第9話

 はっ、と目が覚めた。身を起こすと、あたりは静かだ。

 それでも、フェルディナントは何かに呼び覚まされたように寝台から降り、窓を開いた。

 涼しい風が、緩やかに吹き込んで来る。言葉にするなら気持ちのいい、穏やかな秋の夜、という感じだ。しかしフェルディナントは手早く簡単に着替えると、帯剣だけし、外に出た。

「団長?」

 欠伸をしていた騎士館外に立っていた見張りが、突然夜更けに出てきたフェルディナントに気付き、慌ててシャキンとする。

「馬を貸してくれ」

 馬は、すぐそこにいつも準備されている。ここは前よりも駐屯地の奥にあるから、何かあってもすぐ移動できるようにそうなっている。騎士は何故かは分からなかったが、上官の命令に速やかに従った。馬の手綱を手早く外し、「同行しましょうか?」と声を掛けた。

「いや。大丈夫だ。ここの警備を引き続き頼む」

「は……っ」

 馬上の人になったフェルディナントが騎士を見た。

「……今しがた、何か聞いたか?」

 騎士が目を瞬かせる。

「…………フェリックスの声が聞こえたような気がしたんだが」

 彼は驚いた。そのような声は全く聞こえなかったが、しかしフェルディナントが言ったことを自分が否定するのもいいものかと思い、口ごもる。

「いや。多分私の気のせいだろう。少し夜風に当たって来る。すぐ戻るだろうから気にしないでいい」

 敬礼で騎士は応える。フェルディナントは馬に合図を入れ、駆け出した。

 歩きとなると距離はあるが、馬があれば駐屯地の本部がある場所まではすぐだ。

 フェリックスがいるのは、大抵騎士館の側の倉庫前か、駐屯地の中央の焚火の側だ。

 焚火の側で飛行演習の地図を見ながら喋っていた兵たちが、夜中に突然現れたフェルディナントに気付き、敬礼する。

 やはりフェリックスの姿がない。

 その時にはフェルディナントは、何か不安のようなものが胸に沸き起こっていた。

「フェリックスを知らないか?」

「フェリックスなら、そこに……」

 倉庫の方を振り返って、おや、という顔をする。

 こういうことがあるのだ、とフェルディナントは僅かに苛立ちを見せた。

 フェリックスは確かにヴェネトに来てから、少し今までと違う落ち着きの無さを見せるようになって来た。つまり、普通の戦場では決して見せない、寛いだ姿だ。確かに特別好奇心の強い傾向はあるため、見知らぬ土地が珍しいのもあるだろうが、よくウロウロしている。

 ネーリなどは可愛がっているが、フェルディナントは正直な所、あまりフェリックスが駐屯地を歩き回るのを快く思ってはいない。

 フェリックスは隊長騎なのだ。他の騎竜がしていないことを、してほしくないのである。

 おかげで最初はフェリックスがなんだかここではよく動き回っているなあと、ネーリの後ろを追うようについて回っているフェリックスを微笑ましそうに見ていた騎士たちが、今ではフェリックスが動いても、全く気に留めなくなってしまった。

「団長?」

 夜警をしながら勉強していたらしい侍従のディアロ・ダフネが騎士館の入り口に出てきた。彼の勉強している机は、外に面しているのだ。

「フェリックスを探してる」

「フェリックスなら、少し前に入り口の方に歩いて行くのを見ました」

「どれくらい前だ?」

「三十分ほど前です。騎士館の交代が行われた、十分後くらいでした」

「わかった」

 フェルディナントは馬上から頷くと、駐屯地の入り口へとそのまま駆けて行った。

 守衛の二人がすぐ気づく。

「フェリックスを見たか?」

 二人はそれまでは気にしてなかったようだが、言われて、ハッとした。

「三十分ほど前にここに来ました。でも一瞬でいなくなって、中の方に戻ったのかと」

 彼らには、フェリックスがフェルディナントを乗せずに飛んで外に行くという発想が全く無い。だからそういう結論になった。

「も、申し訳ありません! 駐屯地の外に出て確認してみたのですが姿が無かったので」

「駐屯地にいないのですか⁉」

「……そのようだな」

 フェルディナントは駐屯地の入り口を出て、少し街道を下がって行った。

 厳しい表情をしたまま、まだ暗闇のヴェネトの海の方を見遣った。

 その時、足元を見て気づく。

 ぬかるんだ。

 雨など降ってはないのに、こんなとこまで泥がぬかるんでいる。

 波が来たのだ。

 記憶に新しい【アクア・アルタ】の驚異が頭をよぎる。

 しかし、あの時は波が押し寄せてきた時は瞬く間に潮位が上がったが、今はむしろ、潮が引いてる気がする。

 いつもより波打ち際が遠い。

 しかし、波が来た痕がある。

 一瞬の大波、そんな感じだ。

今日は風が強く、風の音がある。駐屯地の誰も気づかなかった。

 海のことは残念ながらフェルディナントは全然分からない。こんなことがあるのだろうか、と聞いてみたいと思った時にその顔が過った。

「将軍⁉」

 何かを察して歩いてついて来た騎士たちが、突然馬を駆らせて去って行ったフェルディナントに驚いた。フェルディナントは彼らに指示を与えることすら、しなかった。


「フェリックス!」


 ヴェネトを、ネーリが出て行こうとした時に、フェリックスが初めて見せた、奇妙な行動を思い出した。命じても頑なに、飛んだことを。彼の飛んだ先にはネーリがいた。

 ネーリがよくいる市街のミラーコリ教会と、干潟の家は、正反対の街道を行く。

 干潟の家に向かったのは、フェルディナント自身説明の出来ない、直感だった。

 西の街道を全力で馬を駆らせ、途中、脇道に入り、雑木林を抜けると、干潟の方へ道が続く。

 古い干潟の家が幾つか点在し、その更に先。

 崩れかけた小さな教会に、隣接する小屋。その小屋の前だ。

 ――やはりいた。

 予感はしていたが、フェルディナントは驚いた。

 確かに、竜騎兵と騎竜は表現するならば相棒、とでもいうべきで、従属関係だと傲慢に竜に接しても全く上手く行かない。竜を制御する力量は必要だが、尊敬の念を失っても、竜はそういうことを鋭く感じ取り、そういう場合支配を嫌い、攻撃的になる。

 竜騎兵と騎竜が対等ならば、

 竜騎兵が呼べば騎竜がどこに居ようと来るように、

 ……騎竜に竜騎兵が呼ばれることが、無いと何故言えるだろう?

 初めてだった。

 フェリックスに呼ばれた気がしたのは。

 そして疑いながらここへやって来て、やはり彼はいた。

 賢い彼らなら命令違反をする時は、何か必ず意味がある。そう言ったのはネーリ・バルネチアだった。

 フェリックスが砂の上に腰掛け、側に寄り添い、尾で囲むようにしている場所に倒れている姿を見つけた。

「ネーリ!」

 馬から飛び降り、駆け出す。

 足場がぬかるんだ。やはりここにも波が来たのだ。駆け寄って、助け起こすと、ハッとした。手が濡れた。ネーリが身体を丸めて、庇うように手の平をあてていた肩から、彼の手を外した途端、血が零れ出す。

「フェルディナント将軍!」

 追って来た騎士たちが、やって来る。

「軍医を呼んで来い!」

 彼らはフェリックスがそこにいたことにも相当驚いたようだが、フェルディナントの抱えるネーリにも驚いたようだった。月明かりの下で、はっきりと腕を動かしたフェルディナントの手が血に染まっているのが見えたのだ。

 すぐに慌てて数人が軍医を呼びに行った。数人はやって来る。

「応急処置をします!」

 ネーリを抱きしめているフェルディナントに、彼らは言った。

 わかってる。

「団長!」

 うるさい、分かってる。

 それでも、身体が動かなかった。

 抱きしめた細い身体が、手放した途端死んでしまう気がして、味わったことのない、恐怖を感じた。

 戦場で、何度も人を殺した。

 仲間も殺された。

 得体の知れない古代兵器に、一夜で故郷が消滅させられた。

 そんな自分が、味わったことのない恐怖だ、と感じている。

 そのことに自分でも驚いたのだ。

(俺は本当にこいつが……)


 腕の中にあるこの身体を、深く愛しているのだと、自覚した。








【終】

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