第4話 日射しの間接照明
夢というのは、さめた後で忘れてしまうものだけど、ときにその一部分が強烈に残っていて、起きた後もしばらくその夢の続きで行動してしまうことがある。
といっても、できることは限られている。
傘立てを外に出して店のなかに濡れた傘をなるたけ持ち込ませないようにする、とか、スケジュールとおしながきを書いた黒板を雨に濡れないところに移すとか。
どっちにしても、どれくらい雨が降っているかを確認しなければ。
この店は地下にあるが、ドアのまわりは不透明ガラス張りで、昼のあいだは、ある程度なら外の様子がわかる。
そのドアへあと五歩というところまで行って、思い出した。
今日は一月一日。
あの陰気な海辺の部屋から帰ってきたはずがない。
その不透明ガラスには、階段の壁に反射して間接的に、だけど、いっぱいに太陽の光が降り注いでいた。この店にはこの「間接照明」の太陽がいちばん似合う。
雨が降っていたのは、夢のなかのあの場所で、今日のこの店ではない。
いまはここから一時間では行けない街に行ってしまった
その見留美貴が熱烈に好きだった
憲悟が見留美貴を連れて帰らず、しかも憲悟の見留美貴への気もちに気づいて激怒した瀬山僚は、もうこの店ではプレイしないといって、姿を消し……。
……三年後にすり切れたジーンズとよれよれのジャケットで、倒れそうになりながらまた現れた。
「もうここでは叩かんのじゃないのか?」
と冷やかすと
「おれは瀬山僚なんてやつじゃない」
と意地を張って、それで、瀬山リューという、中途半端な芸名を使うようになった。
そいつが、力仕事の親方みたいになって二十年後も店でドラムを叩き続けている。
ぽちゃぽちゃしてかわいかった見留美貴は、いまもあの海辺の街にいて、ときどき、夫のレコード収集狂と開いた店でピアノを弾いているらしい。
どうしているか。
もしかして、美貴とその旦那から年賀状が届いているかも知れない。
郵便受けを見に行こうか。
扉のまわりの不透明ガラスからは、いまも間接照明のまぶしい太陽がさし込んでいる。
そのガラスに、あいまいに揺れる影が見えた。
影は通り過ぎない。
だれかが、店への階段を下りてきているらしい。
急いでいない。
のんびりしているのか、ためらっているのか。
もしかして、ピー子ちゃんが、さっそく店に出て来た?
それよりは、大家さんの奥さんがあいさつに来たとか、そっちのほうがありそうだ。
憲悟は待った。
その人物の影が不透明ガラスに浮き上がるところまで待って、店の扉を開ける。
ピー子ちゃんでも大家さんの奥さんでもなかった。
光沢のある生地の白いコートをお行儀よく着た中学生の少女。
まじめな顔で、紙袋に入った四角い大きいものを持って、いちばん下の段から憲悟の顔をじっと見ていた。
「お、
「おめでとうございます」
恥ずかしがっているような、そんなあいさつをしているばあいじゃないと言うような、でも嬉しいような。
動画に撮っておきたいようなそんな表情で、少女は日射しの間接照明のなかに立っていた。
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