第4話 「幸運の一族の現在③」
リラと少年は岩場を軽々と走り抜けた。
竜は途中で追うのを諦めたようだった。
「ひい、ひい、はあ、ふう、もう動かさないで……。だるい……」
リラは息も絶え絶えにどうにか言葉を吐く。
ひどい。ひどすぎる。
自分の意思では動かせないほど疲れているのに、痛いのに。
どうしてこの身体は動き続けているのか。
もうあいつは追ってきていないのに。
どうしてリラと少年は走り続けているのだろうか。
立ち入り禁止区域を抜け、人気のない岩だらけの海岸に降りた少年は、その一角で足を止めた。
「ホアキンの技は肉体を限界まで使う。どこまで大丈夫なのか、感覚で分かっておくことが大切だ」
少年は全く息を乱しておらず、平気な様子で授業を継続した。
「この疲労の感覚が今の限界だ。これ以上無理をすれば、しばらく元に戻らなくなるから注意だ。鍛えていけばもう一段階力を出せるようになるが、完成まで数年はかかるだろうな」
リラは岩の上に座り込み、そのまま背中をつける。力を抜いた瞬間に気持ち悪さとだるさが押し寄せてきた。
少年の表情は仮面で分からないが、呼吸も落ち着いていて、まだまだ余裕はありそうだった。
「今のは……」
「さきがけのホアキン。二千四百年前、もう二千五百年前かな、その頃にいた最初のフォルトゥナの技だ。フォルトゥナを訪れるたび、乞われては伝授してきた。昔の技だから何にでも対応できる訳じゃないけど、身を守るには今でも十分すぎる力だと思う」
「そういうことじゃなくて! あんた、何なの!」
この島はフォルトゥナの私有地で、ほとんどの区域では外国人は進入禁止にしている。表の港の周りの町と海岸は観光地として開放している。小さな遺跡があって、さすがのフォルトゥナでも立ち入り禁止にはできなかったのだ。でもここはその境界は遠い。町からはかなりの距離だ。それに、この仮面の不審者は、フォルトゥナのことをよく知っているようだった。
少年は真っ白な仮面を指さして言う。
「この格好を知らないのか?」
「その前も見えなさそうな白い仮面? ないけど?」
「裁定者というんだが…… 聞いたことはないか?」
「ないけど」
「えっと、君はフォルトゥナなんだよな?」
「フォルトゥナの家族、だけど…… フォルトゥナじゃないの」
仮面の少年は首を傾げる。
「何か違いがあるのか?」
「あるでしょ」
「ないだろう」
「あんたって本当は何も知らないの? フォルトゥナの関係者じゃないの?」
「フォルトゥナに会いに来るのは二百年ぶりなんだ」
「二百年? 何言ってんの?」
少年は肩をすくめる。
「やっぱり話を聞くしかないみたいだな。最近のフォルトゥナが何をしているのか、教えてくれないか」
こんなに疲れてるのになんでわざわざ教えてあげないといけないのかと思ったがなぜか、別に話だけならいいかな、という気持ちになった。
「じゃあ、私の知ってる範囲で」
◆◇◆◇◆◇
「あんたが知ってるのは、移動しながら生活していた大昔のフォルトゥナなんだろうけど、今はここに拠点を構えて、貿易のお仕事をしているの。自分で戦う人なんて今じゃほとんどいないよ。マフィアやゲリラとやり合うことはあるけど、お金があれば傭兵なんて幾らでも雇えるもの」
欧州を離れ、新大陸を抜け、さらに西へ。
ガレオン船での航海。
素性を隠しての長い逃避行。
港町での商人としての成功。
島一つを買い取っての小領主化。
独立戦争での幸運な立ち回り。
巨大農場の獲得と政商としての地位確立。
リラは知っていることを説明していく。
少年は聞き終えてから、頷いた。
「君たちはもう旅人ではなく、完全にこの地の一員になったんだな」
「フォルトゥナは、年がら年中、島の外を飛び回ってるけどね」
「その彼らにしても、帰るべき故郷はここなんだろう?」
「それはそうだけど」
「二百年前のフォルトゥナにはそれがなかった。追っ手に見つかること、人々に噂されることを恐れて、一つの地に留まれず、逃げ回るばかりだった。だが今や追っ手から完全に逃れ安住の地にたどり着いたという訳だ。そりゃホアキンの技も用済みになる。危険がなくなったのなら、身を守るための力よりも、稼げる力の方が便利だものな」
白い仮面の少年の声音は寂しげながらも快活だ。
「その『幸運』の力というのを知りたいな。ちょっと見せてみてくれないか?」
その軽い調子のお願いにリラは言葉に詰まる。
「それは……」
リラのためらいに少年は何かに気付いたように頷く。
「ああ、家族以外には見せないことになっているのか? そんなこと気にしないで、ここだけの秘密ということでどう?」
「そういう決まりもたぶんあると思うけど…… 私は試験に合格できなくてフォルトゥナになれなかったから」
少年は思案するように黙り込み、それから穏やかな声で言った。
「君は自分のことをフォルトゥナではないと言っていたな。……その試験とかいうもののことも教えてくれないか?」
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