爪先を狙われた隣の席の先輩は、不憫可愛い。

ひっちゃん

爪先を狙われる先輩

「わわっ!? ちょっ、なんで!?」


 とある平日の朝。


 私こと斎藤さいとう 明里あかりはいつも通り、私が務める会社が入居しているビルに入り、自分のオフィスへとつながる扉を押し開けたところで立ち止まっていた。


「違う違う! 待って、何でこっちばっかくるの!?」


 オフィスのフロアは整理整頓が行き届いていて美しい。ブラインドが開けられて朝の陽光が差し込んでくる様からは、これから一日頑張ろうという活気を得られるというものだ。


「ちょっ、あいたっ!? 痛い痛い! だから私じゃなくてあっち! あっちの方いってよ!」


 ……うん、そろそろ現実逃避するのを止めてツッコむか。


「……先輩、ルンバでサッカーするのは趣味悪いですよ」


「違う違う! この子が私の爪先ばっかり狙ってくるの! 助けてあっちゃあああああああああんっ!!!」


 早朝のオフィスでルンバと戯れている蔵前くらまえ 瑞穂みずほ先輩の悲痛な声がフロアに響き渡った。


 ……ホント、何してるんだこの人。


 呆れながらもルンバの後ろに回り込んで電源を落とすと、元気に先輩のつま先に体当たりしていたルンバはぴたりと動きを止めた。


「ふいー、助かったよあっちゃん! もう、なんでこんなに狙ってくるのさキミー!」


 先輩はしゃがみこんで爪先をさすりつつルンバに拳骨を落としてるけど、多分それは何の意味もないと思う。


「そもそもそれどうしたんです? うちのフロアでルンバなんて見たことないですけど」


「そりゃあ、これ私の私物だからね!」


「……はい?」


「し・ぶ・つ! 思い切って買ってみたの!」


 そういって先輩は動かなくなったルンバをペットみたいに胸に抱き寄せた。


「偶々通販で動いてるの見たらもう可愛くて可愛くて! ついその場でポチっちゃったんだけど、うちだとあんまりのびのびさせてあげられないでしょ?」


「いや、先輩のご自宅を知らないので何ともですけど。というかそれってご自宅が足の踏み場もないって自白してるようなものですよ」


「ちゃ、ちゃんとルンバが動けるくらいには踏み場あるよ!」


 あんまり弁明になってない気がするけれど、ツッコんでたらキリがないし流すか。先輩が片付け苦手なのは解釈一致だし。


「それで? 会社なら広いからって持ってきたってことですか?」


「そう! だってこんなに広いし段差もないし、思う存分動き回れるでしょ?」


「先輩は職場をドッグランか何かと勘違いしてるんですか」


 うんまぁ、言いたいことはわかった。わかったけどそれでわざわざ自宅からルンバを持ってくるのは流石先輩というかなんというか。


「それじゃあ気を取り直してもう一回……ちょっ、だからなんでこっち来るの!?」


 先輩が抱き寄せていたルンバを優しく床に置き直してもう一度電源を入れるが、ルンバはまたしても先輩に向かって一直線に走りだし、爪先にこつんこつんと体当たりする。


「めっちゃ懐かれてるじゃないですか」


「こんな懐かれ方求めてないってば! てかうちで動かしたときはちゃんとお掃除してくれてたのになんで!? ……よーし、もう怒ったから!」


 先輩はそう言うと、襲い掛かってきていたルンバをさっと躱して電源を落とし、小脇に抱えて自分の席についた。そしてルンバを机に置いたかと思うと、当たり前のように鞄から出てきたドライバーで何か裏側を開け始め、露わになったコネクターにこれまた何故か鞄から出てきたケーブルを差して自分のパソコンと繋ぐ。


「……なんで当たり前みたいに鞄からドライバーとケーブルが出てくるんですか」


「エンジニアのたしなみだよ!」


「いや知らない知らないそんなたしなみ多分世界で先輩だけですそれ」


 そんな会話を交わしつつ、先輩は仕事中にも見せないような鋭い眼光で画面をにらみつけ、猛烈な勢いでキーボードをたたき始めた。……いやあの、もしかしなくてもこれって――。


「これだ! この分岐が悪さしてるんだな!? だったらこうしてあげれば――」


 そうして数分も立たないうちに元通り蓋を締められたルンバは、先ほどまであんなに先輩のつま先に固執していたのが嘘みたいに動き始めた。――私のつま先めがけて。


「ちょっ、いたっ!? なんで今度はこっち来るんですか!?」


 慌ててルンバから距離を取るように動くのだけれど、ルンバは完全に私をロックオンしたらしく執拗に追いかけまわしてくる。速度は大したことないから逃げ回るのは容易いんだけど、ずっと動き続けないといけないのは地味にきつい。


「 ちょっと先輩、何とかしてくださいよっ」


 そういってこの事態を引き起こした先輩の方を見れば。


「可愛い! ゆっくり動くルンバちゃんも困り顔で動き回るあっちゃんも可愛いー! ね、ね、写真撮っていい!?」


「ふざけたこと言ってないでさっさと直せアホ先輩。こうなったら巻き込んでやるっ」


「あっちゃんー!? 口調乱れすぎだから! 直すから落ち着いて!?」


 先輩を巻き込むように進路を変えた私と私から逃げ回る先輩、そんな二人を追いかけるルンバという謎の鬼ごっこが数分続いたのち、再び先輩の手によってコードを書き直されたルンバは今度こそ誰のつま先も狙うことなく元気にフロアを駆け回ったのだった。


「うんうん大丈夫そう! やっぱり私の腕に狂いはなかった!」


 広い通路をすいすいと動き回るルンバを眺めて先輩はご満悦だ。


 ……それにしても鬼ごっこのせいでツッコめなかったけど、、既製品のコードをその場で解読して脳内デバッグしてバグ修正するとか先輩の頭の中はどうなってるの……? こういうところが天才たる所以ってことなんだろうか、この領域まで来ると正直ついていける気がしない。


「久々に先輩の先輩らしいところを見た気がします」


「ホント? ふっふーん、もっと褒めて褒めて!」


「いやそもそも褒めてないです。というかもう始業時間過ぎてますからさっさと仕事しますよ」


「ちぇー」


 唇を尖らせつつも仕事モードに切り替わる先輩の隣の席に座って、私も仕事の準備を始める。


 ……まぁ、なんだかんだこういうドタバタしたのも嫌いじゃないというか、先輩らしくて安心するんだけどね。


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爪先を狙われた隣の席の先輩は、不憫可愛い。 ひっちゃん @hichan0714

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