第6話 「裁定者訪問①」
「裁定者、と名乗る白い仮面をつけた子供に頼まれました。私が会える最も地位の高いフォルトゥナにこう伝えてほしいと」
夕刻、屋敷に戻り、その足で重役の執務室に向かったリラは当主にそう言った。普段なら当主の部屋なんて怖くて入ろうとも思わなかったはずなのに、その時のリラは何も感じることなく豪華な室内に踏み入っていた。
勝手に入ってきたリラの姿を見て、怒鳴ろうとした老人は、その裁定者という言葉を聞いた瞬間に言葉を止めていた。
「聞こう」
「この子供から君たちの近況は確認した。明日、詳しい話をしに行く。この屋敷で待っていてほしい、とのことです」
言い終えた瞬間にリラは我に返る。
当主の部屋は許可されている者以外絶対入室禁止、どんな罰が待っているか分からないのに、なんでこんなにあっさり来ちゃったんだろう。
リラはじりじり後ずさると、震える声で「失礼しました!」と言って部屋を飛び出した。
当主は追ってくることもなく、その場でどこかに電話をかけ始めたようだった。
リラが逃げるように部屋に戻ってベッドの上で毛布を被って現実逃避を始め、しばらくたった後、フォルトゥナが何人も来て、どこで裁定者に会って、何を話したのか聞き取っていった。
そこからは大混乱だった。
特別な賓客を迎えるための準備が始まり、リラも駆り出され、昼間の仕事をさぼったことを叱られてから、戦力の一部になった。
どうもこの屋敷の中にはあの少年に見られたくないものがたくさんあったらしい。空き部屋に放置していた骨董品の大半をどこかに持って行って、その後、そんなものがあった痕跡がなくなるまで掃除をして、ついでに模様替えまでしてしまう。
夜中には物々しい装備の傭兵たちが団体で訪れ、屋敷の中に散っていく。歓待の準備をしつつ、闇討ちの準備も整えているようだ。リラはといえば、そういう機密には全く関係することなくずっと掃除をしていたのだった。
そして深夜――
屋敷の準備が一段落した。
リラも肉体労働から解放されて一休み。
夜食の串焼きを幾つか確保して隅に座る。
今日は本当に疲れた。
食べたらもう寝よう。
串焼きはお肉とバナナ。
肉うめえ。
バナナ甘え。
ぼろぼろの身体に効く。
働かない頭を何とか動かしてお腹に収めていく。
その時だった。
「おい、リラ。試験、やっぱ落ちたんだってな」
この大柄な小太りの少年の名はマリオという。
マリオ・フォルトゥナ。
嘲りを隠さない声。
優越感を隠さない口元。
気持ち悪すぎてムカムカする。
その腹、グーパンで殴ってやりたい。
「だから何よ、マリオ」
「お前、俺の嫁だからな。申請出しといた」
「はああ?」
「これからは俺のこと、旦那様と呼べよな」
ああ、最低の気分。
子供の一人や二人くらい産んでいいと思ってたけど、こいつの子供は絶対に嫌だ。
◆◇◆◇◆◇
翌日――
マリオがさっそく手続きを進めていたようだ。
フォルトゥナではない家族の地位はごく低い。
フォルトナの求めがあれば仕事でも夜のお相手でも何でもやることになる。といっても有能やきれいどころは需要も大きい。フォルトゥナ同士の要望が重なってしまった場合、誰が獲得するかを決めるルールが存在する。
フォルトゥナではない女を妻に迎える場合、男はフォルトゥナの家宰(事務のトップである)に申請を出す。この申請は基本的に早い者勝ちなのだが、かつてこの制度を悪用して、他人の妻になるはずの女を奪おうとした不心得者がいたらしく、今は申請があった場合、翌日の朝夕の全員集合時に公告が行われ、他に名乗り出る者がいないか、一週間持つことになる。
自分でいうと自慢に聞こえるだろうが客観的に言って、リラは美人である。背丈がだいぶ小さい方なのと手足が少し太いのは気になるが、それ以外は割と自信がある。
マリオの申請が朝に公告されると、もう三人が名乗りを上げていた。
女友達がお熱だった青年まで立候補してしまっていた。うう、彼女の目が怖い。このイケメン野郎の方がマリオよりはましだけど、たぶんそうはならない。
複数人が名乗り出た場合、一人に絞り込むことになるが、その方法は素手の決闘だ。
高身長のイケメン野郎もスペックは高い。
普通の運動競技ならマリオにも勝てただろう。
それでも格闘技ではたぶん敵わない。
マリオは強かった。
とはいえ決闘は一週間後だ。
朝の集合以降、リラは屋敷の外に追い出された。
門の前で賓客の到来を待つようにとのこと。
裁定者の姿を見ているのはリラだけだから迎えに立つのは仕方ないとして、朝から立たせる理由の半分は罰もあるのだろうと思う。確かに本人が言っていたように、裁定者というのは、偉いフォルトゥナならみんな知っている有名人のようだが、どうもあまり歓迎されない存在のようだった。
◆◇◆◇◆◇
昼前に少年は屋敷の正面に現れた。穴も空いていない白い仮面をつけているが、危なげなくまっすぐ歩いてくる。持っている杖で地面を探るような様子もない。やっぱり見えているとしか考えられなかった。
「また会ったな。今日は門番かい?」
「屋敷の中にいられると困るみたいな感じで、裁定者をここで待ってろって言われた。なんでか私、あんたのスパイみたいに思われてるんだけど? もしかして私、今も操られてたりする?」
少年は一呼吸を置き、それから言った。
「そりゃ悪いことをしたな」
心当たりがあるのだ。
「やっぱり操ってるの?」
「そういう訳じゃないんだが、説明は後にしよう。まずはフォルトゥナの当主のところに案内してくれないか」
◆◇◆◇◆◇
リラは少年を屋敷の中に案内する。
フォルトゥナの屋敷は家族の家でもあるが、同時に迎賓館で要塞でもあるような構造になっている。巨大な正面の門を抜けた先は広大な庭とうねりながら進む道。様々な種類の樹木が点々と並び、道の傍には山から引いた湧水の透明な流れがある。幻想的な風景だが、四方を囲む高い白亜の壁の中には機銃が仕込まれていて、道行く者を肉片に変えてしまうことも可能だった。
「さすが大商人。玄関にも金がかかっている。招かれざる客人はここで追い返されるという訳か」
追い返されはしない。ただ肥料になるだけだ。
しかし少年はその絶対死の領域を悠々と歩く。
「もしかして銃に狙われても平気なの?」
この少年は銃が怖くないのか。
「平気じゃない。でも事前に連絡を入れて訪問した裁定者をいきなり撃つことはないとも思っている」
「裁定者って実はすごく大物なの?」
「割とな。それにここにいる俺一人を撃ち殺してもあまり意味がないんだ」
少年は単なるメッセンジャーで裏にいる組織がすごいということなのか。
どうにもよく分からない。
話している間に庭を通り抜けて内門に差しかかる。
門は既に開放されており、奥の屋敷が見えている。
「どこかの王宮のように立派じゃないか」
「正面だけね。裏から見ればハリボテの」
「安心した。フォルトゥナは王にでもなりたいのかと少し疑ってしまったよ」
門の敷居をまたぐと屋敷が見渡せるようになる。
フォルトゥナの一族が迎えに並んでいる。
その中を当然のように少年は歩いていく。
最も奥に立っているのが当主の老人だ。
畏まる老人に少年は傲然と言う。
「裁定者だ。嘆願に応じて来た。フォルトゥナの当主よ、説明を聞こう」
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