結人

 瞼を開き、顔を上げると、容赦ない陽光が瞳を焼く。思わず、目を逸らした。

(眠っていたのか……?こんなところで……?)

 気づくと僕はバス停のベンチにいた。蝉の声が五月蠅い。喉が渇く。僕は何をしていた?長旅の疲れと暑さから熱中症にでもなりかけていたのだろうか。僕はそう思って鞄からペットボトルを出してひとまず水を飲み、塩飴を舐めた。なんだか、長い夢を見ていたような気がする。

(『大事な記憶以外は持っていけない』)

 白髪で赤い瞳の少女が僕に語りかけていた。

「変な夢だったな……」

 そんなキャラクター、昔見た映画か何かでいただろうか。白い髪に紅い瞳。あまりアニメや漫画原作の実写物は見ない方なのだが、なんだか落ち着かない。

 手をひさし代わりに夏空を見上げると、遥か遠くまで蒼く、澄んでいた。入道雲は活き活きと、大人たちの郷愁を一手に引き受けてそこにあった。

(そうだ……)

 僕はこの村で、何か今後の身の処し方についてのきっかけを掴もうとしていたはずだ。「行こう」そう思い、ベンチを立ち、鬱蒼とした坂道を下り始めた。

 程なくして道は二手に分かれ、ちょうどその分岐の位置に、古びた木造二階建ての雑貨屋のようなものが見えてきた。不規則な風鈴の音が、僕を揺さぶる。既視感があった。いや、似たような雑貨屋は地方に行けばいくらでもある。きっと、記憶の棚の奥にしまったその中のどこかが、よく似ているんだろう。第一村人との遭遇を期待し、僕は色褪せた朱色の暖簾がかかったガラスの引き戸に手をかけた。カラカラと音を立てる引戸をくぐり、僕は中間くらいの声で店内に呼び掛けた。

「ごめんください」

 でも僕のあまり通らない声は、店内の静謐さを際立たせただけだった。駄菓子に煙草、レトロな什器や棚、奥には小さなカウンター?壁を見上げるとセピア色の村の風景の写真があった。店内を見回っていると、シャラリと何かの擦れるような音がした。ビーズのカーテン。まるで少女の髪のように、隙間風に揺られていた。

(懐かしい……)

 僕の足が独りでに歩を進めた。それに呼応するように、ビーズが波打つ。誰かが、僕の記憶の奥の扉を開けようとしている。見たことのない光景が、イメージが、フラッシュバックする。感情が零れる。黄金色に輝く麦畑。風に吹かれる髪。何かの絵巻物。蕩ける白露。誰かの傷心。アイスキャンディー。禊。夏の夜の花火。蠱惑的な唇。灯篭の海。憧憬。冷たく孤独な夜。桜。薄汚れた紫陽花。縋る白い手。淀んだ瞳。悲鳴。嘔吐。怒り。虚脱。悔恨――「夢」だったものの輪郭が金環蝕のリングの如く煌めき、流れ込んでくる。

(僕は……使命を負っている……)

 眩く輝く瞳が僕を正面から見つめている。白いブラウス、赤いサテンの紐タイ、ふわりと軽やかなボブカット、少し乱れた髪。

「わ……」

「……え?」

 僕はつい若菜の名を呼んでしまいそうになった。目の前に元気な姿の若菜がいる。その事実に涙が出そうになった。僕と若菜はしばし凍り付いたように見つめ合っていたが、そんな僕の様子を不審に思ったのか、彼女が語りかける。

「えっと、ボク、おにぃさんにどこかで会ったことあったっけ?」

 彼女の訝し気な視線が刺さる。

「え、あ、いや……」

「お母さんの知り合いの人……?」

「い、いや、知り合いに似ていたから、びっくりしたんだ。驚かせてごめんね」

 僕はなんとかそんな風に誤魔化した。

「ふぅ~ん……」

 気まずい。明らかに不審がられている。

「知り合いっていうか、夢で見たっていうか……ごめん、意味不明だよね」

 あの時と同じ、運命的な風鈴の音が鳴り響いた。若菜の目が見開かれる。

「……そっか。ふーん。なるほどね?」

 なにか、彼女の中で腑に落ちるようなものがあったのだろうか。

「おにぃさん、名前は?」

「結人。月城結人だ」

「結人さん」

 彼女は何かを確かめるように、復唱した。そして笑った。

「よろしくね、結人さん。ボクは若菜。小鳥遊若菜。ボク、そろそろ行くよ」

「うん……またね」

 でもそう言ったすぐ後、そのまま扉を開けて立ち去ろうとする彼女の背に、僕はつい声をかけてしまった。

「あ!……アイス……選ばなくていいの?」

 若菜は見たことがないくらい目を見開いていた。

「……エスパーの人……?」

「だとしたら、それはそれで生きづらそうだ」

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