厳しい教育
馬車に揺られて伯爵邸に到着したイザベラは、夫妻に続いて屋敷に入る。出迎えに集まった使用人たちに腰を落として挨拶をするイザベラだったが、彼女の出自についてはすでに夫妻が広めていたのだろう。使用人たちの目は明らかに好奇と「どうして孤児院育ちの私生児が令嬢に?」という侮蔑にまみれていた。
その遠慮のない視線になんとか耐えていると、奥からレースを幾重にも重ねた濃い黄色の豪奢なドレスにいくつもの宝飾品を飾った少女が現れた。
「おかえりなさいませ、お父様、お母様ーーってあら、その子は噂の?」
「そうよ、イザベラ。ご挨拶を」
「イザベラ……グレンシャーにございます」
「あら、そう。まあまあ見れる子じゃないの。きっとマイルウェルのご子息も満足してくれるわ。まあ彼に愛想をつかされないようにして、我が家に貢献するのね」
そう言うと、彼女は後ろに控えていた侍女に目線で合図をして、彼女達とともにまた奥へと戻っていった。
「あの……伯爵夫人? ご夫妻にはご令嬢がいらっしゃるので? でしたら私はどうして……」
「また詮索ですか。相変わらず節操のない」
正しく貴族令嬢然とした少女の登場に疑問を浮かべるイザベラは、夫人の厳しい声にまた身を震わせる。だがそれに割って入ったのは夫である伯爵だった。
「まあ良いじゃないか、アメリア。内情を把握しておくことも必要だろう」
「それもそうですね。ではイザベラに教えてあげましょう。そもそも我がグレンシャー伯爵家は建国以来の由緒正しき家柄で領地も多く持ち、王家の信頼も厚い家です」
「ところが最近そうも行かなくなってきた」
伯爵の言葉に夫人の纏う空気がぐっと冷たくなり、イザベラは思わず半歩後ろに下がる。
「……夫の言う通りです。近年は新興貴族の台頭が激しく、我が家の家計は厳しくなる一方。領地の収入も段々と減り続けています。そんな折、古参貴族の誇りを持つもの同士手を組もう、と婚姻の提案をされたのです」
「そのお相手がマイルウェル侯爵家ですか?」
「ええ、経済力では我が家程ではありませんが、しかし彼らもまた建国以来の古い家柄です。まあ我々も『古いだけのマイルウェル』の手など借りたくなかったのですが、新興貴族と手を組むよりマシだろう、とそのお話に乗った訳です。しかし……」
そこで話を切る夫人にイザベラはゴクリとつばを飲む。
「想定外のことが置きました。美しい私の娘、リリーはお隣のフォートテイル王国のアルメイル公爵に見初められ求婚を頂いたのです」
「フォートテイル王国ですか!?」
「名前はご存知のようね。そう、我がハンヴェルトーン王国を凌ぐ大国。当然同じ貴族でも、その経済力も権威もマイルウェルとは天と地程差があります。とはいえマイルウェルの家柄も魅力的ではありますし、纏まりかけた婚約を破棄するのも外聞が悪い。そこであなたのことを思い出したのです。夫が針子に産ませた子供、それが孤児院にいるじゃないかーーとしかもまあまあ愛らしいとのこと」
「お待ち下さい! 思い出しってまさか」
「えぇ、もちろんあなたの存在は知っていましたよ。最もこんなことがなければ認めるつもりなど微塵もありませんでしたがね、夫の火遊びの末の卑しい子供など……」
「そんな……でしたら、いえ」
自分の所在を知っていたらどうして、せめて母が病にかかった時に手を差し伸べてくれなかったの? と聞こうとしてイザベラはその言葉を飲み込む。
どう考えても、夫の浮気相手が病気だから、と援助をくれる相手には思えなかったし、それにイザベラの母の命を奪ったのは毎年流行る季節病で、治療してどうなるものでもなかった。
「何か不満でも? まあ良いでしょう。という訳で、リリーはアルメイルへ、あなたはマイルウェルへ嫁ぐことで、我が家は国外、国内ともに地場を固めることになり、昔の繁栄を取り戻すことが出来るのです。理解しましたか」
「わかりました、夫人」
この先に待つであろう未来を想像したのか、ニヤリと笑みを零す夫人。その表情に薄ら寒いものを感じつつイザベラは返事をしたのだった。
そうして始まった伯爵家での生活だったが、予想通りというべきかそれは城に上がったシンデレラのような幸福なものではなかった。
朝早くから夜遅くまで教師が入れ替わっての令嬢教育。それは想像していたものだし、必要なものだと分かっているから良い。しかし伯爵夫人に厳しく指導するように指示された家庭教師達は少しでもイザベラが課題をこなせないと容赦なくムチを振るう。ときにはイザベラの様子を見に来た夫人自らがムチを振るうこともあった。
その上部屋は屋根裏の使用人部屋の並ぶ廊下のさらに奥。そもそも使用人部屋、としてすら想定していなかったであろう部屋は窓もなく、春も中旬だと言うのに光が差さず、一日中じっとりとしていて、それでいて寒い。
それ以上に堪えたのがドレスだった。一見すると豪華に見えるドレスを勉強のために着させられるのだが、急ごしらえのためイザベラの体格に全くあっていない。採寸もろくにせずにリリー嬢の古いドレスを仕立て直したドレスは、ただただ重いばかりで身体を動かしにくい代物だった。とはいえそれで姿勢が曲がれば容赦なくムチが飛んだ。
さらに食事もイザベラにとっては苦痛だった。中身こそ孤児院にいた頃は想像もできない豪華なものだったが、あくまでも食事も令嬢教育の一環。姿勢、手の動かし方、表情まで一挙一動を細かく見られ、少しでも間違いがあればすぐにムチが飛ぶ。その上先程のように何度か失敗をすると、食事を途中で止められることも日常茶飯事だった。
これが市井に出回っている童話なら、優しい使用人がお腹を空かせた彼女に何か差し入れてくれるかもしれない。しかし残念ながら、使用人達の待遇もあまり良くないらしい伯爵家にはイザベラの味方はいない。むしろ孤児院育ちでありながら令嬢となったイザベラに向けられるのは、厳しい視線ばかりだった。
今日もイザベラはお腹を空かせたままベッドに入る。期待していた訳では無いが、まさか伯爵家の生活がここまでつらいものとは……イザベラは懐かしい孤児院の生活を思い出しながら眠りにつくのだった。
『本日はお招いてくださって有難う……』
ピシャリ!
「また間違えましたね、もう一度最初から」
今日も伯爵邸の一室にムチの音が響く。これまで庶民として生きてきたイザベラにとってここで学ぶことは初めて見聞きすることばかり。どれも覚えるのに苦労したが、その中でも苦手だったのが外国語だった。
船の技術が発達したことで大陸との距離が格段に近くなった近年。大陸の複数の言葉を話すのは貴族階級にとっては必須のことらしい。まず手始めに、と最も近く、かつ大陸屈指の大国であり、またリリー嬢の嫁ぎ先でもあるフォートテイル語から始めたイザベラだったが、そう一朝一夕で外国語など覚えられるものではない。
本来なら、授業はすべてフォートテイル語でするらしいのだが、それでは全く授業が進まないことから、ハンヴェルトーン語で進めている程だ。そんな状態故にイザベラがムチをもらう回数も他の授業に比べて飛び抜けて多かった。
今日何度目かのムチの高い音が部屋に響いた時、突如ドアが空き、少し慌てた様子の伯爵夫人が入ってきた。
「相変わらずのようねイザベラ、まだフォートテイル語すら満足に話せないの?」
「期待に添えず申し訳ございません、伯爵夫人」
ドアの外で授業の様子が聞こえたのか、不機嫌そうな夫人にイザベラは頭を下げる。
「まあ、今は良いわ。それよりフリエルさん、今日の授業はここまでとして下さい。少々用事が出来ました」
「用事? ですか」
「ええ、イザベラ。マイルウェル侯爵夫人があなたの様子を見に来られるそうです。まずは夫人に気に入られないと意味がありませんからね。まずは着替えを、あなた達、急いで!」
最後は後ろに控えていた侍女たちに向けて発破をかけるように言いつけた彼女はすぐに部屋を後にする。イザベラも残された数名の侍女たちによってドレスを着替えさせられ、緊張に表情を引きつらせつつ、伯爵邸のサロンに向かったのだった。
見習いレディは見返したい 五条葵 @gojoaoi
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