神殺しのロンギヌス―死した英雄からの便り―
七四六明
死した英雄からの便り
地獄って言うのは、もっと悍ましい場所だと思っていた。
敵だったとはいえ、人類を守るためとはいえ、多くの命を奪って来た自分が地獄に落ちる事に異論はないし、当然の結末だと受け入れられたものの、まさか地獄とは、何もない場所だとは思っていなかった。
果てしなく続く空に雲は無し。
果てしなく続く大地に広がるは果てしなき地平線。どれだけ歩いても、どれだけ進んでも、何も無い。何も現れない。誰も現れない。何も変わらない。
空の色はずっと青空で、夕暮れも夜も訪れない。太陽の代わりを担う光が、ずっと真上で輝き続けている。
自分以外の誰とも会わない故、説明もされていない。
だがここが地獄であると言う事は認識出来ていて、天国でない事だけは理解出来ていた。不思議な事ながら。
死して何時間。何日、何か月、歩き続けただろうか。
座っていても変わるものは無し。ならば誰かに会えるかもしれないと淡い期待を抱きながら、歩き続ける方がまだ吉かと歩いている。
死んでいるからか、体は疲弊を感じないが、何だか心が疲れて来る。
ずっと、ずっと、ずっとずっと、ずっとずっとずっと進んで来て、無意味なのだと悟らされて、どんどんと一歩を踏み出す力が無くなっていく。
そうして歩みが遅くなっていった時に気付いた。
「なるほど。これ、無間地獄って奴か」
絶えまない苦しみを受け続ける地獄。
そう聞いていたが、苦しみとは単純な痛み等でなく、何もない退屈を差すらしい。
死んだ肉体に幾ら苦痛を与えたところで、死なないのだから意味はない。生前鍛えられていた戦士ならば、猶更だ。
故に無間とは、何も無い空間。
餓えないから、食べ物を探す必要が無い。
眠気が無いから、眠る場所を探す必要が無い。
敵がいないから、安心出来る場所を探す必要もない。
何もする必要が無いから、何もしなくていい。何かしようとすればするほど、心が蝕まれていく永遠の地獄。
無欲と平和が揃うと、地獄になるのだと初めて知った。
「さて、どうしようか……」
無間地獄だとわかった今、これ以上進む必要など無い。
何処まで進んでも行き止まりも無く、文字通り無限の地平線と空が広がっているだけ。ならばもう、進む意味などないのではないか。
「よし」
それでも、英雄は歩みを止めぬ。
大地踏み締め、地平線へと歩を進め続ける。
痛みも無い。苦しみも無い。体は全く痛まないし、疲れない。
痛むのは心。疲れるのは精神。諦めろと何処からか囁かれている気分になる。
けれど、英雄は歩くのを止めない。止める気はない。止めるつもりは毛頭ない。ずっと、ずっと、ずっとずっと、ずっとずっとずっと、歩を進め続ける。
「何をしているの? その先には何も無いのに」
「ここにいるのが、俺一人とは限らないだろう? だから会いに行くのさ。誰とも知らない誰かに。蛮勇か。英雄か。殺人鬼か。どんな人に会うんだろうな」
「危ないわ。ここは地獄。少なからず、何かしらの罪を犯した人達ばかりがいる場所なのに」
「こんなところで殺し合いなんて不毛でしょ。死んでるんだから。それに、仮に殺し合いになったとしても、俺は負けないよ。最強だからね」
「自信たっぷりだけど、その自信はいつまで続くのかしら」
「さぁ。でも、今まで歩き続けて来てよかった。お陰で君に会えた。そうでしょ? ユキナ」
振り返ると、彼女は強く抱き着いて来た。
顔を埋め、こすり付けて来る。そのまま頬に口付けしようとしたが、背伸びしても頬に届かず、脚が震え出した。
「背、伸び過ぎ」
「学生時代から大人になるまで、また伸びたから」
「あなたばっかり成長して、ズルいわ」
「ごめんよ。でも、今日から一緒だ。それに多分、そう遠くない未来に、この地獄から抜け出せると思うよ」
「へぇ……その根拠は?」
「勘」
「うぅん……勘と言っても英雄ミーリの勘、かぁ。死人の勘でも侮れないわね」
「特に君は、だろ?」
「えぇ、そうね!」
息子達は、娘達は元気だろうか。
そうだ、ユキナにも話してやろう。
自慢の子供達――もちろん、あの子の事も。
下界はどうなっているかわからないけれど、彼らがどんな困難に立ち向かっているか知らないけれど、それでも彼らにも言ってやろう。
頑張れ。
此の世で一番残酷な言葉。
もう既に頑張っている相手に言うと言う、鞭のような言葉。
同時、愛ある言葉だ。
だから何度でも、心の中で祈り、届けと胸の内で叫ぶ。
頑張れ。
歩くその先に何も見つけられずとも、歩くその先に何も見出せずとも、ひたすら歩け。ひたすら頑張れ。君達には、それが出来る。それが出来るだけの力がある。
俺が、他でもない君達の父が、誰よりも保証する。
「ミーリ、肩車して!」
「いいよ。ユキナはまだまだ子供だね」
「あなたは少し老けたわ。私を殺した時のカッコいいあなたは何処?」
「失礼な。これでも生前はイケオジと言われていたんだからね?」
「まぁ、格好いいのは……認める!」
「でしょう」
頑張れ、子供達。
父はこの無間地獄でまた、彼女に会えた。
君達にも、歩み続ければきっと起こせる。
それはまるで、奇跡のような――
神殺しのロンギヌス―死した英雄からの便り― 七四六明 @mumei
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