異世界人の足がいい匂いというわけではない
ムタムッタ
異世界人でも足は臭う
「はぁ〜っ、ただいま〜」
「また来たのか」
深夜に近い時間帯。ワンルームの安アパートの扉が開くと、帰ってきたのは両耳の長い女だった。俗にエルフと呼ばれる種族である。
「しょうがないでしょ、終電なくなるまで残業押し付けられたんだから」
長い金髪に、くたびれた安いレディーススーツ。およそ不釣り合いなほどに均整の取れた顔立ちがギャップを生んでいる。疲れた顔をしているが、二度見不可避のルックスに変わりない。
が、そんな見た目も靴を脱いだ瞬間に印象はガラッと変わる。
「くっせッ!」
「もー毎回言わなくてもいいでしょぉっ⁉︎」
なまじ空気の通りが一方通行な為か、エルフの足元から解放された強烈な臭いが部屋に襲いかかった。日中の労働で蒸されたつま先の指間から解放された臭気は、刺すような酢に似た香り。
「相変わらず殺人的なかほり」
「働き者の証なんだから黙りなさいよ」
「やめろ、そのまま部屋に入るな! 風呂に入れッ!」
微睡は失せて脳は警鐘を鳴らす。口呼吸に変えて脱出しろと言わんばかりに不快感が身体を包む。
「ハッハッハ! この程度の臭いで参ってるんじゃぁ人間はまだまだね」
「まだまだでいいから入念に洗ってくれ。ちょうど沸かしてるから」
「気がきくぅ〜! ビールも頼むね」
限界OL系エルフ……クレアは異世界人である。異世界の人種が現代の地球に現れたのは10数年前、特に争うこともなく世界は……というか日本だけしか来ないんだが、日本は受け入れていた。
俺もいろんな異世界人と交流したもんだが、なにが悲しいって夢見たファンタジー世界の存在達は、例外なく『足が臭い』ってことだ。いや、俺が出会った奴だけなのかもしれないが……とにかく臭い。クレアはまだマシな方だ、風呂にも入ってくれるし、何日も同じ服を着ない。
どちらかというと、異世界人でも男の方が臭いがキツいと言われる方が多いので、俺の体験が珍しいだけとは報告を聞く役所の人間による。
「あ゛ぁ゛~生き返るぅ~」
「シャワーが蘇生魔法…………」
最初に出会ったのは悪魔と名乗る露出の激しい少女だった。泊めろと言われて泊めたんだが(脅された、とも言う)、まぁ褐色の日焼けしたみてぇな足のつま先が臭うこと臭うこと。
『チーズを塗り込む文化をお持ちで?』
と聞いたら、角でぶん殴られたのは記憶に新しい。悪魔っ子に夢を持っていたのに悪魔=チーズの刷り込みをされたこちらが被害者である。入念な柿渋石鹸による洗浄により事なきを得たのである。
「ちょっと〜ボディーソープないんだけど〜っ⁉︎」
「お前は全身柿渋石鹸を使え」
風呂場からのクレアの声にそう返すと、文句なのか異世界言語を吐き散らしていた。日本語が流暢なくせにキレると故郷の言葉になる癖はどうしても出るらしい。ちなみに意味は『クソ野郎』である。
柿渋石鹸といえば、2度目に出会ったのはドラゴン娘……竜人と言おうか。背中に翼と爬虫類の両足は神絵師のイラストだったんだが……これがまた激烈だった。爬虫類は普通臭わない、なんて聞くが脱皮のしないドラゴン娘は例外なのだろう。
なんと形容するべきか、酸っぱいとかそういうものではなく、相入れることのないものだった。何より必殺兵器である柿渋石鹸が効かなかったのである。
『犬の糞踏んだ?』
と聞いたら、お得意の炎のブレスで黒焦げにされたのはいい思い出である。試行錯誤の末、重曹が効くと知り万事解決、その後ドラゴン娘には重曹ケアが流行ったとか流行ってないとか。
「い〜いゆぅ〜だぁ〜なぁ〜」
「そのまま朝まで浸かってろ」
もはやエルフとは形式だけでしかない。俺の家に来るたびこれだ。ガス代も高騰しているというのに。
……しかし、長風呂というだけだから良い。特に難敵だったのは狼娘だった。あいつだけは異世界人への足ケアマイスター(他称)と呼ばれた俺も手を焼いた。
元々ウェアウルフ(この場合人狼ではなく狼娘に限るんだが)は水浴びなどに抵抗もないと聞く。しかし俺が出会った者は極度の風呂嫌いとコンクリートジャングルでの生活で交じり合った匂いが絡み合い、ガスマスクなしには対応できない足の臭いをお見舞いしてきた。
『アオォォォォォォォォォォン!』
と遠吠えしてみたら、頭を齧られたのもついこの間のように感じる。
石鹸や重曹どころかそもそも風呂に入らないから対処には苦労したものである。
結局のところ、家のせまーい浴槽が嫌だったようなので近くの銭湯に通わせたらむしろ風呂好きになった。噂は狼娘の間で広まり、銭湯ブームが起きたとか起きてないとか。
まぁ日本に来たら生活も変わるわけで、食べるものも変われば生活習慣も変わる、ストレスも違うだろう。それが足のつま先に反映されてしまったと考えれば合点がいく。
まぁ……思い出のヒロインたちと違って、いま安アパートの風呂に浸かっているエルフだけは例外なのだが。
「ふぅ~いいお湯だった~」
「スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ」
肺から空気を抜いて、一気に部屋に漂う酸素を鼻から吸い込む。連想するは森のかほり、いやフローラルさもある。
「キモい」
「安全確認だッ」
嗅覚は正常、不快感なし。つまり安全地帯は確保された。念のために炭を用意しておこう。
クレアがバスタオルだけ巻いて、冷蔵庫からビールを取る。この光景も何度目か、まったく警戒心がない。
「いやぁ~会社の近くに拠点があるのはいいわぁ~」
「無防備な姿で部屋をうろつくな」
「嬉しいくせにぃ~――――ンン゛ッ!?」
ビールを飲む手が止まり、クレアの鼻が揺れる。そして視線は俺の生足に移った。徐々に、徐々にその端正な顔が右足に近づき、やがて顔をしかめた。
「うわくっさ! あんたも今日やばいよ」
「ここだけはお前らに負けんぜ?」
「いいからさっさと風呂入りなさいっ!」
そうしてクレアに風呂へぶち込まれるのだった。
悪魔に竜人、狼娘にエルフ、ほかにはドワーフ、天使、鳥人エトセトラ…………異世界人の足事情に出会った俺だが、出会ったすべての異世界人たちにこぞって言われる。
お前には言われたくない、と。
さっき入ったんだけどね、風呂。
異世界人の足がいい匂いというわけではない ムタムッタ @mutamuttamuta
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