第6話

 ネーリも、勝算が必ずしもあったわけではない。しかし城の構造はよく分かっていたから、自信はあった。落下しながら体勢を整えて、渾身の力を込めて、塔に向かい三角刃を放った。望んだとおりの手ごたえがあり、ガクッ、と落下が止まった。叩きつけられそうになった塔の壁に、足をつく。

 下はまだ遠い。

 霧の中に見通せないが、じきに捜索が始まる。一刻も早く湿地帯に降りなければならない。ネーリはもう一枚の三角刃を構え、支えになっていた刃を引き抜いた。

 再び落下していく身体を、もう一度同じ方法で支えると、うっすらと地上が見えた。もう一度刃を引き抜き、二本の三角刃を城壁に滑らせ、落下の速度を落とす。船の高位から落下した時の応用だ。上手く行くとは思わなかったが、やるしかなかった。結果として足は地面に再びついた。

 ネーリは手の中の三角刃を確認する。激しく石壁を滑らせたのに、刃こぼれも見られない。祖父ユリウスが交易で見つけた、特殊な金属で作られた刃。とある国では王の最も信頼する護衛だけが持つ武器なのだという。ヒビ一つなく、美しく輝いている三角刃に、ネーリは感謝するように唇を付けた。

 早速上部で人の気配がする。彼はすぐに刃をしまうと霧の中に駆け出した。夜が明ける前に海に逃れなくてはならない。駆け出した霧の中で、ネーリは一度だけ立ち止まった。


 かつて、ここを通った。


 その先にある【シビュラの塔】。

 愛する者を失って、フェルディナントはこの地にやって来た。

 彼が自分に向けてくれる誠実に、少しでも向き合いたいと望んだこと。

 心は会うたびに近づいて行って、きっと深く結び付く未来がこんなにも確かに予想出来る。幸せを感じるたびに、棘のように刺さる。

 大きく開扉した【シビュラの塔】のあの光景……。

 幸せになりたい。

 でも、自分だけが幸せになりたいというわけじゃない。

 フェルディナントを騙して、貴方の国を滅ぼした一因に、自分がなってるかもしれないのだということも告げられず、抱かれて、自分だけ幸せだと思うこと。

 ……そんな生活、きっと気が狂う。


(まだ許されると決まったわけじゃない)


 あの美しい、天青石セレスタインの瞳に憎しみを向けられるのは、死よりも恐ろしい。

 でも神を欺く罪を重ねるよりは、きっと死んだ方が美しい。

 自分はそれほど、病的に神を信奉しているわけではないけど、教会に身を寄せた時、天の慈悲で自分が生かされてるように感じることもあるのだ。

 痛みを抱えて……。

 でも自分の中に残る、何かを想う力を頼りにこの地にやって来て、この地の人々を守ろうとしてくれた、フェルディナントは騎士の中の騎士。

 彼らはヴェネトの危機に神が遣わした使者だ。

 イアン・エルスバトも、

 ラファエル・イーシャも。

(例え僕が命を失っても、彼らは決して【シビュラの塔】を好きにはしないでいてくれるはず)

 誰も巻き込まないように、一人で戦うという誓いを立てた。だから彼らと共には戦えないけど、率先して【シビュラの塔】を探りに行くことは、彼らの為にもなるはずだ。

【シビュラの塔】が今、どうなっているのか分かれば。

 ネーリは短い時間の中で考え、心を決めると、フェルディナントと自由の待つ、海ではなく、逆の方向へと霧の中、駆け出した。

 これが最後の機会かもしれない。


【シビュラの塔】へ。


 光の花が咲いている道だと信じながら、ネーリは闇に沈む湿地帯を駆け抜けた。

 彼はこれが、自分がこの地で行える、最後の使命であり、【シビュラの塔】に関わる者として、そこに赴く最後の機会だと考えていた。



 後にこれが、運命に関わるための最初の機会であり、

 全ての始まりに過ぎなかったことを知るのである。







【終】

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