永遠を生きる亡霊、友人の子孫を訪ねる
雨村 獏
第1話 「熱帯へ」
ここ二百年ほど連絡をとっていなかった友人の子孫が悪事を働いているという。
止めてやる義理もないし、やりすぎれば増やした敵に潰されるだけで、俺には何の関係もない話だが、滅びるはずだった彼らを生き延びさせたのは確かに過去の自分だ。責任の一端というものを感じないことはなかった。
それにあいつらの子孫がそんな風になるとも思えない。
一つ様子を見てくるか。
亡霊はそうして十数年ぶりに外へ踏み出すことにした。
◆◇◆◇◆◇
「コウよ。お前はもう、私たちと一緒に生活する意思がないと思っていいのか?」
門前町を貫く参道の突き当たりにある大屋敷の書院にて――
居並ぶ守護六家と七本槍の面々の前でコウはそう問われた。
コウは言葉を選びながら、しかし正直に答える。
「そんなつもりはないよ。ここでの生活は好きだし、あんたたちのこともそうだ」
「だがいつになっても役目を果たさず、あまつさえ外部の者を結界の中に招き入れ、里のみなの命を危険にさらした」
別にそういうつもりだった訳じゃないけれど、場合によってはそうなったかもしれないのも確かだった。
六塚は呆れたように笑う。
「お前の考えも分からないではない。あれの嘆きを聞いて、里で安穏と生きることに罪を感じたのだろう。手を貸したいと思ったのだろう」
「それは……」
コウは返事をためらう。だが六塚は顔を見ただけで察したようだ。
「誰に似たのか、今になってもお前たちの中には、たまにお前のような者が出てくるのだな」
六塚はしばし沈黙し、そして頷いた。
「よかろう。お前に裁定者の役割を与える。お前が招き入れたあの者の故郷を訪ね、あれの一族がどのように生きているのか、その目で確かめよ。そのうえで何が正しいのか、本当に彼らを助けていいのか、考えてみるがいい」
「俺を外に出してくれるのか?」
「全てを知りながら外を望むとは全く救いようがない。だが分かっているな。裁定者として外に出れば、生きているうちは二度とここには戻れないぞ」
できる限り長く生きるつもりだが、彼らとはこれが今生の別れになるだろう。
「分かってる。外で死んでくるよ」
「ならば井鷹よ、案内をしてやれ。さらばだ、コウ。死の後に、また会おう」
◆◇◆◇◆◇
井鷹の娘がコウの腕を触った瞬間、一瞬で倉に案内される。飛んだのだ。
彼女は中に入ると、しばらくして出てきた。
「こちらが耳と口、そして目です」
鈴のような見た目のイヤリングだ。
振っても音は鳴らない。
「そしてこの杖が手です」
白木の杖だ。
釣竿の糸巻きのような飾りがついている。
振るとからり、からりと音が鳴った。
どれも知ってはいたが見るのは初めてだ。
「本物なのか?」
「レプリカですが貴重なものです。大事に扱ってください」
渡されたイヤリングを身に着け、杖を持つ。
「これが顔です」
白い仮面だ。
触り心地で木製だと分かる。
目、鼻、口、どの位置にも穴は空いていなかった。
耳の上にも被さって、その全体を覆い隠している。
表面にはわずかな凹凸があった。
凹凸は大小さまざまな円で重なり合って複雑な紋様を形作っている。
その紋様はどこか、仮面全体に無数の目があるように感じられるものだった。
「必要になったら自分から働き始めますので、肌身離さず持っていてください」
それから最低限の品をリュックに入れた後、軽装のまま、コウは里から出発した。
◆◇◆◇◆◇
次に到着したのは大洋上の船の甲板だった。数百メートルはあろうかという巨大な船だ。
ぐるりと見渡しても水平線上に陸地はない。太陽はまだ海上の低い位置にあるが、甲板はかなり暖かくなっていた。だが日陰はまだ涼しい。武骨なクレーンの陰で井鷹の娘が膝をつく。
「どうしたんだ?」
「少し休憩します」
一瞬の移動だったが、想像以上に疲れているようだ。
ペットボトルの紅茶を飲み干すと彼女は言う。
「コウ、本当に裁定者になってしまったんですね」
「なっちまったな」
「裁定者はすぐ死にます。復讐者に討たれたり、死神にやられたり。コウは弱い方だからたぶん一年ももたないでしょう」
裁定者は、ここ十数年はもう名前が残っているだけで、空位が続く、廃止されたも同然の役割だった。安全な結界内から出て敵地を単独で巡回することは実質的な死刑だ。望む者などなく、就かせたいと望む者もいなかった。
「何もせず隠れてれば長生きできるんだろうけど、それじゃ裁定者の役割もこなせないからな」
「死んで帰ってくるのはやめてください。ほとぼりが冷めたら戻れるようにしますから」
彼女がそれを可能にする発言力を得るには、どんなに早くとも十年はかかるだろう。二十年以上かかるかもしれない。
「友達がそう言ってくれるなら少しは粘る気にもなるけど。でも、あんまり期待はしないでくれよな。緊張していきなり失敗するかもしれないし」
十年以上生き延びた裁定者は数えるほどしかいない。その全員が偉業を残した英雄だ。自分にその器があるとは思えなかった。
「茶化さないでください」
「割と本気なんだけど。俺が本番に弱いの、知ってるだろ?」
「もう、いいです。……行きましょう」
「もう少し休んでいってもいいんだぜ」
「大丈夫です!」
◆◇◆◇◆◇
幾つかの船上を経由して最後に到着したのは異国の浜辺、木々は青々と茂り、花々はかぐわしく香り、燃えるような光が燦々と降り注ぐ熱帯の地だ。
「例の侵入者がこの島の港から出国したことまでは分かっています。おそらくこの近隣に彼らの住処があるのでしょう」
僅かな時間で数千キロを移動している。同い年なのに、気付けば大した怪物に育ったものだと思う。
彼女は港の方角を見て言う。
「死神もいるという話です。後はあなたの思うように」
「……死神が来るのか?」
「一週間前に鬼狩りが成田からマニラに飛んでいます。その後の足取りはつかめていませんが……」
鬼狩りは、まだ二百歳にもならない新しい死神だが、江戸末期の争乱の中を常に刀を握りながら人間のままで生き抜いた生粋の武闘派だ。
死神になって百年以上経っても全く落ち着くことなく、呼ばれた戦場には気楽に出張ってくる。
「あいつは何にでも首を突っ込むせいで顔が広いし、腕っぷしだけは頼りになるからな、地元の死神にでも呼ばれたんだろう」
十九世紀末からしばらく国外を放浪していたこともあり、アジアの死神にも友が多い。その付き合いは遺恨を残した大戦争の後も変わりなく続いていると聞く。
「そんなところでしょう」
「それにしても鬼狩りか。……俺、ここで死ぬかもな」
鬼狩りと裁定者は何度か敵対しているが、最初の遭遇は裁定者の死で終わっている。それからは戦いを避けているが、戦えば無事では済まないだろう。
「かっこ悪くても生きなさい、コウ。私も頑張るから」
それだけ言うと井鷹は一瞬でその場から姿を消した。
一人になったコウは周りを見回す。
島や山の形にはまだ見覚えがあるけれど、道や海岸線はまるっきり変わりきっていた。
海の色さえどこか違っているように見える。
広大な道路は彼方まで続き、その先には幾つかの高層ビルがそびえたっていた。その周りには背の低い平屋の建物が密集している。
姿は変わったが、二百年前と同じく栄えているようだった。
◆◇◆◇◆◇
オートバイに乗った三人組が現れたのは、広大な道路を歩き始めて三十分ほど過ぎた頃だった。
三台は加速しながら突っ込んでくる。たぶん旅行者と見ての強盗、ひったくりだ。鉄パイプで殴りかかってきたのを一撃で返り討ちにしようとして、やめた。
せっかくの襲撃者だ。とりあえず逃げられないようにバイクから壊して、それから少し練習台になってもらおう。
白い仮面を顔にあて、白木の杖を握る。
「頼むぜ、お姫様たち」
応えるように杖とイヤリングが震えた。
◆◇◆◇◆◇
三時間後――
満足するまで練習に付き合ってくれた気のいい男たちからお小遣いをもらった後、コウは都市へと向かう。
裁定者はたった一人で死地に赴く仕事だが、一人の判断で全てを決定できる仕事でもある。
別にいつまでと期限が切られている訳でもない。今回の件だって今日済ませてもいいし、一年後にしてもいい。さすがに死神が来ているのに一年は遅すぎるが…… 一週間程度なら構わないだろう。
ここを最後に訪れたのは二百年前だ。
言葉も大きく変わっている。この内海の沿岸と、その中に浮かぶ島々は今も一応同じ言葉を話しているはずだから、ここで学び直しておけば、現地でも役に立つだろう。
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