、痛いも寂しいも悲しいも、自分が一人で何とかしなければならないのだからだ。

 誰かといるなら、

 意味が生まれる。

 そのひとが、その、どうしようもない感情や感覚から、救ってくれる。

 それなら側にいてやると笑って抱きしめてくれる。

 涙が零れた。


「……肩がいたいよ……フレディ……」


 訴えたのに、フェルディナントは一層強く両腕で抱きしめて来た。

 まるでそうすれば、痛みがなくなると、信じ切ってるみたいに。

 痛みは消えない。

 それでもフェルディナントの温かさを感じて、ネーリは微笑うことが出来た。


【終】


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