降下

 太平洋某所。

 あらゆる島々から遠く離れた大海原を、由紀を乗せた大きな船――――海上自衛隊所属の護衛艦が進む。天気は眩しいほどの快晴。三月上旬という季節に地球温暖化が加わり、更に本州よりも赤道に近い位置というのもあって、気温はとても高い。

 出来れば半袖半ズボンで行きたい気候だ。しかし由紀の服装は、そんな軽率なものではない。

 真っ白な防護服と防毒マスクを着けた、厳重装備だった。

 ただ海を進むだけなら、明らかに過剰な装備だ。いくら怪我を防ぐためでも、長袖長ズボンの作業着ぐらいで十分だろう。防毒マスクなど、一体何をする気なのかとツッコミを入れられても仕方ない。

 しかしを調べるのなら、これぐらいの警戒はむしろ足りないぐらいだ。


「到着しました!」


 甲板で海を眺めていたところ、護衛艦に同乗していた自衛隊員に、目的地の到達を教えてもらった。

 傍にいたのは一人ではなく、何十人もの隊員。全員白い防護服と防毒マスクを装着しており、腕章がなければ自衛隊員とは分からない格好だ。


「分かりました。では当初の予定通り放射線の測定、それと大気成分の採取をお願いします。あとは海水と、いれば生物の採集も。生物については種類問わず、持参した装備で捕獲可能なら捕獲、不可能であれば記録をしてください」


「はっ!」


 由紀の指示を受け、自衛隊員達はぞろぞろと動き出す。

 大多数の隊員は命じられた通り、大気などの採取を行う。しかし一部の隊員は自動小銃を装備し、周囲の警戒をしていた。

 調査というにはあまりにも物々しい。しかし相手の事を考えれば、これでさえ十分とは言い難い。

 恐らく地球外生命体と思われる、未知の生命体相手なのだから、警戒なんてどれだけしても足りないぐらいだ。


「(懸念していた通りになったわね……だからってどうにか出来たとは思えないけど)」


 国際宇宙ステーション・ヘルメスを破壊した地球外生命体……後日ミクリアと命名された。何処かの民族の言葉で『結晶』を意味するらしい……は、ついにどの国からも攻撃を受けなかった。

 不規則な移動、あまりにも速過ぎるスピードから、一つの国の内部での処理が困難だったからだ。それでも秘密裏に各国政府と連携し、撃退作戦のための外交が進められていたようだが、ミクリアは人間達の思惑よりも素早く行動を起こした。

 先日、ついに地球上へと降下したのである。

 降下地点は太平洋のど真ん中。何処の国からも離れた、どの国のものでもない場所だ。お陰で十分な観測は出来ず、直ちに部隊を送り込む名目も立たない。

 調査隊として自衛隊が此処に来たのは、ミクリア落下から百二十時間五日後の事だ。尤も、時間の大半は船の『遅さ』に由来する。米軍はもっと前に駆け付けたが、それでも七十時間も経っていた。

 総理大臣官邸での会議以降、地球外生命体調査チームの研究員に加わった由紀も調査に同行したが……ミクリアの痕跡は、少なくとも彼女の見える範囲には残っていなかった。


「(前向きに考えるなら、落下による影響は小さそうね)」


 例えば海が赤くなる、或いは魚が大量に死んでいるといった問題は見られない。

 勿論異変というのは必ずしも見えるものではなく、また即座に反応が出るものでもない。放射線や有毒物質などは、数年後に悪影響が出る事も考えられる。

 そしてミクリアは宇宙からやってきたと思われる存在。放射線や有毒物質もそうだが、最も警戒すべきは感染症だ。地球外の細菌を持ち込まれた場合、地球生物はそれらの菌に抗体を持たない。感染は爆発的に広がり、生物大量絶滅を引き起こす可能性もあり得るだろう。

 尤も、だから地球はもう終わりだ、と考えるのも早計である。

 地球の生物もまた、三十五億年もの間進化し続けてきた存在だ。能力は十分発展し、何より地球環境に適応している。

 例えば地球外の感染症に対して、確かに抗体はないだろう。だが脊椎動物なら血液中の白血球が『貪食作用』により、抗体など関係なく丸飲みにして病原体を排除出来る。昆虫などの節足動物に白血球はないが、代わりに特殊なタンパク質が細菌などの異物を包み込み、体外へと排出する作用を持つ。他にも化学物質による攻撃や、感染した細胞ごと破壊するなど、地球生物の身体には抗体以外の病原体対策免疫機能が備わっている。

 地球にいる病原体……細菌達はこれらの対策を突破する仕組みを持つ。だがそれは、生物の免疫系と競争し、進化・適応した結果だ。いわば『対地球生物』に特化した存在であり、そのぐらいしなければ地球生物の免疫機能は突破出来ない。

 始めて地球に降り立った地球外の細菌が、地球生命に感染するための進化をしている訳もない。故に案外あっさり駆逐されても、それは決しておかしな話ではないのだ。


「(そういう意味では、ミクリアも同じ可能性はある)」


 外来種というのは、必ずしも定着に成功する訳ではない。というより基本的には失敗し、そのまま滅んでしまう。

 例えば南極の海に暮らす魚を、日本の海に放っても暑さで死んでしまう。暑さ寒さに耐えても、餌となる生き物がいなければ飢え死にする。水中の溶存酸素量が少なければ窒息死するし、その土地の微生物に感染して病気になるかも知れない。それらも乗り越えてどうにか生きても、産卵場所や幼体の餌がなければ、一代で終わりとなる。

 例え生き延び、繁殖しても、次は在来種と餌や縄張りを巡って競争しなければならない。在来種というのは、その土地で長年進化してきたいわばプロフェッショナル。餌の取り方、災害からの隠れ方、天敵からの逃げ方を全て知る者達だ。余所者が戦いを挑んだところで、勝ち目などある訳がない。

 定着出来る外来種というのは、余程能力に優れるものか、余程環境に合っていたものか……或いは開発などで在来種が壊滅した環境に入り込めたものか。そういった一部のものだけである。

 ミクリアも地球環境に適応出来るとは限らない。今頃、地球の海水が合わなくて死んでいる可能性もある。


「(とはいえ、それは死骸を見付けるまで確定すべき事柄ではない)」


 ミクリアはわざわざ地球にやってきた。その仮説が正しければ、地球環境はミクリアにとって悪いものではないと考えるべきだ。自分が生きられない星に、遠路はるばるやってくるとは思えない。

 在来種との生存競争にしても、全長三十メートルもあるミクリアを襲う生物など地球にはいない筈である。天敵に食べられる可能性はほぼない。体格的にシロナガスクジラと競争するかも知れないが、生息域や餌が同じとは限らない。競争がなければ、定着するのは容易いだろう。


「(楽観視は、どう考えても出来ない)」


 何事もなく定着した場合、環境にどんな悪影響が生じるだろうか。

 流石にこれは、相手が地球外の存在であるため想像も出来ない。どんな生態を持っているか、どんな生き方をしているのか……地球の生命すら驚きの生き方をする種なんて幾つもいるのに、地球外生命体がそうでないなんて言える訳もない。

 今はただ、自衛隊員達の採取作業が上手くいく事を願うだけだ――――






 結論を言えば、願いはあっさり裏切られた。


「放射線量、化学物質共に正常な数値だ。スペクトル分析も行ったが、異常な物質は確認されていない」


 太平洋上で採取したサンプルを持ち帰ってから、凡そ二ヶ月後――――由紀と同じく研究チームに加わった勇也は、年老いて皺だらけの顔に表情一つ浮かべず、解析結果について教えてくれた。

 政府が用意してくれた研究室(某大学の一室に用意された。光一など他の研究メンバーも此処で日夜研究している)にて、由紀はその結果にやや表情を強張らせる。


「……何もないのは良い事だと思いますけど、手掛かりもないという事ですよね?」


「そうなる。検査自体は他の海域でもやっているが、今のところ目を引くような結果は出ていないな」


 淡々と語る勇也の感情がどのようなものか、由紀には分からない。

 しかし喜んではいないと思う。地球外生命体が地球に来たのは確かなのに、その後を追えないのは、一人の生物学者として悔しいだろう。少なくとも、由紀はそんな気持ちだった。


「一ノ瀬先生、海洋生物学者ですよね? 海に入ったアイツの動向とか、何か分かりませんか?」


「ふむ。そもそもあれは海洋生物なのかという根本的な疑問を無視して、個人的な考えを述べるが……ここまで痕跡がない以上、恐らく深海に潜っているな」


「深海だと、探しようがないですね」


 人類は地球上のあらゆる場所を探索した。

 そんな事を言う者がいれば、勘違いも甚だしい。未だ人類が殆ど足を踏み入れた事のない、未開の領域は確かに存在する。

 それが深海と地下だ。

 深海は探査艇を送り込む事なら出来るが、広範囲を探索する事は出来ない。あまりにも深い水は光も吸い尽くすため、上空から底を見通す事も不可能。よって極めて狭い範囲を、ちまちまと見るのがやっとだ。

 地下に至っては、ろくに探査艇も送り込めない。超高圧高温の、地獄そのもののような環境に耐える装置はないのだ。精々細長い棒を深く突き刺し、土を持ってくるのがやっとである。

 もしもミクリアがそうした場所に逃げ込んだら、探しようがない。そして太平洋上は現在、日米、それと秘密裏にミクリアについて連携された国々の衛星が監視しているが、未だ発見報告がない。

 勿論海底に潜んでいる可能性は、地球に降下してきた当初から想定されている。日米は幾つかの探査艇を、ミクリア落下地点周辺に送り込んだ。しかし現状、結晶の欠片一つ発見出来ていない。

 恐らく海底を移動しているのだろう。餌を求めてか、安全な場所を探してかは分からないが。


「さて、こうなると問題は……何時までこの研究を続けるのか、になるな」


 だからこそ継続的な調査が必要なのに、政治の世界はそうならないらしい。


「……予算などの問題があるのは、理解しているつもりなのですけどね」


 全く成果が出ない研究を、何時までも続けるのは無駄だろう。理屈としてはその通りである。

 研究というのは、何時成果が出るか分からないものだ。十年何も見付からなくても、十一年目に大発見する可能性もゼロではない。しかし予算は無限ではなく、人員も限られている。

 ましてや地球外生命体の研究チームなんて、事情を知らなければ極めて胡散臭い存在だ。政権交代などで明るみに出れば、即刻切り捨てられてもおかしくない。仮に政権交代がなくとも、次の総理がこの研究を理解する人とは限らない。

 そうして研究を打ち切った数年後に、ミクリアが活動を再開する可能性もある。シロナガスクジラの性成熟は約十年と言われており、大きな生物は成熟までそれなりの時間が必要なものだ。ミクリアの大きさからして、数年間大人しくしていても不思議はない。


「まぁ、宇津宮がその辺りの根回しをしている。アイツはそういうのが得意らしいからな」


「逆に私達は苦手ですからねぇ……あの人がいなかったら、研究チームにも変な利権絡みの人送り込まれそうでしたし」


 緊急会議の時はやや頼りなく思えた光一だが、今では研究チームになくてはならない存在だ。彼が政治面を一手に引き受けているからこそ、由紀達は研究に没頭出来る。

 ……どうにも人類は、地球外生命体を見くびっていると由紀は思う。

 それも仕方ないだろう。二ヶ月前に降下して以来、これといった問題は起きていないように見えるのだから。「何もしなくても良いんじゃないか?」という気持ちになるのは、『不安』に耐えるのが得意でない人間にはありがちな反応だ。そして実際、その可能性は由紀にも否定出来ない。調査時にふと思ったように、地球の水が合わなくてミクリアが死んでいる可能性は十分あるのだから。

 しかし外来種問題というのは、何時だって「何もしなくて良い」から始まる。初動の時点で根絶するのが一番手間がないのに、後回しにした結果どうにもならなくなる。

 地球外生命体であるミクリアで「どうにもならない」事になるのは、絶対に避けねばならない。


「なんとしても、結果を出したいですね」


「ああ。政治家達の気が変わらないうちに、な」


 由紀と勇也は決意を改める。

 しかしそれで成果が出れば、苦労がないのが研究というもの。その後一年間、由紀達はなんの進展もなく。

 そして一年後に得た進展は、想像以上に最悪な形で実現するのだった。

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宇宙怪獣ミクリア 彼岸花 @Star_SIX_778

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