第8話 「幸運の一族の過去①」

 老人たちとの会話は絶えることなく続き、話し続けながら歩く集団はゆっくりとフォルトゥナの町へ移動を始めていた。

 リラはその囲いから少し離れてついていく。当主直属のフォルトゥナも幾人か同じく後ろをついていく。

 裁定者の少年は求められるままに、まるで見て来たかのようにありありと二百年以上前の話をしている。

 あの少年は二百年以上前、もしかすると何千年も前から生き続けているものなのだろうかとリラは疑う。フォルトゥナで最年長のおじさまはリラが幼い頃に百五十歳を越えた。あり得ないことではない。

 それにあの少年は言っていたではないか。フォルトゥナの力を極めれば、永遠に生き続けることも可能だと。方法を知っているのであれば自分でも試していることだろう。

 集落につくと裁定者の少年は広場の茶店に案内された。十数人の老人たちは単なる代表だったらしく、家族たちを呼びに散っていく。その間隙にリラは尋ねる。


「裁定者って、本当に何百年も前のこと、知ってるんだ。もしかしてあんた、何百年も前からずっと生きてるの?」


 仮面の少年は笑う。


「本当にそうなら、もう少し成長した状態で老化を止めている。こんな子供の身体じゃ何をするにも不便すぎる」


 大人の身体の使い勝手を知っているような言い方だった。


「でも昔のことを見てきたみたいに知ってるじゃないの」


「それが裁定者というものなのだよ」


 言ったのはその場に残った老いたフォルトゥナだった。


「裁定者は不老不死ではないけれど、過去の裁定者の記憶を全て受け継いでいる。彼らは、どのような姿であろうと、齢二千を超える賢者なのだよ」


 その言葉に少年は穏やかに返した。


「今の俺は肉体も脳も未完成だから、フォルトゥナが知る過去の裁定者と同じ働きはできないよ。でも、そう扱ってくれることは嬉しい。俺もこの場では、過去の裁定者が未来の子孫に望んだままに、君たちの助けになるつもりだ」



 ◆◇◆◇◆◇



 しばらくして広場は人々でいっぱいになった。現在の一族の人口は五百を越えようとしているが、その半分近くが集まっていた。裁定者の訪れを知った人々が、出会ったこともない伝説上の客人を、だがそれ故に一度は目にしておこうと集まったのだ。その中心にゆるやかな外套に身を包んだ仮面の少年がいる。そしてその隣にはリラが控えさせられていた。


「なんで私が……」


「当主が離すなと命令している。今は我慢しろ」


 すぐそばには当主直属のフォルトゥナも控えている。

 本当はこの集会も解散させたいのだろうが、老人たちに強くは言えないようだった。

 仮面の少年はその様子に笑う。


「すまない。だが若い子供たちに古のフォルトゥナの武勲を伝えるのが裁定者の数少ない楽しみなんだ。どうか広い心で許してほしい」


 フォルトゥナは答えず、沈黙するだけだった。


「沈黙も答えになる。ありがとう」


 少年は言う。フォルトゥナは苦々しげに唸る。



 ◆◇◆◇◆◇



「こんにちは、裁定者です。こんなにたくさんのフォルトゥナを前に話すのは初めてで緊張しています。ですが、みなさんがこうして平穏に暮らしていることがとても嬉しく、そして皆さんに過去のフォルトゥナの活躍を伝えられることに喜びを感じています」


 そうして仮面の少年は人々を前に物語を語り始めた。

 最初、裁定者はそれぞれの家族の祖先たちがどんな人だったかの話をしようとした。

 いつもそうしていたのだと彼は言った。

 身近なところから興味を持ってもらおうという工夫だろう。

 だが二百年は長かった。集まった人々の中の最年長者でさえ百十歳を超えていない。

 彼が生まれた時には二百年前に裁定者と直接かかわった者は死に絶えていただろう。

 名前以外は知りもしない先祖のたわいもない話に興味を持つ子孫はほとんどいない。

 昔話は早々に切り上げられ、話題は自然とフォルトゥナの歴史の転機に活躍した英雄たちへ移り変わっていった。


 イベリア時代――


 のちの世においてスペイン・ポルトガルの二国に分有されることになる半島、イベリア半島がフォルトゥナの始まりの地だった。

 神祖ホアキンの建国譚。ホアキンは人間四人分の重さの巨大な鉄杖を片手に、人間の四倍の速度で駆け、戦場では必ず先陣に立ち、傭兵として功績を上げ、最後は小さな城塞集落の主となった。

 ルシタニアの英雄ヴァリアートとの対ローマ共闘。西方へ拡大を始めた共和政ローマに対して、イベリアの人々は時に協力者となり、時に抵抗者となった。ヴァリアートは黄金の猪神の血を引く一族の生き残りで、超人的な五感でローマ軍の状況を把握しつつ、夜の闇や地形を利用し、伏兵と罠で混乱させ、そこに斬り込んでいくというゲリラ戦術で、幾度もローマに大敗をもたらした。

 ケルティベリアの王都ヌマンシアを包囲したローマ軍を相手取っての神祖ホアキン最後の戦い。フォルトゥナの守護者として四百年を生きたホアキンは、ヌマンシアの包囲を破るため、ローマの半神コルネリウスとアエミリウスの力を受け継ぐ大戦杖の英雄と戦い、そこで死を迎えた。

 ローマの反逆者にしてイベリアの友セルトリウス将軍指揮下でのイベリア最後の戦い。セルトリウス将軍は数で負けている戦場で、敵の主力に無駄足を踏ませ続けつつ、あちらこちらで瞬間的な数的優位を作り続けることに長けた戦力運用の天才で、劣勢からの大逆転劇を何度も演じて見せたが、政治的な謀略ではローマに完敗し、最後は裏切りに倒れた。この後、フォルトゥナはローマに支配された故郷イベリアを離れ、帝国へと変わりゆくローマの周縁を転戦することになる。


 対ローマ時代――


 ガリアにてカエサルと、そしてユダヤ属州、エルサレムにてウェスパシアヌス・ティトゥスの二代と戦った。戦争の天才であるヴァリアートとセルトリウス将軍が共に得意とした遊撃戦術を模範とした戦い方で、フォルトゥナはローマに大きな被害を与え続けた。その後もローマが蛇に屈し、皇帝に至るまで蛇の支配下に落ちるまで、ダキア、ゲルマニアと、フォルトゥナの戦士たちは歴代の裁定者と共に数多の戦場を転戦し続けた。


 ビザンツ時代――


 四世紀頃、ローマが蛇の支配下に落ちた後、フォルトゥナは古代の神たる蛇と共に、かつてのローマを支配していた同じく古代の神たる冥界王に支配された国々と戦った。

 冥界王はユーラシア中央部からペルシアに根を張って蛇を滅ぼすべく軍を動かした。

 ローマは苦境に陥るが、長い戦いの末、冥府の海の奥底に潜む冥界王本体に牙を届かせ、百年にわたり動きを封じることに成功した。その時が四百年にわたって共に戦った蛇との別れだった。


 彼らはこう言った。


『天人、蛇、フォルトゥナ、裁定者ども、それら眷属全ての祖たる神々、精霊たちは、普通の方法では到達できないどこかから門を越えてここに降り立った。だがここは羽を休める場に過ぎず、時が来れば渡り鳥のように本当の目的地に向けて飛び立つことになっている。そして、もう栄養は十分に蓄えられ、旅立ちの準備は終わっている』


 出発を阻もうとする冥界王を打ち破った蛇は各地に『宙門(ラダー)』を開き、神々の血統を彼ら曰く楽園へと旅立たせていった。だが、フォルトゥナはその道を選ばなかった。フォルトゥナにとっては既にここが故郷だったからだ。


『なぜ祖先の眠るこの世界を捨てて、どことも知れぬ世界に行こうというんだ? そもそも旅の次の行き先は本当に俺たちにとっての楽園なのか? 冥界王のように強大な、異なる神の支配する地に放り出されるだけじゃないのか?』


 彼らは肩をすくめた。


『それはここに残っても同じことだ』





※ヴァリアート

一般にはウィリアトゥスというラテン語(ローマ人の言語)の名前で知られている古代スペインの英雄。二千年前の発音なんてわからないので現代の発音を使おうと思っていましたが、さすがに敵の言語による呼び名を味方が使うのもどうかと思ったので、スペイン語読みを採用。ヴィリアートと読む可能性もありますが、今回はこの人物を知るきっかけになった「ヌマンシアの包囲」におけるカタカナ翻訳に従いました。

英語版のウィキペディアには、このヴァリアートという名が「強い・男らしい・戦士・勇気・名誉・英雄」というような意味を含んでいることから、それ自体は二つ名的なもので、ケルト語の本名が別にあったのではないかという記述もありました。そうかもしれないとは思ったのですが、その本名の手がかりは何もないので、作中では、当時の仲間からもヴァリアートと呼ばれていた、ということにしています。

猪の一族にしたことには特に理由はないですが、ケルトの人々が熊と猪を特別視していたことから、祖先の獣として自称するなら、どちらかだろうと考え、ホアキンに熊モチーフを使ってしまったので、猪モチーフを採用。キャラクターとしては金髪ワイルド俺様系という感じで想像しています。


※共和政ローマ

当時の共和政ローマではパトリキという貴族が支配階級でした。本作での共和政ローマは半神が支配するファンタジー国家ですが、パトリキのそれぞれの氏族が別々の神の子孫であるという設定にしています。ケルティベリアの首都ヌマンシアを攻略したスキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)は、アエミリウス氏族に生まれるも、後にコルネリウス氏族に所属したということで、こんな感じの扱いになりました。

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