「だ、大学生の彼氏がいるんですけど?」

「......ふぇ?」


しばしの沈黙の後、瑞稀の頬がみるみる赤く染まっていく。

 

ぱちぱちと目を瞬かせ、口元が小刻みに震えているのが見える。


「......おい」


「びきゃっ?!」


瑞稀の身体がぴくりと跳ねる。


丸い瞳が上から下に、そして右から左に忙しなく動く。


そして、背中を丸めたかと思うと、サイドステップを踏んで。俺からそそくさと距離を取った。


「どうしたんだ。様子がおかしいぞ」


「......ぜんぜん、こんなの、へっちゃらですけどぉ?」


「そうだよな。ただの練習だもんな」


「そうそう、練習! これは練習だから!」


「わかってるって」


「本当だもん! だから、ただの演技っていうか......」


そう言いながら、瑞稀は両手をぎゅっと揉み合わせる。


この反応、まさか......。


「お前、初めてだったのか?」


「え」


「告白されるの」


一瞬、瑞稀が言葉を詰まらせる。


キョロキョロと目が泳ぐのがわかる。


「そ......そんなことないですけどぉ?」


「だよな」


「てゆーか、大学生の彼氏がいるんですけどぉ?」


「まじかよ」


「そうそう! 男らしくって、私のことがだーい好きで、もう大変なんだから!」


「へぇ」


「そうなの! アンタと違って経験豊富なんだから、一緒にしないでくれる?」


瑞稀はそう言い切ると、えっへんと腕組みをした。


大学生と付き合っているのか。


まだ高校一年生なのに......ちょっと心配だな。


「付き合ってどれくらいなんだ?」


「それは......半年?」


「へぇ。きっかけは?」


「ふぇ? えっとぉ、ナンパ......とか?」


とか、って何だよ。

思わず心の中でツッコミを入れてしまう。


だが、まあ、こいつが経験豊富というのは本当なのかもしれない。


それなら——。


恋愛初心者として、聞いておきたいことがある。


「もし告白が成功したら、次はどうすればいいんだ?」


「えっ」


「もし、紗月さんと付き合えたらの話だ」


「それは......普通にデートとか?」


そうか。デートか。


「紗月さんと二人きりだよな」


「当たり前でしょ?」


「そうだよなぁ......」


そう呟くと、俺は腕を組んで考え込む。


正直、今まで紗月さんと二人きりの時間を過ごした記憶なんてない。


それどころか、女の子と一対一で話した経験も......。


いや、それは流石にあると信じたい。

もちろん、瑞稀は例外として。


でも、いきなり本番は不安だなぁ......。


「ふぅ......なんとか誤魔化せたぁ......」


目の前には、小声でぶつぶつと呟く瑞稀の姿。


いや、待てよ。


「なあ」


「ふぇ?」


腑抜けたような声で返事をする瑞稀。


そうだ。ちょうどいい練習相手が、目の前にいるじゃないか。


「この後って、時間空いてるか?」



◆◆◆



そういうわけで、地下鉄を乗り継ぐこと約二十分。


俺たちは、デートスポットとして名高い県北の繁華街にやってきた。


地上に降り立つと、見渡す限りの人、人、人。


この人混みでは、気を抜くとはぐれてしまいそうだ。


「手、繋ぐか?」


「ふぇ?」


「デートの練習だろ?」


「あ、当たり前でしょ?」


「だよな」


無事、同意を取り付けると、俺は手を伸ばしかけた。


......いや、待てよ。


いくら学校から離れたとはいえ、ここは県内随一の繁華街。


クラスメートや後輩に目撃される可能性は十分ある。


ましてや、紗月さんに見られでもしたら——。俺が瑞稀と手を繋いでいるところなんて、絶対に誤解される。


「あれぇ? もしかして、ビビってる?」


「!」


「きゃは♡ ざぁこ♡ ざぁこ♡ いくじなし♡」


俺が躊躇していると、瑞稀はすぐさま攻撃モードに移行した。


「よわむし♡ ざこメンタル♡」


「うるせえ」


「どうちたのかな〜? ほら、繋いでみれば? まあ、無理にとは言わないけど?」


そう言いながら、瑞稀は体をこちらに擦り寄せてくる。


「ほら♡ ほら♡ ちょんちょん♡」


指先でチクチクと、俺の手の甲をつついてくる瑞稀。


ぷつん。


その瞬間、俺の中で何かがブチ切れる音がした。


そうだ。なぜ躊躇していたのだろう。


こいつは人の恋愛事情に土足で踏み入った挙句、上級生を「下僕」として使役するような人間のクズだ。

 

遠慮なんて必要ない。


俺は覚悟を決めると、瑞稀の手のひらを力強く握りしめた。


「え」


不意を突かれて、瑞稀が思わず声を漏らす。


そして、俺は指先を絡めていく。


「ちょ」

 

引っ込みそうになる瑞稀の手を、強引に引き戻す。


これでもう、逃げられない。


「あ......♡」


そして、俺と瑞稀の手は繋がれた。


いわゆる「恋人繋ぎ」というやつだ。


「よし、行くぞ」

 

「......ふぁい♡」

 

消え入りそうな声で返事をする瑞稀。


その頬は、ほのかに上気しているように見えた。



 ◆◆◆



それから、俺たちは何事もなく「デートの練習」をした。


アパレルショップに入って、瑞稀に似合いそうな服を一緒に探したり。


ゲームセンターでUFOキャッチャーに夢中になったり。


噴水を眺めながら、露店販売のスイーツを頬張ったり。


下僕という立場柄、そのすべてを奢らされたのは屈辱的だったが——。


それでも、どこか高校生らしい時間を過ごせた気がした。



 ◆◆◆



「いっただきま〜す♡」


イチゴがたっぷり乗ったパフェを前に、幸せそうな笑顔を浮かべる瑞稀。


夕時になり、休憩がてらに立ち寄ったファミレス。


まだ夕食前ということもあり、俺はドリンクバーで我慢しているのだが......。


「そんなに食べていいのか?」


「甘いものは別腹だもん♡ もちろん、ここも下僕の奢りだよね?」


「......わかったよ」


「やっちゃ〜♡ 下僕、だ〜いすき♡ きゃは♡」


瑞稀はそう言いながら、口いっぱいに桃色のクリームを頬張った。


満面の笑顔を浮かべ、いかにも幸せそうな様子だ。


本当に、何もしなければ可愛いやつなんだけどな......。


そんなことを思いながら、俺はドリンクバーのジュースをちびちびと飲む。


そして、本題を切り出した。


「それで、どうだった?」


「何が?」


「今日のデート。お前から見て、どうだった?」


問われた瑞稀は、小首をかしげて天を見上げる。


「うーん......40点ってとこ?」


「え」


「まあ、下僕にしてはマシなんじゃな〜い?」


「それって、良いってことか?」


「きゃは♡ 自分で考えてみれば?」


そう言いながら、瑞稀はパフェのてっぺんに乗ったイチゴを口に放り込んだ。


結局、はぐらかされてしまった。


まあ、こいつも楽しそうにしていたし。

ひとまず合格ということでいいのだろうか。


「まあ、私はそこそこだったけどぉ?」


「そうか」


「でも、お姉ちゃんは満足させられないかもね♡」


「......そうか」


紗月さんの名前を出され、俺はガックリと肩を落とした。


長年連れ添った妹としての評価。

それは、少なからず信頼できるものだろう。


「どのあたりが悪かったと思う?」


「うーん......全体的に? お姉ちゃん、こういう騒がしい場所は苦手だし」


それは、最初に言ってくれよ。

俺は心の中で悪態をつく。


裏を返せば、場所選びも評価のうちということなのだろう。


まあ、どちらにせよ。


俺はまだ、紗月さんのことを何も知らないのかもしれない。


いや、実際に何も知らないのだ。


紗月さんが、どんなタイプの男が好きなのか。どんなものが好きで、嫌いなのか。


三年間想い続けただけでは、全然足りない。

まだ、知らないことだらけだ。


だけど——。


「なあ」


「んー?」


パフェを口に運びながら、こちらをチラリと覗き見る瑞稀。


今日一日で、確信できたことがある。


「明日、紗月さんに告白しようと思う」


「え」


カラン、とスプーンが音を立てる。


「今日一日だけでも痛感したよ。俺が、つくづく紗月さんのことが好きだってこと」


「......どうして?」


「だって、俺の頭の中には、ずっと紗月さんがいたから」


「......っ!」

 

「もし、隣にいるのがお前じゃなくて紗月さんだったら——そう思うと、胸がドキドキしてさ」


「......」


「俺も、もう三年生だ。これが最後のチャンスだと思う」


無意識に、拳に力がこもる。


本当に、瑞稀が言っていた通りだ。俺は結局、決断を先送りにしていただけだった。


もし、断られたらどうしよう。

嫌われたらどうしよう。


そんな不安が頭をよぎり、ずっと一歩を踏み出せずにいた。


だけど、想いを伝えなきゃ。

そうじゃないと、何も始まらない。

一生、後悔するだけだ。


だから——。


「瑞稀」


「......何?」


正面から瑞稀を見据えて、本心からの言葉を述べる。


「お前のおかげで、ようやく決心がついたよ」


瑞稀が微かに息を呑むのがわかった。


「ありがとな」

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