05 百年アヤカシと千年樹


 煙のにおいが漂っている室内で男性が深々と頭を下げている。相手は白髪で銀縁眼鏡をかけている老人だ。


 コダマと名乗った男は建築現場で働いているような作業服を着ており、髪をオールバックにしてきちんと身なりを整えている。老人の姿でいるアヤカシにていねいに説明してくれた。


 この建物は前々から取り壊す計画になっていて2週間後に解体作業が始まる。最終チェックの際に家を守るアヤカシの存在に気づいた。そこで取り壊すことを伝えにきたのだ。


「クロムの説明が下手で正しく伝わらず、大変失礼しました。

 そして宇咲うさきの暴挙をお詫びいたします。申し訳ありませんでした」


 老人は黙ってコダマの話を聞いていた。頭を下げられたが納得がいかず口を開いた。


「取り壊しになることはわかった。

 それでもこの家を離れるつもりはない。

 家人が帰ってくるのをここで待つ!」


 ここにとどまることができないのはわかっているはず。それでもかたくなに残ろうとするアヤカシの意志の強さが伝わり、コダマは真実を告げることにした。


「家の持ち主はお亡くなりになっています。

 相続する者がいないため手入れができない。だから老朽化が進んで崩壊の危険性が出てきました。それで取り壊しが決まったのです」


 老人は目を見開き言葉を失って呆然ぼうぜんとしている。コダマは視線を落とすと独り言のように小さな声で話しだした。


「ヒトの一生はとても短い。

 あっという間に生命いのちは終わり、知っている者はいなくなってしまう。

 ヒトとアヤカシは異なる……。人間は本当に儚い存在だ」


 しみじみと話すコダマに視線を向けた途端に老人の表情が変わった。


「あなたは……木の精霊……いえ、御神木だった方ですね。

 あなたほど長く時を過ごせばヒトの嫌な面をたくさん見てきたことでしょう。それなのに、どうしてヒトといるのですか?」


 樹神こだまは答えない。だが慈しむような目をして思いを馳せている彼を見て老人は気づいた。


我々は地に根を張って動くことができず同じ場所で生涯を終える。

 でもこの方と一緒にいる人間は特殊なようだ。

 ヒトを好きでいられて、共にいたいと想える大切な者なのだろう……。

 私にもそんな人たちがいた)


 わだかまりが消えて自然と笑みがこぼれた。老人は晴れ晴れとした顔で宙を見た。


「家人が帰らぬのなら私の役目は終わりです。

 ここから去りましょう」


「……私たちと共に来ますか?」


「お気遣いは大変ありがたいのですが、あちら側で家人と再会したいのです」


「そうですか」


「教えてくださり、ありがとうございました」


 老人は深々とおじぎをするとゆっくりと姿を消した。


 パキッと乾いた音がして老人の背後にあった大黒柱に大きな亀裂きれつが入った。


「お疲れさまでした」


 樹神は柱に触れて家を後にする。少し離れると家はゆっくり倒壊した。崩れた家の中から光る丸い玉が現れると、ふわふわと舞い上がり天へ消えていった。




 見送った樹神は地上へ視線を戻すとため息をこぼした。


「宇咲さんはどうして私の邪魔をするんですか!」


「邪魔? 違うわよ。

 アンタがとろいから手伝ってあげたんじゃない!」


「手伝いはいらないって、いつも言ってるじゃないですかっ」


「ワタシがいないと何もできないくせにぃ~」


 アヤカシに誘い込まれ、眠らされているビジネスパーソンの近くで大声を出している。騒がしさから男性は今にも目を覚ましそうだ。


「もうやめなさい。

 ヒトが目を覚ましてしまいます」


 注意しても白熱して耳に入っていないようだ。


「……いい加減にしないと棟梁ボスに報告しますよ?」


 ぎゃいぎゃいとうるさかった声がぴたりとやみ、少女と猫又の動きが止まった。示し合わせたかのように同時に振り向くと叫んだ。


「「それだけはダメ!」」


 あっさりと喧嘩をやめ、あわてて樹神のもとへやって来ると謝り始めた。


「ちょっとふざけただけじゃない。悪かったわ」


「すみません。もう大声は出しませんっ」


 樹神は黙ったまま必死に謝り続ける様子を見ている。そのうち表情を緩めて口を開いた。


「帰りましょうか。

 クロムくんはヒトに変化へんげして、その男性をおぶってくれますか?」


「任せてください」


「ワタシは警察へ連絡すればいいのね?」


「ここから10分ほどの場所に公園がありました。

 そこへ連れて行くので20分後に電話をかけてもらえますか?」


「わかったわ。じゃあ、まったねぇ~」


 手を振りながら少女は軽い足取りでビルの合間に入っていった。猫又は再び若者の姿に変わると眠っているビジネスパーソンを背負った。


 樹神が先を歩いて小径こみちを通っていく。オフィス街に出るときらびやかな光の中に消えていった。




――― 『凍星いてぼしの街』 百年アヤカシと千年樹  了 ―――

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凍星の街 神無月そぞろ @coinxcastle

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