第7話 「裁定者訪問②」
挨拶の後、少年は当主と屋敷の中に入っていく。
それを見送って帰ろうとしたリラは家宰から門外の詰所で待機を命じられた。
詰所は表玄関に面しているが、中を通り抜けるとフォルトゥナの生活スペースに出る。
リラはそちら側にある休憩スペースに座り込んで、サイダーを片手に退屈しのぎを探す。
詰所に控える門番の男は戦えば強いが、書類仕事をさせればミスばかりだ。リラと同じくタバコ片手に暇をもてあましていた。
とりあえず二人でたらたらとチェスを指す。
気付くと三時間が過ぎていた。
「本当にあれが裁定者なのか?」
「本人はそうだって」
「どうしてあんな仮面なんだ?」
「知らない」
「俺のガキより小さいんだが」
「ぜったい私よりも年下」
「思っていたより弱そうだ」
「戦ったら勝てないよ」
「強いのか?」
「それは分からないけど」
「どういうことだ?」
「相手の動きを止めたり、操ったりできるみたい」
あの白い竜も狩ろうと思えば狩れたのだろう。
「そんな技があるとは聞いていたが本当だったか」
「裁定者って有名なの?」
「フォルトゥナの歴史の授業はきちんと聞いていたか?」
「私は一度も寝てないけど一度も聞いたことない」
「そうなのか。そりゃすまんかったな」
「でも昔は授業でやってたんだ」
「俺が子供の頃はそうだった」
「教えてよ」
「明日差し入れを持って来い。腿肉だぞ。三本だ」
「一本で。子供にたかる気?」
門番とはいえ屋台に寄る程度の金はあるはずだ。
「ガキの病気で金が足りないんだ。二本でどうだ」
無駄遣いを禁止されているのだろう。
「分かった」
「約束だぞ」
男は話し始めた。
「裁定者はフォルトゥナの始まりの頃からの友人で、幼い神祖が天人の城よりイベリアに降り立った時、その導き手を務めたという」
それは荒唐無稽なおとぎ話だった。
空に浮かぶ城に住んでいた天人の少年が、天人たる資格をもたなかったために地上に追放され、放浪の中で見つけたお供の仲間たちを引き連れて、冒険を繰り広げる物語。
最後に彼らは地の底に連れ去られた王女を、仲間たちの裏切りに見舞われながらも救出に成功し、その功績をもって地上に領地を得て、領主として幸せに暮らすことになったという。
城が空に浮かんでいて、そこに人が住んでいたという時点で信じられないのだが、神祖の表現が更に信じられない。
その青年は人間四人分の重量の巨大な鉄杖を片手で振り回しながら、普通の人の四倍の速さで飛ぶように地を駆けたという。
もはや巨人か妖精かという描写だ。おじさまだってそんなことはできない。いくらフォルトゥナの初代、子孫にとっての英雄だとはいえあまりに盛りすぎだと思う。
そのお供の仲間の最初の一人、飢えで行き倒れた神祖を助けたケルトの旅芸人の子供が実は裁定者だったのだ。
「裁定者はその後も、フォルトゥナの危機に際してはイベリアを訪れ、力を貸してくれた」
ピレネーの天人を滅ぼしたローマの武人たちの手がイベリアに及んだ時も裁定者はフォルトゥナに手を貸した。ローマ軍に包囲された首都ヌマンシアからドゥエロの川面を越えて一族をガリアへと脱出させてくれたのも裁定者だった。
「最終的にアメリカ大陸から脱出する時にも船の手配から骨を折ってくれた恩人だ。本当に知らなかったのか?」
「うん。でも本当にフォルトゥナの恩人なんだね」
「最近の授業では、この島に来るまでのフォルトゥナの昔話をほとんどしなくなったと聞いていたが、裁定者のことも話さなくなっていたとはな」
話にひと区切りついた頃にはもう夕方だった。
屋敷がざわつき始める。
フォルトゥナたちが足早に出ていき、その後、しばらくして仮面の少年が出てくる。その前を歩くフォルトゥナはリラの前まで来ると新たな指示を告げたのだった。
◆◇◆◇◆◇
少年はしばらく屋敷に滞在するつもりらしく、夕食の後、屋敷内をぶらぶらとしていた。
そしてリラは彼の世話係を任命されて、その後を追っていた。といっても何から何まで一人でするわけではなく、単に少年の要望を、実際の実行係に伝えるだけの役割だ。少年はリラ以外は直接話しかけてはいけないことになっているらしい。
少年の傍に常についておく代わりに、それ以外の全ての仕事を免除されたリラは少年の散歩に付き合わされていた。
「誰とも話してはいけないっておかしくない? なんで私があんたの言ったことをみんなに伝えるメッセンジャーしないといけないの? あたしは糸電話なの? 裁定者ってなんでこんなに嫌われてるの? フォルトゥナの恩人なんでしょ?」
「フォルトゥナには手助けもかなりしたけれど、本来の役割はそれとは別にあって、そっちが嫌われているんだろうな」
「役割?」
「約束が交わされる時に立ち会って、その後、それぞれの勢力で約束が守られていることを定期的に確認する役割だ。裁定者は監視者でもある」
「中央政府の監査みたいなもの?」
「政府の役人がフォルトゥナにも来ているのか。乱暴なことはしてないだろうな? まさか殺したりはしてないよな?」
フォルトゥナをどこの蛮族だと思っているのだろうか。
「宴会を開いて、お土産を渡して、帰ってもらってるみたい」
「世慣れたな」
「よくないと思う?」
「悪いとは言わないが、賄賂でごまかすことに慣れると、法に従うことが馬鹿らしくなる」
「……やっぱり約束、守られてなかったの?」
「それを確かめに来たんだが、時間稼ぎをされているようだ」
「なんで?」
「さあな、まあ、見せたくないものの始末をしているんだろう。俗世の法を守っていなかったとしても、咎める気は全くないんだけどな」
少年は肩をすくめた。
「フォルトゥナは信頼できる一族だ。確認はいらないと思っていた。だが世代が移り変われば価値観も変わる。もう少しこまめに来ていた方がお互いにとっても、よかったのかもしれないな」
「本当に守っていなければどうなるの?」
家族もそこが気になっているだろう。
遠巻きに見守る護衛たちが反応する。
「どう守っていないかによるさ」
少年の回答は情報のないものだった。
◆◇◆◇◆◇
翌日――
リラは早朝に目覚めると、替えの衣服と朝食を準備して裁定者の部屋へと向かう。少年は既に目覚めていて、着替えも終えていた。どこに用意していたのか、昨日と似たような格好だった。
裁定者の少年は朝食を済ませると、白木の杖を持ち、屋敷の玄関へと向かう。廊下で待っていたリラも後ろをついていく。外に出るつもりだろうか。門に近づくにつれて騒ぎが聞こえてくる。門前に人が集まっているようだ。様子をうかがうと、フォルトゥナもそうではない者も含んで多くの老人が揃っていた。幾人かは孫まで連れてきているようだった。
「裁定者がお越しになったと聞いたぞ! 小僧どもは道を開けろ!」
裁定者に会いに来たらしい。
それを抑えているのは当主直属のフォルトゥナたちだった。
「あの方は今お忙しい。じじいどもと会う暇はない!」
玄関前のフォルトゥナが少年の姿に気づき、走ってくる。
「老人が騒いでいるだけです。どうかお気になさらず」
裁定者には出てきてほしくなさそうだった。
当主からそういう指示が出ているのだろう。
「大丈夫だよ。望まれれば応える。それも裁定者だ」
だが少年は歩みを止めない。
フォルトゥナが引き留めようとするが、その手が不自然に止まる。
たぶん裁定者の力だ。
誰も止められない状況で、少年はゆらりと老人たちの前に立った。
その白い仮面姿に老人たちは息をのむ。
「裁定者だ。フォルトゥナの古き友人たちの子らに会うことができて本当に嬉しい。できるなら君たちの近況を聞かせてくれないか」
老人は我先と話し始める。
その中には引退済みだが重鎮のフォルトゥナもいた。
フォルトゥナたちは見守るしかないようだった。
ざまあみやがれ。
少しいい気分でリラは少年を追った。
※ホアキン
フランスとスペインの間のピレネー山脈を中心とした地域には「熊の子ジャン」という半人半熊の少年を主人公にした民話があり、その少年は巨大かつ大重量の鉄杖を振り回して戦ったそうです。作中のホアキンはこの物語を参考に、熊を天人に入れ替えて作っています。「熊の子ジャン」そのものはアーサー王伝説にも連なる普遍的な神話とのことで、ほとんどそのままの設定で主人公らしい感じになりました。
※天人
中世のフランスには「マゴニア」という空飛ぶ王国の伝承があり、ラピュタの元ネタにもなったそうです。本作ではこの巨大な城を矢も届かないような上空に浮かべて、周辺地域を支配していた人々を天人と呼んでいます。城は自分自身の能力で浮かせているだけなので、科学力は特に高くありません。また、いつも飛んでいる訳ではなく、各地の大山脈の奥深くに、秘密の着陸場所を持っています。本作で登場する天人集団はピレネー山脈を本拠地にしていましたが、ローマ軍に着陸場所を見つけられてしまい、地上に降りたところを奇襲されて滅ぼされてしまいました。
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