第2話 「幸運の一族の現在①」
「リラ、試験を始めなさい」
震える手で針を持ち、指に傷を作る。
「落ち着いて。緊張しても集中しても結果は変わりません」
紙に印刷された複雑な文字と模様を血でなぞっていく。
半分をなぞり終わると身体に熱が溢れるのを感じる。
紙になすりつけられた血が泡立ち始める。
力はある。
あるんだ。
そこから更に文字をなぞる。
身体の中に何か言葉にできないものが生まれていく。
だが四分の三まで進んだ時、それは唐突に終わった。
熱は冷め、血は静まり返る。
「停止しましたね……」
血は既に紙に染み込んで固まり始めている。
「残念です。あなたならと思いましたが……」
「まだできます。まだ!」
「繰り返しても結果は変わりません。フォルトゥナの器ではなかったと諦めなさい」
◆◇◆◇◆◇
十五歳まで誕生日になれば挑戦できる試験。
今回が最後の挑戦だった。
才能があれば最初の十歳で合格する試験だ。
才能がないなら諦めもついた。
でも才能は確かにあったのだ。
ただ量が足りなかった。
試験は成立しているのに最後まで進められない。
だから諦めきれなかった。
周りも、もしかしたらと毎年受けさせてくれた。
年々少しずつだが力は伸び続けていった。
でもそれも今年で最後だと言われていた。
「リラ、どうだったんだよ、試験!」
屋敷の廊下を歩いていると大柄な少年が出てくる。
最近は勉強ばかりしている小太りの引きこもりだ。
こいつは初挑戦で受かっていた。
それ以来ずっとこの調子だ。
「どうせダメだったんだろ! 言ったじゃねえか、無駄だって!」
「死ね!」
本当なら横っ面を殴り飛ばしてやりたい。
けどこんななりで喧嘩はすごく強いのだ。
ゲラゲラと笑う少年を置いてリラは走る。
◆◇◆◇◆◇
誰も見ていない、誰も聞いていないところに行きたかった。
だから入ってしまった。
島の奥地――
谷を上った先にある岩場はフォルトゥナ以外の立ち入りが禁止されていた。
けれどフォルトゥナもほとんど入らない寂れた区域だった。
入ったところで誰にも分からない。
下草をかき分け進んだ先の岩場の間には踏みしめられた道。
四方に枝分かれしながら続いている。
一つを選び、並ぶ大岩の間を抜けていくと開けた場に出た。
そこからは海を一望できた。
「こんなところだったんだ」
リラは手ごろな岩の一つに腰を下ろし、一息ついた。
気持ちのいいところだ。
吹きつける海風がもう少しゆるい時間なら最高だろう。
「フォルトゥナになったら、ここでお茶でもするのかな」
フォルトゥナは幸運の一族だ。
大洋の向こう、遠く東の彼方からこの西方諸島にやってきたその一族は文字通り、幸運を引き寄せる不思議な力をもっていた。
親から子へと引き継がれていくその力を守るため、フォルトゥナの一族は慎重に血を掛け合わせる。始まりの家族の血が澱まぬように、薄くならぬよう。たまに優秀な外の住民の血を取り入れつつ、一族の血を守り続けた。しかし掛け合わせを続けていけば、どうしても外れは生まれてしまう。
できそこない――
リラはそう呼ばれていた。
二十年ぶりに入れた外の血で己の器を満たし、代わりに一族の血をこぼしてしまった愚か者。三人の兄たちはフォルトゥナの全てを保持したうえで、その外から来た女がもつ才覚もはっきり継承していた。母の素質を疑う理由はどこにもない。そもそもリラは母親には似ていなかった。
できそこないの子供は、フォルトゥナになれる子供と比べて、ひどく運が悪くなってしまうらしい。力がないから幸運ではないのは仕方がないとしても、それ以上に運が悪くなるという。
これも運のせいなのかもしれない。
幸運とはエネルギー。使えばなくなる薪だとか。大きな幸運を得るには、周囲から幸運のエネルギーをかき集める必要があるという。試験に合格したフォルトゥナは幸運の力を得るが、しばらくの間はそれをうまく使えず、己の意思と関係なく周りからエネルギーを吸収してしまうらしい。
同じフォルトゥナであれば抵抗力もあるため、自分の中の幸運まで奪われることはまずないが、力のないリラのようなできそこないは、周囲の新米フォルトゥナたちにある程度は吸い取られてしまっているかもしれないのだ。
『もし本当にそうだったとしても恨んではいけない。奪おうと思って奪っている訳ではないのだから』
おじさまはそう言った。でも本当にそうなのかな。
兄弟たちや同年代の顔を思い浮かべると、そんな気になれなかった。
とは言っても、そこまで恨んでいる訳でもない。
同世代はともかく、大人は優しかった。
できそこないとは言っても家族だった。
外の人間よりは信頼もできる。
リラ自身もまじめな方と自覚していた。
屋敷で仕事をさせてもらっているのは信用されている証だと思う。
フォルトゥナになれなかった場合、女子は次代を産むことになる。
だがその子がリラと同じようにできそこないなら……
息苦しい。一歩進めば落ちる崖の上に立たされているようだった。
何もかも放り出して、海の向こうに行きたい。
本当に逃げた人も何人かいた。ほとんどが見つけられて連れ戻されたのは知っている。でも一部の消息は分かっていない。
あの人たちはどうなったのだろう。
リラも買い出しで何度も島の外に出ている。信用されているのか、単独行動も何度もしている。
逃げようと思えば逃げられる。でも家族のいない外でも生活していけるだろうか。リラには逃げきる自信も、生活していく自信もなかった。
いつまでこんな焦りが続くのだろう。用済みでいいから早く自由になりたい。
でも本当は用済みになりたくない。結果が出るのが怖い。そんな風になるぐらいなら、ずっと今のままでいい。
頭の中が混乱して、衝突して、ぐちゃぐちゃになっていく。
木の枝を二つ拾う。
立ち上がり、短剣に見立てて握る。
目の前に思い浮かべるのは同じく二刀を構えた鑑写しの自分。
その動きに合わせて、無心に踊る。勢いを殺ささず、受け、かわし、打ち込み、巻き取り、流し、また打ち込む。
考える前に身体が動く、神経が覚え込んでしまった型。
それでも最近しばらく練習していなかったからか、踏み込みの位置に、打ち込みのリズムに違和感がある。タイミングがずれてしまっている。崩れた動きを調整しながら、リラは更に没頭していく。
気付くと夕日が海に沈もうとしていた。風が弱まり、ぬるりとした空気がその場に留まっているのを感じる。
そろそろ帰らないと。仕事も放り出してきてしまった。帰ったら怒られるかな。
枝を放り投げ、道を戻ろうとしたその時、リラは見た。
岩の間から現れた奇妙な白い竜を――
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