第6話 サマータイム
千愛は
同じ学校のたちの悪い友だちにつきまとわれたと言って、じめじめした雨の日、開店前のこの店に逃げ込んできたのが、千愛がこの店に来た最初だった。
温かいミルクコーヒーを出してやった。
ピアノが弾けると言ったので、落ち着かせるためにピアノを弾かせてやった。
それが、学校で習う音楽とか、ヒット曲とかではなく、ジャズの定番曲のひとつ「サマータイム」だったので憲悟は驚いた。
両親の仲が悪く、会話のない家で、父親がずっと「こういう音楽」を聴いているので、耳で覚えてしまったという。
憲悟はその場で見留美貴を呼び出し、その演奏を聴いてもらった。
見留美貴も、千愛の演奏を聴いて、「自分にないものを持っている!」と、目を輝かせて激賞した。
やがて不登校になり、形だけ中学校を卒業した千愛を、美貴が中心になって引き取って、ピアニストとして育てた。
半年経たないうちに、千愛は美貴とこの店の看板を分け合うピアニストになっていた。
愛らしくて、その愛らしさに似合わないパワフルな音をピアノからたたき出す千愛。
でも、楽器から離れたら、不器用で、自分を表現する方法を持たず、すぐに感情を爆発させてしまう千愛。
憲悟と美貴が見ているうちはよかった。
ところが、美貴が結婚すると言って店を出て、美貴を追って憲悟が店を空けると、千愛は、そのあいだに名うてのプレイボーイの男にだまされ、駆け落ちしてしまった。
すぐに
戻って来てからの千愛は、けばけばしい格好で、何を言われても乱暴な受け答えしかしないはすっぱな女になっていた。
しばらく親の仕事を手伝っていたようだが、今度は親のやっていた薬屋が大手ドラッグストアに押されて廃業してしまう。一度は父親の郷里の家族に引き取られたが、無理やり結婚させられそうになったとかで、また浅草に逃げてきたらしい。そしてまた男に引っかかり、また捨てられた。
寝るところもなく、夏の暑い日に着替えもなく、食べるものを買う金もなくなり、
行くところがないと言うと、ちょうどいいから、と、その福禄旅館に雇われることになった。
福禄旅館の仕事をするようになってからの千愛は、人が変わったようにまじめに働いたそうだ。
そして、まじめすぎて嫁の来手がないと言われた福禄旅館の若旦那と結ばれた。
やがて若旦那は旅館の主人になり、千愛は福禄旅館のおかみさんになった。
その二人のあいだに生まれた娘が、いま憲悟の前にすわって、コップを慎ましく両手に持ってサイダーを飲んでいる、この
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