第3話 「幸運の一族の現在②」
見上げるほどの巨体――
たぶん本当は二メートルを少し超えているくらいのはずだが、その倍以上の大きさに感じる。
長く白い毛――
最初は純白に見えたが、よく見ると泥や草木の汁で薄汚れている。大ぶりな前足の爪周りの黒い汚れはもしかして血だろうか。
感情の読みとれない無機質な青い瞳――
それだけがリラをまっすぐに捉えて続けている。
身体が動かなかった。
恐怖も嫌悪もまだ何も感じていないのに、身体だけが強張って震えている。
その場に固まったリラへと竜はゆっくり近づいてきて、前足を振り上げる。
背筋がひりつくような感覚と同時に振り下ろされた前足が遅くなる。
リラは身体が勝手に動くのを感じた。
後ろに倒れ込むように前足を避けて、転がりながら立ち上がる。
泥まみれになったのがわかったが何も気にならない。
白い竜は避けたリラを見ている。
意識が竜から離れない。
リラは竜から目を離せないまま、じりじりと後ずさる。
竜が更に飛び込んでくる。
だが寸前でやっぱり速度が落ちる。
その瞬間に身体が勝手に避けていく。
これって…… 幸運?
試験は失敗したのに?
でも、これなら!
そう思った瞬間、今度は逆に竜の動きが速くなる。同時に身体が重くなる。足が地面に貼りついたかのように動かない。
避けきれずに体当たりを受けてしまう。
目の前が真っ白になる。足元から地面の感触が消え、その後に衝撃を感じる。視界いっぱいに空が広がる。吹き飛ばされて、倒れた? 動け! すぐ動かないと、追撃が来る! だが手足には衝撃の波が残っていて意識に反応してくれない。
駄目だ…… もう、間に合わ……
「安心していいよ、今は何もさせない」
覚悟していたとどめの一撃は来ない。代わりに届いたのは、どこか女性的な、しかし少年のような透明な声音だ。
目の前で、白い竜は前足を振ろうとした姿のまま、動きを完全に止めていた。死んでいる訳ではない。荒い呼吸で唸り声をあげ、力んでは脱力するのを繰り返している。まるで見えない何かに拘束されているかのようだった。
リラは後ずさりながら立ち上がり、周りを見る。
「白い竜はフォルトゥナを襲わないようなんだが、どうして君は襲われているんだろうな」
大岩の一つの上に仮面をつけた少年が座っていた。日よけの薄い外套を着て、白い杖を持っている。巡礼者のような姿だった。真っ白な仮面には一つの穴も空いていなかったが、まるで見えているかのようにリラに顔を向けていた。
「助けてくれた?」
「君と話がしたくて待ってもらっている。終わったら竜の拘束はとく」
「とくな!」
「あれに危害を加えるつもりはないんだ」
「じゃあ何でも話してあげるから助けて! 知りたいことがあるんなら何でも教えるから!」
「……あの白い竜から君を助ければ、知ってることは何でも話してくれるのか?」
「するから!」
その瞬間、身体がまた勝手に動く。でも今までの身体全体が自分から動き出す自然さがない。まるで筋肉そのものが勝手に動き始めたかのようだった。
同時に白い竜が前足を振ってくる。身体の動きが遅いせいで回避がぎりぎりになり目の前を爪が通り過ぎていく。
「なんで!」
「拘束する理由がなくなったからね」
「助けてくれるんでしょ!」
「そのつもりだよ。ただ俺は手は出さない。戦うのは君だ。戦う気があるのなら、手取り足取り教えることで手伝うことはできる」
「何なの、助けてくれるんなら助けて!」
「手取り足取り教えて構わないのか?」
「そうだってんのよ!」
「じゃあ手助けを始めよう、フォルトゥナの子よ。君はさきがけのホアキンの百五十三人目の後継者だ。いや百五十五人目だったかな、まあ、いいか」
ホアキン? 何言ってるんだ、こいつ? でも、フォルトゥナのことを知ってるってことは……
その瞬間、身体が流れるように動き始めた。全力を出している訳でもないのに、自分とは思えない速度で身体が運ばれていく。なのに、身体のバランスは完全に安定している。何があってもすぐに対処できそうな余裕が下半身に残っている。
「身体が勝手に動いてるんだけど!」
「手本だよ。実演だ。フォルトゥナの技の基本は速さにある。力はそこまで強くないが、速さではそれなりに名が通っている。そして速さとはまず無駄のない動き、そして正しい姿勢だ。契約を済ませていない君でも、フォルトゥナの技のまま正確に動けば、このくらいの速度は出るという訳だ」
確かに速い。それでも白い竜の方が速い。目はリラを追ってきている。前足の届く範囲に飛び込めば一瞬で引き裂かれることになるだろう。
「武器があればこのまま斬りつけたいが、今は何も持っていないからリーチが足りない」
リラの身体はそのまま竜の手の届く距離に踏み込んだ。竜の攻撃を誘っているのだ。
「少し不利になるが攻撃を誘って、その隙から反撃につなげていこう」
竜が噛みついてくる。速すぎて避けられる気がしない。が、するりとかわせてしまう。移動したというより、身をひねって、少し体勢を変えただけという感じ。竜の方が、わざわざ空振りする距離で攻撃を始めているようにも感じられた。
そのついでに手のひらで鼻っ面に一撃入れたが、竜にひるむ様子はない。リラの身体は、何度か交錯ついでに手を出すが、剛毛でこすれて手が痛くなるだけで、どれもまるで効いていないようだった。あの白い毛は、一見するとふわふわしているように見えるが、全然そうではなかったのだ。
「力が足りないな」
ちょっとイラっとした。これでも同世代ではそれなりなのだ。
だがそんなことを細々考えている余裕はない。
「ちょっと、ど、どうすんの?」
「さすがに契約前では難しいか。でも大丈夫。フォルトゥナは逃げるのも得意なんだ」
そこからは早かった。身体はまるで跳ねるように岩を登り、少年の隣に立つ。竜もよじ登ろうとするが、リラよりも遅い。
「力で勝てなければ足で勝つ。それがフォルトゥナだ。フォルトゥナはあんなでかいだけの竜には負けたりしない」
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