千種Ⅱ
翌朝、白木邸で僕は朝食までご馳走になった。ご飯に味噌汁、焼き鮭、小鉢に入った酢の物と、昨夜の赤カブの漬物。味噌汁は赤だしだった。出してくれた房枝さんに心から感謝を述べると、いつでも食べに来てくれていいとまで言ってくれた。久々の家庭的な味と優しさに僕は本気で泣きそうになった。これまでも数回、旅先でご飯をいただくことがあったが、僕はそこまで初対面でのコミュニケーションに長けている方ではないから、そうした機会を意図的に自分から遠ざけているところがあった。それから和夫さんに紹介してもらった方が管理しているアパートへと向かった。それは北西側の山際にある二階建ての木造アパートだった。外装の塗装は剥げかけており、一部には苔が生えている。階段や手すりの一部も腐食しており、屋根には古い赤茶色の瓦が使われていて、雨漏りしないかはちょっと心配だった。廊下の隅に共同の洗濯機が一台あったが、他に利用者もいないため僕専用とのことだった。部屋はどこでもいいと言われたので、なんとなく二階の中央の部屋を選んだ。普通なら角部屋を選ぶところかもしれないが、そもそも誰も住んでいないのだ、逆に挟まれている方が心理的安心感があった。鍵を開けて扉を開けると、ホラー作品でよく聴くような、軋んで硬質な音がした。六畳程度の和室と、三畳程度のキッチンスペースには二口のガスコンロ。古い畳は一部が日焼けしていて、壁紙も剥げかけているところがある。古い型だがエアコンがあるのは幸いだった。
僕は窓を開けて換気をする間、部屋の畳の上に寝転ぶと、蝉の声に耳をすませ、天井の染みを眺めながら、ぼんやりと思索の井戸の底へと落ちていった。
全く共感を得られないとは思うが、僕はこういう環境に憧れているところがあった。もちろん、家族で住むならもっと広くて新しい物件を探す。しかし独りなら話は別だ。僕の母は過保護だった。一人暮らしを始めた際も、僕には十畳ほどのアパートを当てがわれた。友人たちの多くが少なくとも最初の一年目はジメジメとした六畳ほどの学生寮に住む中、僕はしばしば揶揄された。それはそうだろう。奨学金を頼りにアルバイトでなんとか学生生活を送っている者もいるのだ。だが学生時代に
「……」
だが最近の創作、特にサブカルチャーのシーンでは、主人公たちはむしろ裕福な家庭に住んでいることが多い気がする。それは明言されずとも、その住居の様子等から容易に見て取れた。なぜなのか。あるいはそれは、かつて総中流と呼ばれた時代の終焉を認められない僕らの、在りし日の文化的典型による終わらない過剰包摂の一端かもしれないし、制作側とユーザー側の格差の縮図か、物語の展開の都合か、単なる理想の表現なのか、理由としては色々と絡んでいそうな気がした。しかし現実に分断は生まれている。そうした創作の中の裕福なバックグラウンドをもつキャラクターたちに対して、しばしばSNS上などで辛辣な批判が為されているのを目にするからだ。『家が裕福なくせに、その程度のことで悩んでいるな』登場人物たちの抱える困難やトラウマに対してそうした怨嗟のごとき声が浴びせられる。そういう時、想像力が欠如しているのはどちらなのだろうか。適応障害を経験し就職活動でも失敗し、今や定職にも就いていない僕には、ある程度どちらの気持ちも分かるような気がした。ただ一つ思うのは『かなしみはあたらしい』ということだ。教科書で谷川俊太郎の詩を読んだ時、目から鱗が落ちる気がした。自身の状況を相対化し客観的に見つめられるようになることは大事だ。しかし若いうちは行動範囲も狭い。与えられた環境や前提の下で受けた傷は、比較や相対化の彼岸にある。どんなにありふれて、つまらないことであったとしても、だからといって痛みが和らぐわけではない。
(だけど……)
こうやって偉そうなことを言いながら、じゃあ僕にそうした、相手にとっての新鮮な感情を思いやれる想像力があるかと言えばそれも怪しいものだった。顕著にそれを感じるのは子どもと接している時だ。僕は子ども好きと言われる一部の人たちのように、すぐに彼ら彼女らと目線を合わせてやることができなかった。僕はそういう時、ある種の恐怖を感じた。子どもらと目線を合わせることで、その奔流のごとき感情に呑まれてしまうのではないかと。その恐怖を超えて上手くやれる時もないではないが、かなり消耗した。そういう意味では、単に億劫でやらないだけかもしれなかった。
僕は気づくと全身にびっしょりと汗をかいていた。窓を閉め、エアコンの冷房のボタンを押すと、ごうんごうんと音がして運転が始まったことを確認し、シャワーを浴びることにした。
そこからの日々は、畑仕事の手伝い等、宴会で出会った人達に紹介してもらった簡単な仕事をこなしていった。得られる金銭としては微々たるものだし、常に作業があるわけでもなく不安定だったが、収穫物を分けてもらえることも多く、生きていくだけであれば事足りていた。今後踏み出すのに向けて蓄えるようなことは出来なかったが、村に慣れる意味でも、今はそれでも十分に思えた。
そうして気がつくと、宴会の夜から速くも一週間以上が経過していた。午前中に畑仕事を手伝った帰り、僕は鏡渕池のほとりで黄昏れていた。和夫さんから村や少女たちを見守ってくれと言われはしたが、具体的に何をすればいいのかはやはり分からず、早くも行き詰まりを感じていた。これまでは気ままに思いつくまま旅をしてきたから、目的があるという感覚は久々だった。それ自体は有難いことだ。和夫さんは、何をすべきか考えるのも僕の役目のうちだと言った。頼まれた以上は改めて要件を整理し、具体的なアクションに落としていかないといけない。
(アクション……か)
僕の頭にどこからともなく得体のしれない齧歯類が現れ、口から吐き出した綿のようなものを頭の中にぎゅうぎゅうと詰め始めた。懐かしい感覚だ。懐かしく、そして忌まわしい。それは、かつて仕事をしていた頃の感覚だった。
「憂鬱だ」
言葉にすると、頭の中の綿が多少は一緒に吐き出されたような気がしたが、すぐにまた齧歯類は綿を補充するので全くの無意味だった。
「……やれやれ」
僕は村上春樹作品の主人公っぽく独り言ちると、腹を決めて思考を巡らし始めた。村や少女たちを助けたいという想いからは自然と動けるのに、仕事だと考えた途端に動きが鈍くなるのが不思議だった。
さて、そもそも今の僕には情報が何もない。情報連携をするための会議体の設定を検討した方がいいだろうか?もし既存の会議体が何かがあるのなら、まずはそこに混ぜてもらうのが自然でスムーズだろう。ただ少女のプライバシーに関わることもあるだろうし、伝統に関わる事象は秘匿性が高そうだから、訊いてみないとなんともだが、慎重なアクションが必要だ。
(そういうプロジェクトは仕事でもあったな……)
秘匿案件というやつだ。結論として、まずは現状のコミュニケーションルートの把握と整備をし、必要に応じて調整、会議体の設定。それにより村や少女達の現状と課題感を把握し、マイルストーンを設定できるようにしたい。
(ふぅむ……)
しかしここまで考えて僕は、和夫さんからのインプットの少なさの意味を改めて考えてみた。たぶん、もろもろ曖昧にされているのは、あまり僕の行動を『仕事』然とさせたくないのではないかとも思った。少女らに関して言えば、十代の彼女らの感受性はするどく、潜在的な警戒心は強いはずだ。僕のアクションに対して、なんらか構造化された義務的なニオイを嗅ぎ取った途端、警戒されることを懸念したのかもしれない。それも分かる。
(とはいえ、曖昧さを残したままで不利を被るのはこちらだ)
既存のやり方や枠組みにとらわれず、今回のクライアントのプロジェクトの状況、背景に寄り添った最適なやり方を模索しないといけない。QCD(Quality Cost Delivery)で考えるなら納期は一旦は祭祀である八月二十五日。コストは僕の気合で賄えばいい、書面の契約など何もないのだ、それによって労基が動くこともないだろう。あとは品質をどう担保するかだ。ここが一番難解だ。現状明確なスコープ(業務範囲)もゴール(目標)もない。『儂は時に、村の都合や利益を優先してしまうやもしれませんから』彼はそう言っていたが、もしも少女らの未来と村の利益がトレードオフになるような事態になった時、暗に僕に泥をかぶってくれと言っているようにも聞こえた。いや、正確には聞こえなかった。だがそう捉えるべきだともっともらしく叫ぶ者が僕の中にいるのだ。
(……俺は馬鹿なのか?)
そこまで考えて僕はおいおいと思った。営利組織的な考え方が染みついてしまっているのだ。こちらが不利を被る?いいじゃないか。相手にするのは生身の人間であり、その人生に関わることだ。株式会社の仕事とは違う。なにがゴールだQCDだコンセンサスだ、横文字ばかり並べやがって。僕はいつの間にか手元の草をむしっていたことに気づき、自己嫌悪に陥った。
「……」
僕は澄んだ水面を眺めながら、千種がそうしていたように、小さく深呼吸をした。瞼を閉じると風の音が聴こえて、心が徐々に冷静さを取り戻していく。なるほど、これは一種のマインドフルネスなのかもしれない。それをしている彼女の姿をイメージしながら行うことで、より穏やかで優しい気持ちになれた。彼女はいつの間にか人の心にすっと入ってくる。
そうして僕は改めて考えた。あまり操作的になるのはまずい、僕は僕自身が与える影響にこそ最も注意しなければならない、と。それが表面的、短期的にみて良い影響であったとしてもだ。強いて言えばそれこそがリスクだ。
「ふぅ……」
ぼんやりと空をみつめた。僕は僕の善意に従えばいい。運命に翻弄され、刹那的だが目の前のことに必死で対応していく物語の主人公のように。僕はどうしたい?千種という少女には幸せになって欲しい。それに対して適切なのは友人としてなにか出来ることがあれば助言する程度のことだ。友人?そもそも僕らは友人と言えるのか?名前を呼び合う関係にはなった。友人(仮)くらいには思ってもいいだろうか。僕はそう思いながら、頭の後ろで手を組んで、土手に寝転んだ。すると――
「あ……」
本物だった。いつの間にか、日傘をさした本物の千種がやってきていた。霞様の采配だろうか。僕は上体を起こし、頭や背についた草を払いながら、彼女の方を向いた。
「こんにちは、千種さん」
さっきまで彼女のことを考えていたことがなんだか気恥ずかしかったが、悟られないように平静を装った。
「こんにちは、結人さん。……お邪魔じゃ、なかったですか?」
「全然、千種さんならいつでも大歓迎だよ」
少し、軽薄だったろうか。しかし彼女は特に気を悪くした様子もなく、『失礼します』と言って日傘を傍に立てかけると、僕の左に腰を下ろした。
「ここ、いいですよね。わたしもよく来るんです。気持ちが落ち着くから」
そう言って池を眺める彼女の横顔は、その日は儚げに映った。どうにも元気がない。そんな憂いを含んだ表情に加え、髪を一つに束ねているせいもあってか、以前よりもいくらか大人びて見えた。
「今日は僕が訊いていいかな。何か、元気がない?」
彼女はこちらを見ると、寂しげに微笑んだ。そしてしばし考えたあと、口を開いた。
「……聞いて、くれますか?」
「僕でよければ」
彼女の視線と指先が草の肌を撫でる。
「琴音ちゃんと、喧嘩してしまったんです」
意外だった。つい先日の宴会で仲のよさそうな二人の姿を見ていただけに、些か衝撃があった。そもそも千種が誰かと喧嘩をするイメージがあまり湧かなかった。
「わたし、酷いこと、言ってしまって……」
それこそ上手く想像できなかった。だが深い信頼関係があるが故に衝突するということは、思春期であれば確かにあるのかもしれない。大人になると、そうなる前についつい距離をとってしまいがちだ。
「わたしが奉習を始めたこと、ご存知ですか?」
そのことについては和夫さんから共有を受けていた。交換したSNSの連絡先に宛てて、ダイレクトメッセージが来ていた。彼女は女医の志保さんと相談した結果、やってみることに決めたのだと。
「うん、和夫さんから聞いてるよ」
千種は己の左手の甲を右手でそっと撫でた。その手を見つめながら、彼女は続ける。
「琴音ちゃん、わたしが無理してるんじゃないかって……心配してくれたんです」
僕は黙って彼女の言葉に耳を傾けた。
「それで、でも、わたしはもっと他の方法で誰かを幸せにできるのに、なんで?って。……琴音ちゃんには分かってもらえなくて」
以前、千種は残り二人の血筋の娘のうち一人は、伝統を嫌っているのかもしれないと言っていた。それは恐らく遠野さんのことなのだろう。
「琴音ちゃんはわたしのこと、買い被ってるんです。わたしに出来ることなんて……」
和夫さんの言っていた、千種の自信の無さとはこのことかと、僕は改めてその問題に直面していた。僕は彼女のことをほとんど何も知らない。彼女の自己評価の妥当性など分からない。でも十代なんてもっと根拠のない自信で溢れていても良い気がした。
(いけない……)
だが一方で僕は思い出していた。年長者から若い世代への『もっと自信家であれ、前のめりであれ』というプレッシャーの煩わしさを。考えなしの励ましは負の再生産になる。まずは話を全て訊こう。
「酷いことを言ってしまったって、そう言っていたけど、それは?」
彼女の手が強張る。
「『琴音ちゃんには、わからないんだよ』って。わたし、言うつもりじゃなかったのに、気づいたら……零れてしまっていて」
俯いた彼女の目から落ちた雫が、スカートを濡らしていた。涙を拭ってあげたかったが、残念ながら僕と彼女の間の距離はまだ遠かった。彼女は自ら手の甲で涙を払うようにした。
「ご、ごめんなさい、わたし、自分が悪いのに」
気丈に笑みを作ろうとする彼女を見ていられなかった。しかし今単純に彼女に寄り添ったとしても、彼女は寄り添われるべき己を信じられていない。僕は一歩引いて二人の関係性を眺める必要があった。
「遠野さんも、千種さんも、お互いをすごく大事に想ってるんだね」
彼女は赤くした目でぼんやりとした表情で僕を見つめた。
「お互いを尊敬してる。そういう風に感じる」
僕は右手の親指で左手の人差し指の付け根を撫でた。
「でも善意はエゴの隣人だから、相手のことを想っているうちに、いつしか自分の考えを押し付けてしまうことがある。思春期には、特にね」
僕は笑みを作ろうしてみた。上手くいったかはわからない。
「千種さんは、どうして遠野さんには分からない、って思ったの?」
千種は俯き、強張る手にもう片方の手を重ねた。
「琴音ちゃんは、なんでもできるから……お勉強も、泳ぐのだってすごく速いし、やさしくて、かっこいいんです」
彼女のすがるような言葉の中に、だんだんと柔らかさが戻り始める。そこにある感情は、憧れだろうか。
「千種さんは、遠野さんみたいになりたい?」
彼女は顔を上げて池の方を見つめた。
「なりたくても、なれないです」
「でもじゃあ、なりたいんだね?勉強ができて、泳ぎも速くて、かっこいい自分に」
彼女の眉がぴくりと動いた気がした。
「そう……なのかな。そうじゃ、ないかもしれません」
「どんな風に?」
誘導的だろうか?僕はあくまで彼女自身で気づいて欲しかった。そこに気づくべき何かがあるのであれば。
「わたし、たぶん琴音ちゃんみたいに、自信を持ちたいんです。好きなことに集中して、何かがしたい」
「千種さんにとっての、自分に自信が持てるような好きなことって、なんだろう」
唇が、きゅっと結ばれるのが分かった。
「まだ、分かりません」
「それを見つけたくて、まずは奉習を始めてみた。尊敬するお母さんに近づくために。この間の帰り道での話から、僕にはそう見えたけど、違ったかな」
彼女は僕の言葉を反芻しているようだった。
「……はい」
「実際に始めてみて、どう?まぁその、僕に話せることと、そうでないことはあると思うんだけど……」
千種は顔を赤くして目を泳がせたが、やがて目を細め、小さく微笑みながら答えてくれた。
「まだ恥ずかしさはあるんですけど……でも二回目の奉習のとき、わたしがお勤めを終えて出ていくと、参加されていた、よく知っているお爺さんが泣いてたんです」
奉習では一般の村民からも参加者が募られるのだろうか。千種の話を聞きながら、未だに謎に包まれたその実態に僕は考えを巡らせていた。
「そのお爺さん、冬に奥さんを亡くされたばかりで、ずっと気落ちされてたんです。でもお神乳を飲んでいただいて、そしたら、奥様のこと思い出されたみたいで……『ありがてぇ、ありがてぇ』って何度も言ってくださって」
お神乳が持つ神秘的な何らかの効能、あるいは想起される母性のようなもの、郷愁、何かが彼の中の記憶を呼び覚ましたのだろうか。
「そんなことも、あるんだなって。なんだか不思議だったんですけど、帰り際のお爺さんの明るい表情を見ていたら、わたしまで嬉しくなってしまって」
彼女の慈しむような表情が、彼女の日傘の落とした夏の影の下で、静かに蕾を開こうとしていた。
「いい、表情をしているね」
僕が素直な感想を口にすると、彼女は意外そうに僕の方を見た。
「そんな顔、してましたか?」
「うん。母性的……と言うと今の時代だと微妙なニュアンスになるのかもしれないけど、やさしい、温かい表情だったよ」
千種はそっと、自分の頬に触れていた。
「お母さんも、こんな気持ちだったのかな」
彼女は伝統にやりがいを見出しつつあるのかもしれない。和夫さんの話から、巫女の地位は約束されているようだから、経済的な意味で搾取されるということは無さそうな気がした。ただそこも含め、その他の面でも何らかの搾取が行われていないか、そこは僕の方でも検めさせてもらおうと思った。
(かつての僕の方がよほど経済的に搾取されていた可能性もあるな)
実際この後、僕は和夫さんに巫女のだいたいの年俸を訊いて、膝から崩れ落ちることになる。そんなことなど露知らず、この時の僕はつい自嘲的に笑ってしまいそうになるのを堪えながら、千種の方を見た。今は彼女の話だ。
「仕事やその他様々な人の行いに対する社会的な評価は、個人ではどうしようもないところがある。しばしばそこにつけ込んで、やりがいの搾取なんてことが起きたりする」
僕の話に、千種は真剣な表情で耳を傾けてくれた。
「でも少なくともこの村では、千種さんのやっていることはとても意義のあることだ。尊敬するお母さんの為されていたことでもある」
僕は言葉を切りながら、彼女に伝えるべきことを伝えようと苦心した。
「そこにやりがいを感じられるとすれば、それも一つの才能だと思う。きっとお神乳には、その人の
(そういうことは、なかなかないんだ)
彼女は僅かに口を開き、何かを言おうとしたが、思い直して止めたように見えた。
「ごめんね、いつも話が長くて。誰かと話せるのが久々で、きっと調子に乗ってるんだ」
彼女はコマドリのように焦った表情をした。ここは笑うところだったのだが。
「そんなことないです!いつも……結人さんは、わたしにたくさん、言葉をかけてくれて、すごく、嬉しいんです」
これはオジサンキラーになりそうだな。膝を抱えながらそう言葉にする彼女に対して、僕はそんな下らないことを考えていた。
「まだ、この前のお礼もできてないのに……」
そういえばそんな話もあった。忘れてくれていいのに、と僕は思った。いつまでも覚えていられると、なんだか背中が痒くなる。
「いいんだ、だって――」
これは僕の役目でもある……そう言いかけて、彼女がやってくる前に考えていたことを思い出した。義務的なニュアンスを出すのは、彼女の警戒心を生んでしまうかもしれない、と。
「僕はもう千種さんのこと、友達だと思ってるから」
彼女が目を丸くするものだから、僕もつい気恥しくなってしまった。
「歳はまぁ、ちょっと離れてるけどね」
そう言って僕が取り繕うように笑うと、彼女もまた笑ってくれた。
「わたし、がんばって琴音ちゃんと話してみます」
芯のある声だった。
「あまり気負わずにね」
「はい」
いつもの笑顔が僕をほっとさせた。
「あ……」
千種が俯き、顔を赤くしている。この調子で彼女は毎日顔を赤らめているのではないだろうか。杞憂なのは分かっているが僕は彼女の血圧が心配になった。学生時代にもサークルにそんな娘がいたなと、これまたどうでもいい記憶が掘り起こされた。僕の脳は活性化してきている。
「今度の火曜日の夜、空いてたりしますか……?」
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