第9話 第三の事件


 ――だから、関わりたくないっちゅうに!


「あの、なぜ私たちについてくるのでしょうか? 昨日下見をしたから講堂の場所なら把握していますよ?」


 明琳は講堂への道を進みながら、少し前を行く朧月に困り顔で尋ねた。


「ルルン王女がそなたにくっついているからな。命を狙われたばかりの王女に護衛をつけないわけにもいくまい」


 朧月にそう言われ、腕にしがみついているルルンに目を向ける。

 部屋にやって来てからずっと明琳にまとわりついていたのだ。


 ――まあ、なつかれちゃったみたいだしなぁ……。


「俺がそばにいるのは嫌なのか? 大抵の女性は俺が近づくと喜ぶものなのだが」


 明琳は、ここに来るまでに見た女性たちの顔を思い起こす。

 確かに、朧月を目にした女性は皆、頬を赤らめて喜んでいる様子だった。

 ……まあ、顔は良いからな。ルルンを助けるため池に飛び込んだり、わざわざ彼女たちのことを教えに来てくれたり、正義感が強くて親切な人でもある。彼が提督東厰でなければ、自分も同じような反応をしていたかもしれない。

 せめて彼がただの宦官ならよかったのに。


「別に嫌なわけじゃないですけど……」


 そう、彼のことが嫌いなわけではない。身分のことがなければ好感さえ持てる。


「そうか。俺はそなたを気に入ったぞ」

「……えっ!?」


 朧月の思わぬ発言を聞いて、明琳は一瞬ドキッとした。


「ルルンも芳杏気に入った!」

「……わ、私も」


 桂玉までもが控えめに手を挙げて明琳への好意を示してくる。


 ――ああ、朧月様も恋愛的な意味で言ったんじゃないよね。たぶん、何度か人助けをしたから、人として好ましいと思われただけで……。


 朧月の発言について推察していると、暁華が明琳の腕を引いて朧月から少し離れた場所へ移動し、耳もとでささやいた。


「さっそく菜戸さいこを確保するなんて、やるわね」

「……え? 菜戸って?」

「愛人のことよ。下位の妃嬪や宮女は皇帝の寵愛を得ることなんてまずないから、密かに宦官を菜戸にする女性も多いのよ。同性間で対食たいしょくという関係を結ぶ女官や宦官もいるのだとか。もう菜戸の候補を見つけるなんて」


 ニヤニヤと笑って説明した暁華に、明琳は真っ赤になって否定する。


「ちょっと、愛人なんて作るわけないでしょう! 私は後宮に残るつもりなんてないんですから」

「あら、そうだったわね。せっかく良い男を見つけたのに。じゃあ、私が狙ってみようかしら」

「暁華様! 彼は提督東廠なんですよ?」


 小声で暁華を咎める明琳に、朧月は訝しげな顔をして問いかけた。


「おい、何をこそこそ話している?」


 明琳はギクリとして朧月に目を向ける。

 彼を愛人にするなんて、こんな話を追及されては大変だ。早く話題をそらさなくては。


「犯人が見つからなくて不安だという話をしていたんです。また誰かが狙われる可能性があるのでしょう? 今考えると、香蓉様が毒蛇に噛まれたのもただの偶然だとは思えませんし」

「ああ、その話なのだが、おそらくは――」


 明琳の出任せに反応して、朧月が何かを説明しようとした時だった。


「きゃ~!」

 

 講堂の方角から響いた女性の悲鳴に驚き、明琳たちは瞠目して顔を見合わせる。


 ――まさか、また誰かが……。


 明琳はほとんど反射的に悲鳴が聞こえた方向へと走り出した。

 医療を必要とする人がいる可能性を考えたら、無視することはできない。


 当然のように朧月と好奇心旺盛な暁華も後を追ってくる。

 医学の知識を身につけていることはすでに十分知られているのだ。今さら二人がいることを気にする必要はない。

 彼らと一緒に道を走っていると、講堂近くのきざはしの下に倒れている女性の姿が見えた。


「大丈夫ですか!?」


 明琳は声をあげて女性に駆け寄り、顔や体を観察する。

 小花柄の上品な襦裙をまとった二十歳ぐらいの女性だった。長い黒髪は一部を高髷こうけいに結いあげて簪を挿し、残りは背中に流している。うつ伏せに倒れるたたずまいにも気品があり、秀女以上の身分であることは一目瞭然だ。

 手を擦りむき、苦しそうな顔をしていたが、意識はあった。


「おい、話せるか? いったい何があった?」


 朧月が女性の上体をゆっくり支え起こして尋ねる。


「そ、それが、階段を下りようとしたら、後ろから誰かに背中を押されて……」


 女性の回答を聞いて、明琳たちは大きく目を見開いた。


「怪しい者がいないか周囲を調べろ!」


 後についてきていた宦官に、朧月が指示を出す。


「はっ」


 宦官の一人が返事をして去っていき、江太監と呼ばれていた宦官がその場に残った。


「意識はしっかりしているようだな。自分の名前を言えるか?」


 女性は朧月の問いかけに頷き、おずおずと口を開く。


陸雪麗りくせつれいと申します。昨日後宮にあがったばかりの秀女です」

「陸、雪麗? もしかして、陸兵部尚書へいぶしょうしょの息女か?」

「さようです」

 

 兵部尚書。軍事を司る部署の長官だ。つまり高官の娘。

 明琳は情報を整理し、ある結論に辿りつく。


「烏乞の王女、尚書令の娘に続けて襲われたということは……」


 さすがに三回も続けば、ただの偶然ではないだろう。


「ああ。身分の高い秀女、四夫人候補が狙われているということだ」

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身代わり妃の後宮診療録 青月花@小説&コミックス2月発売 @setu-hana

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