帝都紅婚姻譚~初詣編~

宮永レン

初詣の夜に

 新年を迎えたばかりの神社は、夜半まで降っていた雪も上がり、賑わいを見せていた。


 鳥居の向こう、灯籠に灯る暖かな光が白銀の世界を照らし、人々の息が白く浮かぶ。その光景の中を、紗由とアランは並んで歩いていた。


 紗由は朱色の振袖に白い羽織を重ね、結い上げた黒髪には色鮮やかな玉簪が揺れている。彼女の小さな足元には、浅葱色の足袋と草履が雪の上に軽やかに跡を残していた。


 一方、アランは黒紗の外套に中折れ帽を合わせ、その下にはモダンな洋装スーツを身に着けている。襟元には紗由が選んだ白いマフラーが巻かれていた。


 参道を行き交う参拝客はさまざまだ。和装の若い夫婦が手を取り合い、笑い声を弾ませていたり、子どもたちが雪を手に取り、はしゃぎながら駆け回ったりしている。その中を年配の男性が紺の袴を揺らしながら、しっかりとした足取りで歩いている様子も見られた。


 二人が鳥居をくぐり、神社の境内に入ると、一層の賑わいが広がっていた。参道の脇では甘酒を振る舞う屋台や、湯気を上げるおでんの店が並び、賑やかな笑い声や話し声がこだましている。どこか懐かしい、炭火の香りが漂い、寒さに縮こまった体を和らげてくれる。


「新年の空気は特別な感じがしますね」

 紗由は隣を歩くアランの顔を見上げて微笑む。


「うん。俺にとっての特別はいつでも紗由だけどね」

 澄んだ青い目を細めて彼が答えた。風で淡い金の髪が揺れ、夜の中で見るとどこか非現実的な美しさが漂う。


 その囁きに、紗由は慌てて視線を逸らした。彼の言葉はいつも不意打ちで、心をざわつかせる。


「足元に気をつけて」

 アランはそっと彼女と手を繋ぐ。


 まだ落ち着かない鼓動がさらに大きく跳ねたが、紗由は黙ったまま、小さく頷いてその手をきゅっと握り返した。


 拝殿の前に辿り着き、二人は並んで賽銭を投げる。神前に向かい、二礼二拍手一礼を行うと、紗由は手を合わせて目を閉じた。


 ――どうか、アラン先生のご健康と、この幸せがいつまでも続きますように。


 彼女の胸に秘めた願いは、ひそやかな祈りとなって夜空へ溶けていった。


 隣ではアランが、静かに目を閉じている。彼が何を願っているのかを訊ねることはしなかった。けれど、彼の眼差しが紗由に向けられた時、きっとその願いは自分と重なっているのだろうと感じられた。


「紗由、願い事は叶いそう?」

 参拝を終えた後、アランが微笑んで尋ねてくる。その青い瞳が、雪明かりに反射して輝いているのが眩しかった。


「はい。きっと……叶います」

 白い息を吐きながら答える紗由の声は、夜の寒さに反して暖かく穏やかだった。


「せっかくだから甘酒でも買ってこようか。はぐれると大変だから、ここで待っていて」

 アランがそう言い残して、この場を離れていく。


 露店の並ぶ道は老若男女でごった返していた。すぐには戻れないだろうというのは想像できたけれど、まだ数分も経っていないのに、どうにも心細い。


 辺りの賑わいが和やかな分、ふとした瞬間に孤独を感じてしまうのは、自分の気のせいだろうか――そう思いかけた時、不意に酔った男が視界に入った。


「お嬢さん、こんな夜に一人かい?」

 見知らぬ男が、ふらつく足取りで近づいてくる。


 酒臭い息に紗由は一瞬たじろぎ、声を出せないまま足を引いた。しかし、酔った男は構わずに距離を詰めてくる。


「まあまあ、そんなに怖がるなよ。遊ぶ相手がいないなら――」


「私の連れに何か?」


 その低く穏やかな声に、紗由はハッと顔を上げる。


 そこには、甘酒を二つ手に持ったアランが立っていた。いつもと変わらない穏やかな表情のはずなのに、なぜか背後に凛とした気迫を感じる。


「この方は私の許嫁です。それ以上の無礼はお控えください」


 ――私の、許嫁?


 アランの言葉が胸に深く響き、紗由はその場で硬直してしまった。


「なんだ、男連れかよ……」

 酔った男はアランの冷静な態度に圧されたのか、何かぶつぶつと言いながら去っていく。


「紗由、遅くなって悪かった」

 アランが優しく声をかけ、紗由の顔を覗き込んだ。


 その目が近くて、真っ直ぐ過ぎて、紗由の心臓はさらに早鐘を打つ。


「大丈夫です。ありがとうございます、アラン先生」

 どうにか言葉を絞り出したものの、頭の中ではという言葉が何度も反響していた。


 自分たちがそのような関係であることは事実なのに、彼の口からその言葉が出た瞬間、それが急に現実味を帯び、胸が熱くなる。


「それなら、よかった」

 アランはそう言いながら、手にしていた甘酒を二人分、紗由に差し出した。


「え……?」

 首をかしげながら、まだ湯気が立つそれを受け取ると、ふと彼が雪の積もった地面に膝をつき、紗由の草履の近くに手を伸ばした。


「アラン先生?」


「雪がついている。このままでは滑ってしまうかもしれない」

 そう言うと、彼は紗由の草履についた雪を丁寧に払い始めた。その動作は驚くほど自然で、紗由が制止する暇も与えない。


「じ、自分でできます……!」


「君の手が冷たくなるだろう」

 その言葉に、紗由の顔は耳まで赤くなった。彼の指がつま先の雪を払うたびに、その温かさが伝わってくるようで、恥ずかしさで胸がいっぱいになる。


 ようやく立ち上がったアランは、紗由を見つめて微笑んだ。


「これで大丈夫。さあ、冷めないうちに飲もうか」


「あ、ありがとうございます」

 紗由は頬を染めながら甘酒を一つアランに渡し、残った方を両手で包むようにして持つと、ゆっくりと口に運んだ。


 彼の言葉や仕草の一つ一つが胸に響き、甘酒の温かさと混ざり合って、今が底冷えする深夜だということさえ忘れそうになる。


 彼の隣に立つだけで、こんなにも心が熱くなるなんて――。


 仄かな月光が降り注ぐ中、再び銀雪の結晶がひそやかに舞い始める。だが、紗由の胸の内には一足早く小さな春が訪れたようだった。



―了―

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