03 境界線


 声がしたほうへ振り向くと、少し距離を取った位置に男がいる。建物に入ると物音がして気づくはずだが何も変化はなかった。


(一体、いつからいたのか)


 男は細身で170センチは超えていそう。上下に黒い服を着ているせいで闇に溶け込んでいるが、黒髪に入っている明るいオレンジと白のメッシュが存在感をアピールしている。大学生くらいに見える若者だ。


「これは、これは。お客様がいらしていたとは。

 気づかず大変失礼しました」


 やんわりと対応してみたが男は顔色を変えずにいる。それに暗い室内にいるのにとまどう様子も見られない。


「暗くて申し訳ない。今、電気を点けます」


 壁際へ行ってスイッチを入れると再び店内が照らし出された。


 男はゆっくりとうろつき始める。近くにあったターンチェアに手をかけると飛び乗った。回転するのが面白いようで嬉々とした目で椅子を左右に回し続ける。


 いきおいをつけると座ったまま一回転させた。元の位置にうまく戻れたことでやっと満足したらしい。視線を上げて老人と目を合わせるとにやりと笑った。


「じいさん、茶番は不要だ」


 椅子のきしむ音がやたらと大きい。老人は後ろ手で男を見たまま沈黙して動かない。


 ふいに老人の体がひずんだ。体の輪郭がおかしい。モニターに映し出された画像のドットが欠けたように徐々に崩れ始めている。


 輪郭が欠落すると欠片かけらは縮んでいき、最後は霧のようなものが舞う。最初はゆっくりと欠けていたが、上体から下るにしたがってスピードが増していく。


 老人の姿が完全に消えてしまうと、どこからともなく声がした。


『何者だ? いつからいた?』


「おっさんと一緒に入ってきた。気づかなかったか?」


『…………』


「ヒトを建物ココに縛りつけているだろう?

 それはルール違反だ」


『…………』


「解放しろよ」


『居心地が良くて自らここにいるのだ』


「それは関係ない。

 ヒトをとらえているところがルール違反なんだよ」


『おまえには関係ないことだろう?』


「まあな。でもルール違反があると周りに影響がでる。

 わかってるだろう?」


『だからなんだ? 解放はしない』


「なぜだ?

 ヒトを傷つける気はないようだし食う気もなさそうだ。

 それなのに、どうしてヒトをとらえる?」


『ヒトがいないとこの家は崩れてしまう』


「この家は役目を終えている。

 守る必要はない。もう消え時だ」


『イヤダ』


「あんたと一緒にいた連中はもういないだろう?」


『…………』


「執着するなよ」


『……みんな寂しいのだ……。

 心に穴が空いてやすらぎを求める者は多い。ここは疲れたヒトが求めている空間だ。つらい現実から離れて幸福感の中で眠り続ける。

 そして私も孤独が癒やされる。互いに良いことではないか』


「ヒトにはヒトの社会がある。そこで生きる生き物だ。

 アヤカシの欲に巻き込むなよ」


『私はずっと寂しかった。

 建てられた当初は、主人が家族とともに私を大事にしてくれた。やがて子が生まれ、にぎやかで温かい日常が続いていた。だが数十年経つと子は家を出て行き静かになった。それでも穏やかな日々は続いていたんだ。それなのに主人が死に、残されたパートナーが一人になると、子が連れ出して帰ってこなくなった。

 私は待ち続けた。ずっと待ち続けた。でも誰も戻ってこない。

 ヒトがいないと家は朽ちる。少しずつ浸食されて痛みが走り、我が身は崩れていく。

 それでも待っていた。いつか帰ってきて直してくれると――』


「これまで妖力で建物を維持していたけど、尽きかけてきたからヒトを誘い込んだってわけか。

 ヒトの生気を妖力に変えて支えたとしても時間の問題だろう?

 崩れる寸前だ。このままだと中にいるヒトを潰してしまうぜ?」


 老人はアヤカシが映し出してる仮の姿で正体は家だ。妖力でカフェのような外観を創り出し、居心地が良さそうな店内の幻影を映して人を招いた。だが本来は一般家庭用の平屋で、長年放置されて空き家となっている。


 アヤカシと対峙している男には幻影が効かず、初めから本来の姿が見えていた。室内はほこりが堆積して畳部屋からカビ臭さが漂っている。天井は板が剥がれ、床は朽ちて抜けている所もある。


 男はぼろぼろになった椅子に座り、アヤカシの反応を待っているけど沈黙している。大きくため息をつくと腕を組んで語り始めた。


「私はヒトが嫌いです。

 物事は自分を中心に動くと思っている。

 自分のことしか考えず、他者を踏みにじっても何とも思わない。そんなヒトを想っているあなたは素晴らしい存在です」


 先ほどの口調とは打って変わってていねいな話し方だ。しかし眼光は鋭いままで淡々と言葉を続ける。


「守るような価値があるとはあまり思えないけど、ヒトに障りがあると異能者がアヤカシを排除しに来ます。

 ご存じですよね?」


 静かだった空間が突如震え、怒号が響いた。


『貴様! 異能者かっ!』


「失敬な。

 一緒にしないでください」


 男の声はもう聞こえていないようだ。家全体がきしんで、あちこちからいずるような音が聞こえ出した。音は次第に大きくなっていき、くうを切るような音が鳴ると、男の顔を目掛けて何かが飛んできた。


 当たる直前で男はよけた。アヤカシは壁や床の穴からつるを繰り出して攻撃を続ける。次は天井から頭を狙ったが、椅子から飛びのいてかわした。


 蔓を増やして攻撃するけど、男は柔軟にかわし、軽やかに飛んでよけていく。その姿はとても楽しそうだ。


 高く飛んだ際に前髪が浮いて隠れていた男の顔があらわになる。鮮やかな黄色の瞳に気づいた。


『おまえは―― アヤカシか!!』


 にやりと笑うと男の髪が伸びて自らの体を包んでいく。着地する直前に体に巻いていた髪が一気にほどけると、中から獣が現れた。


アヤカシの空間にヒトをとどめると精神に負担がかかる。長時間続けると生命いのちの危険につながってしまいます。

 あなたのようにヒトに障りを与えるアヤカシを放置しておくと、別のアヤカシが寄ってきてしまいます。そうなると私が困るんです」


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