「あなたのことが好きなの」

これで、決着をつけるんだ。


「烏丸......紗月......よし」


念には念を入れて、ネームプレートを確認する。


始業の一時間半前。

まだ校舎内はひっそりとしている。


一週間前とは別の下駄箱。


そこに、俺はラブレターを置いた。



 ◆◆◆



放課後の時間になるまでの、一分一秒が苦しい。


授業中、紗月さんの横顔をちらりと盗み見る。


いつもと違うようにも、同じようにも見える表情。


ダメだ。


いくら考えたって、わかりっこないのに。

不安と期待がどうしようもなく入り混じる。


そして、ついに放課後の時間が訪れた。



 ◆◆◆

 


屋上。その場所に続く階段を上る。


「......ふぅ」


終業のチャイムが鳴ってから、心臓のバクバクが止まらない。


一歩一歩、ゆっくりと足を踏み出していく。


そして、視界が開けた——。


「え」


そこにいたのは、瑞稀だった。


一瞬、時間が止まったような感覚に陥る。

異質な空気が、その場を支配する。


沈黙を破ったのは、瑞稀の方だった。


「安心しなさい。お姉ちゃんはもうすぐ来るわ」


そう言いながら、瑞稀はこちらに歩き始める。


一体、どういうことなんだ。


俺は、正直な疑問をぶつけることにした。


「どうしてお前がここにいるんだ?」


瑞稀が俺の目の前まで歩み寄る。

そして、ニタニタと笑みを浮かべた。


「下僕の勇姿を見届けてあげようと思ったの」


「......はぁ?」


「昨日、練習してあげたでしょ?」


「そりゃ、そうだけど......」


「そう。だからね......」


そこまで言うと、瑞稀はおもむろに口を閉ざした。


そして——。


困ったような苦笑いを浮かべる。


「ごめん。全部、嘘」


「え」


「本当はね?」


一呼吸おいて、瑞稀はまっすぐ俺の目を見つめる。


そして、瑞稀の口が開いた。


「あなたのことが好きなの」


街並みが夕焼けに沈んでいく。


瑞稀の顔が、オレンジ色に染まる。


幻想的な光景。


でも、それは間違いなく現実だった。


「なーんてね♡」


「は?」


「きゃは♡ 騙されちゃった?」


「おい」


「だっさぁ♡ ば〜か♡ ぶぁ〜か♡」


クヒヒ、と音を立てて笑いながら、瑞稀が全力で煽り立てる。


本気にした俺がバカだった......。所詮、俺は瑞稀にとっての玩具でしかないのだ。


でも、それでも。


瑞稀は本当に、俺を騙したつもりなのだろうか。


だって——。


さっきの瑞稀の目は。


とても、嘘をついているようには見えなかったから。


「ねぇ」


「ん?」


「キスの練習、してあげよっか?」


「......!」


突然の提案。

 

瑞稀が、ずいと体を擦り寄せてくる。


困惑する俺。だが、瑞稀は止まらない。


背後に手が回り、ぎゅっと抱きしめられる。


「大丈夫。ただの練習だから♡」


悪戯っぽくそう言うと、瑞稀はちょんと背伸びをして。


そして、静かに目を閉じる。


「......」


しばらくの沈黙。


密着する体。

どうしようもなく心拍数が上がっていく。


瑞稀のそれも、とくん、とくん、と震えるのがわかる。


緩やかに突き出された唇。


否応もなく、そこに視線が吸い込まれていく。


でも——。


「ごめん」


俺は、瑞稀を拒絶した。


「あ......」


名残惜しそうに、二人の体が離れる。


「俺が好きなのは、紗月さんだから」


「......」


「だから、お前とはできない」


「......そっか」


そう呟くと、瑞稀は静かに下を向いた。


定刻のチャイムが鳴る。

紗月さんとの待ち合わせの時間が近づく。


もう、練習の時間は終わりだった。


「......ばぁか」


「え?」


一瞬、耳を疑うような瑞稀の言葉。


啜り泣くような声が漏れる。

両手で目元を擦る仕草。


そして、こちらを見上げた彼女の表情は——。


ひどく、泣き腫らした顔で。


「ぶぁ〜〜〜かぁぁぁぁぁぁ!」


その絶叫は、校舎中に響き渡った。



 ◆◆◆



それから数日後。


地下鉄を乗り継いだ先にある、県北の繁華街。


階段を駆け上がり、人波の中に飛び出す。


「ごめん、お待たせ」


俺が声をかけると、彼女がくるりとこちらを向いた。


絹のように美しい黒髪が、風に吹かれて優雅に揺れる。


「全然、今きたとこ」


そう返事をして、柔らかに微笑む彼女。


凛とした瞳。細く引き結ばれた口元。


烏丸紗月。学園の生徒会長。


俺は——。

一世一代の大勝負に、見事勝利したのだ。


「それじゃ、行こっか」


「うん」


「手、つなぐ?」


「......うん♡」


ほのかに頬を染めながら、紗月さんはこくんと頷く。


そっと片方の手を差し出すと、彼女がそれを受け入れる。


夢にまで見た、幸せな時間。


そして、俺たちは歩き始め——。


「......あれ?」


「どうしたの?」


「いや、今......何かが見えたような」


紗月さんのそばにまとわりつくように、ぴょこぴょこと蠢く影。


いや、見間違いじゃない。


忘れるわけがない。


だって、そいつは——俺の「主様」だったから。


「おい」


「ぶぇっ!」


ぱしん、と首根っこを捕まえると、素っ頓狂な声が上がる。


背の低い、紗月さんと同じ髪色のツインテールの少女。


烏丸瑞稀。それが彼女の名前だった。


「どうしてお前がここにいるんだよ!」


「な、何のことですかぁ?」


「とぼけるな!」


「ち......痴漢ですぅっ! 私、この人に襲われてますぅっ!」


「は......おい!」


瑞稀のトンデモ発言に、周囲の視線が一斉に集まる。


一体、こいつは何を考えているんだ!


「誰かと思えば、瑞稀じゃない」


紗月さんは(なぜか)慌てた様子もなく、淡々とそう呟いた。


そして、俺と瑞稀の顔を交互に見比べる。


まずい。非常にまずい。


俺とこいつの関係がバラされたら、すべてが終わる。


わたわたと手を振りながら、俺は焦って弁明した。


「紗月さん、これは、その、色々と事情が......」


「ふふっ......キミも大概にしないとね♡」


「へ?」


予想外の反応に、思わず腑抜けた声が出る。


「いくら私が好きだからって、妹にまで手を付けるなんて......」


「違うわ!」


「お姉ちゃん、ご名答〜!」


「違うわぁぁぁ!」


思わず大声で叫んでしまう俺。


そんな俺の反応を見て、二人は心底おかしそうに笑っていた。


優等生と問題児。

かけ離れた性格と雰囲気。


けれど、確かに二人は姉妹なのだ。


そのことを、改めて思い知らされた。


「ねぇ、アンタ」


ひとしきり笑い終えると、瑞稀はそう呟いて、俺を手招きする。


「何だよ」


「ちょっと耳貸して?」


片手を口元に当てながら、瑞稀が言う。


俺はため息を吐きつつ、瑞稀に身を寄せた。


「私、まだ諦めてないから」


「え」


思わず、言葉が詰まる。


そんな俺を見て、瑞稀はニタニタと笑みを浮かべた。


小馬鹿にした声色と、猫のように細められた目。


それは、出会った時から何も変わらない。


「じゃあ、今日は三人でデートね?」


「は?」


「きゃは♡ もちろん、全部アンタの奢りだから♡」


「はぁぁ?」


夕暮れ時のアーケード街を、瑞稀がすいすいと駆けていく。


でも、もしかしたら——。

俺は一生、こいつに逆らえないのかもしれない。


そんなことを思いながら、紗月さんと二人、生意気な彼女の後を追いかけた。


《おわり》




◆◆◆


あとがき


最後までお読みくださりありがとうございました。この作品はカクヨムコンテスト10短編部門への応募作品です。


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片想い相手の妹に弱味を握られて「下僕契約」を結ぶことになってしまった… とけいみがき @tokeimigaki

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