第5話 「幸運の一族の現在④」


「それで、こんな感じの試験用紙があって、それを自分の血でなぞっていくと、血が文字の上でぼこぼこと泡立っていって、最後の文字まで泡立ったら試験合格って訳」


 リラは海岸の砂上に、うろ覚えの文字と模様を書き込んでいく。

 同じくしゃがみこんだ少年はそれを見てため息をついた。


「そういうことか。面白いことをしている。それで、試験に合格した者だけがフォルトゥナであると言える訳か」


「何してるか、分かるの?」


「完全にではないけど、大体のことは分かるよ」


「教えて」


「うまく説明できる気がしないんだけど」


「簡単に教えて。私にも分かるように」


 少年はしばらく空を見上げて、それから言った。


「……君はパソコンを使ったことはあるか?」


「仕事で触ったことはあるけど」


「単純に例えてしまうと、君たちの力はソフトみたいなもので、その試験はインストール作業のようなものなんだ」


 ものすごく単純なたとえだった。


「ただこのインストールが曲者で、普通にやると一番相性のいいソフトが優先されて勝手にインストールされてしまう。フォルトゥナの場合は、ホアキンが使っていたような戦うための力の方が血に深く結びついているために、最初に必ずそれを選んでしまうんだ」


「じゃあ次にフォルトゥナの『幸運』の力をインストールすればいいんじゃないの?」


「そうもいかない。ソフトをインストールするためにはストレージに必要な分だけの空きがないといけない。本来のフォルトゥナの力はそこまで容量を必要とするわけではないけど、たぶん『幸運』の力は相当に大量のストレージを必要とするんだろうな。その試験がやっているのは、インストール作業を再開し、最初に選ばれる本来のフォルトゥナが使う三つの力のインストールをキャンセルした後、四つ目に『幸運』の力をインストールするという作業だ。君の場合、全てキャンセルした状態でも、四つ目の力を受け入れられなかったんだろう。君はストレージがそこまで大きくないのかもしれないな。このインストール作業は本来生まれる前に済んでいるものだけど、今のフォルトゥナはそれを停止させて後天的に『幸運』を選べるようにしているんだな」


「そういう仕組みだったんだ」


 仮面の少年は頷く。


「人間はストレージに入る力しか受け取れない。その試験の結果からすると、君はたぶん『幸運』のフォルトゥナにはなれないだろう。だが並み程度のストレージがあれば、昔のフォルトゥナの力なら十分に受け取れる。そもそも相性のいい力の方がストレージも少なくて済むんだ。今のフォルトゥナとは違う形だが、君もフォルトゥナになってみるか? 君は運動神経も悪くなさそうだし、あの白い竜にも立ち向かう勇敢さがあった。鍛えればそれなりの使い手になるだろう。君たちの中にもいるんじゃないか? 人間とは思えないほどに強く、戦場にも出ているようなフォルトゥナが。たぶん長生きでもある」


「おじさま、は確かに……」


「心当たりがあるようだな。今も少しは旧世代の生き残りはいると思っていた。ホアキンは四百年生きたからな」


「よ、四百年……?」


「昔のフォルトゥナの力は受け継ぐと身体が強くなるだけでなく、ほとんど老化しなくなるんだ」


「す、すごい」


「よくある不老は大きな力で強制的に若い状態に補正しているのが大半だけど、フォルトゥナはそうじゃない。身体各部のバランスを整え、不足している機能を少しだけ補うことで、単純に肉体の劣化を防いでいるだけ。量的には僅かな調整だから負担も少ない。人間には本来不老になれる力がって、それを引き出しているだけなんだ。俺も適性があったらフォルトゥナの力がほしかったくらいだよ。戦う力とは言ったが、その本質は肉体を最良の状態に保つ力だ。戦うことがなくとも人生は豊かになるだろう」


「すごく怪しく感じるんだけど自覚ある?」


「本当にすごい力なんだ」


「本当にいいことばかりなら、なんで他のフォルトゥナはその力を捨てたの?」


「本当に捨てたのかは知らないが、平和な人間社会の中で定住して生きるには不便だからかな。何十年経っても見た目の変わらない人間は化け物以外の何者でもない。個人単位で使う力だから、望む者が使うのを止めるのも難しい。ならば最初から持たせない方がいいと考えた可能性はあるな」


 少年はからりと答える。


「やっぱり欠陥商品じゃないの!」


「正しい判断で正しく使う限りは、ちょっと健康で長生きなだけの人間だ。実際、ほとんどのフォルトゥナは百年を越えられなかったよ。数百年を耐えられるのは一握りの達人だけだ。それに、この力のいいところは自分で停止できることだ。確かに永遠に生き続けようとすれば化け物扱いだが、適当なところで老化を受け入れれば何の問題もない」


「でも、できると分かったら止められないと思う」


 簡単に言うが、それができる人間なんてそうそういるものじゃない。苦痛もないのに死を選ぶ人間なんて存在しない。今はいやだと思っていても、老いて若さが失われる日が来たら、たぶん自分も不老を望むのではないか。

 二、三百年生きて、誰よりも長く生きた、自分は誰よりも満足した、そう確信が持てた時にやっと、そろそろ終わりしてもいいかな、と思える程度のものじゃないだろうか。

 リラの反論に少年は今度こそ明らかに笑った。仮面の裏でふっふっと息が乱れるのが聞こえた。


「そうだな。俺の知る限り、フォルトゥナで英雄と呼ばれるほどの、不老の段階に到達した達人に、自ら老化を選んだ者はいない。といっても、そもそも全員、戦いの中で終わりを迎えたから、ゆっくりと老いる暇もなかった訳だけど」


 笑いながら、しかし、その声はあまり朗らかで平静だった。

 というより、一つの口で話しながら、別の口で笑い続けているようだった。

 あの仮面の裏には何があるのだろう。


「そんな風にはなりたくないんだけど」


 怖かった。


「君の力だ。君の好きに使えばいいじゃないか。永遠に若くてきれいなんて夢のような話なんじゃないか? 実際、長生きしているフォルトゥナもいるんだろう? 羨ましくないか? 不公平だとは思わないのかい?」


 目の前の何かが怖かった。


「いらない、と言ってもいいでしょうか?」


「本当に?」


「はい」


「残念だな」


 その時だけは本当に残念がっているような気がした。この怪物は、戦場の露と消える修羅の道を、共に行く同類がほしかっただけなのではないか。

 そんなことを思ってしまった。


「安心してほしい。俺は望まれない贈り物をするようなお節介焼きじゃないんだ」


 少年はそういうと、立ち上がった。


「大体の事情は分かった。そろそろ裁定者として正式に訪問しないといけないな」

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