つま先立ち

ケーエス

つま先立ち

 つま先立ちになってみる。手が届かない。大きなこの図書館のすみっこの本棚で、その本はずっと高いところにある。

 辺りを見回す。すると本棚の横に3段くらいの足場が置いてある。持ち上げてみた。案外軽い。よいしょと置いてみる。よろよろと登ると少しあの本に近づいた。ぐっと手を伸ばす。届かない。まだまだ自分の手と本の間に小柄な人が一人入れそうなほどだ。どうやら自分の力では無理らしい。

 もう一度辺りを見回す。向こうのテーブルで本を読んでいる人がいる。髪がもじゃもじゃのちょっと大きそうな男の人だ。ぽてっと足場を降りて近づいてみる。

「すみません」

「はい?」

「あの本取ってくれませんか?」

「どれっす?」

 もじゃもじゃな人は読んでいた本を閉じて立ち上がった。

「あ」

思わず声が出た。あれ? 小さい。さっき見たときは180㎝はありそうな気がしたのに。どうやら胴が長くて足が小さい人みたいだ。

「あ、ええと」

 男の人が異国の地に足を踏み入れたような顔をしているので、顔が歪むのをなんとかこらえながら足場まで案内した。

「あれです」

「ほお」

 男の人は私と同じくスカイツリーでも見上げるかのような顔になった。

「高いっすね」

「そうですね」

「まあやってみるっす」

 男の人は足場に乗り、手を伸ばした。私のときよりは本に近づいてる。でもやっぱり全然。それでも男の人はつま先立ちになってうーんうーんと言いながら頑張り続けるので、もじゃもじゃ頭が揺れにゆれてそれがおかしくて吹き出してしまった。

「どうしました?」

「いやなんでもないです」

 男の人は歯がゆい顔をしている。不快にさせてしまっただろうか。

「あのもう大丈夫なので」

「いや」

 彼は振り向いた。まばたき一つせずこちらを見つめてくる。

「やらせてください」

「いいですよ。諦めますから」

「いいや! やらせてください!!」

 何が彼のやる気に火をつけたのだろう。私は彼の気迫に押され、

「はい……」

というしかなかった。私が見守る中、もじゃもじゃの人の挑戦が再び始まった。もう普通に取ることは諦めたのか男の人はしゃがみこみ、勢いよくジャンプしだした。

「ええ、ええ? そこまでしなくても! 危ないですよ!」

 私の悲鳴をよそに彼は小さな足場の上を何度も何度もジャンプする。何度も何度もが揺れる。私は恥ずかしいやらおかしいやらわけがわからなくなって辺りを見回し右往左往。まるでストリートで大道芸でも演じているかのよう有様だった。


 もうそろそろギャラリーが集まってくるんじゃないかと思われた頃、奇跡が起こった。

「はいやっ!」

 男の人の小指があの本をかすめた。本は下からぐらっと浮き上がり、落ちてきた。

「やった!」

 彼は大笑いして足場に着地――できなかった。彼は見事に足場を踏み外し、本と共に不時着したのだ。

「イテテ……」

「大丈夫ですか!?」

 私は彼のもとにしゃがみこんだ。どうしよう。私のせいで。でもどうしたら。私が請求書を頭に浮かべていると、彼は腰をさすりながら、

「はい」

 とにこやかに本を片手で私に渡してきた。

「怪我したんじゃ」

「僕は大丈夫」

 私は本を受け取った。分厚い海外ファンタジー。ずっと読みたいと思っていた本だった。

「やっと読めるようになってよかったですね」

「え?」

 ぎょっとした。私の心を読んでいるんだろうか。でもこちらを見つめている目はさっきと違ってとても優しい。

「だって僕に話しかけてきたとき、ものすごく切実な顔をしてたから」

 そうだったのか。その時の自分の顔を想像すると恥ずかしくなってきた。思わず目をそらしてしまう。

「ありがとうございます」

 思い出したように感謝の言葉が口から出た。

「いえいえ」

 男の人は立ち上がった。痛みなんて感じさせないような明るい表情だ。本当に痛みなんてどうでもいいのかもしれない。

「では」

 彼は手を挙げて会釈した。私も会釈を返す。口角を上げながら。彼は元のテーブルに戻っていく。私はその後ろ姿を見逃さないよう目で追った。さっきより、もじゃもじゃが少し乱れていた。


 それ以来も図書館に来ているけど、あの男の人を見たことはない。彼が取ってくれた本は500ページはあったけどあっという間に読み切ってしまった。私はまたあの本棚の前にいる。下巻がまたあの高いところにあるのだ。でもまだ取っていない。もじゃもじゃの彼に取って欲しいから。





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つま先立ち ケーエス @ks_bazz

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