ひみつの関係(短編)
古川早月
ひみつの関係
朝の教室は喧騒に包まれ、実に賑やかだった。
登校してから先生が来るまでは僅かな時間しかないけれど、生徒たちは自由にはしゃぎ回っている。
……わたしたちを除いて。
「おーおー、若い子は元気があっていいねー」
わたしと向き合うように座っていた少女──
「だってあたしにはあそこまでの元気はないし。ただでさえ暑くて動きたくないし」
「それはまあ……そうかもしれないけど」
いまは七月で、期末テストが終わったばかり。もうすぐで夏休みということもあり、生徒のテンションが上がるのはある意味では必然であるといえる。
そんななかで、わたしと純子ちゃんはぐでーっと机に突っ伏していた。エアコンは設置されているが、先生が来ないとつけられないので意味がない。この規則には反対するひとが多いみたいだけど、まぁ、当然だろうなと思う。
「でも、いまからこんな感じだと八月まで持たないよ? つまらない夏休みになっちゃうよ?」
「あたしはそれでいいんだよ。どーせ宿題まみれでろくに休めやしないんだろうからね」
「それを言ったらおしまいだよ……」
うちの学校は県内ではそこそこレベルが高い女子校であり、文武両道の高校として知られている。とはいえその名目を保つために長期休暇は部活と宿題でほとんど潰れるので、自由はないに等しい。まあ、休みに入るのは嬉しいんだけど。
そんなこんなで溶けていると、不意に涼しい風が流れていった……ような気がした。
窓から流れてきたのかな? と思ったけれど、外は無風だった。怪訝に思いながら視線を戻そうとしたところで、室内に満ちていたざわめきが少し変化したことに気づいた。
友達とじゃれあう嬉しさによるざわめきというより、感嘆に満ちたざわめきといったほうが正しい。目のまえで推しを見たような、そんな喧騒だ。
それらはすべて、ひとりの少女に向けられていた。清楚な佇まいに、優しげな瞳。夜色の髪を揺らすその少女が入ってきた瞬間、室内のざわめきが変化したのだった。
「お、来たね」
変化を感じ取ったらしき純子ちゃんが顔を上げ、入口の方を見る。
「マリアさまは相変わらず人気だねぇ」
「そうだね」
わたしの返事は素っ気ないものになっていたかもしれない。それほどまでに、少女に目を奪われていた。
少女──
だからというわけでもないだろうけれど、逢花はいつもひとに囲まれている。わたしみたいなぼっち気質からすると羨ましいことこの上ないのだけれど、まあ、こればかりは仕方ない。
「そういや、昨日また告られたんだってねー」
「えっ、純子ちゃんが?」
「いまの言葉のどこをきいてあたしだと思ったんだよ。マリアさまのことに決まってるでしょうが」
純子ちゃんは呆れたように息をついて、逢花のほうをちらりと見た。
「下級生の子だったかなー。放課後にマリアさまを呼び出して、ラブレター渡したらしいよ。なんというか、勇気あるよねぇ」
「そっか、それで遅くなったのか……」
「ん? なんか言った?」
わたしの呟きをききとめた純子ちゃんが訝しげにこちらを見る。
慌てて「なんでもないよ」と首を横に振ってから、「でも、ほんとにすごい人気だよね」と会話を再開させる。
「そりゃ、あんな奇跡みたいな美少女が人気にならないわけないでしょ」
「純子ちゃんも逢花のこと好きなの?」
「そりゃあね。あ、恋愛的なほうじゃないよ。友達というか、クラスメイトとして好きって意味ね」
純子ちゃんが補足したのには理由がある。たまに、逢花のことを恋愛的な意味で好きな子がいるからだ。
女子高とはいえ、恋愛は珍しいことではない。もちろん、外部の男子との恋愛沙汰がいちばん多いけれど、校内にいる生徒──つまり、女の子どうしで付き合うこともある。
逢花はその対象になることが多い。街を歩いていると男のひとにも声を掛けられるけれど、比率でいったら女の子から「付き合ってください!」と言われることのほうが多いみたいだった。
その事実に対してなんとも言えない感情を抱いていると、純子ちゃんがお返しとばかりにきいてきた。
「そーいうぐみちゃんはどうなのさ」
「えっ? わたしは……」
言葉に詰まる。あまり優秀とはいえない脳をフル回転させ、なんとか適当な回答を見つけ出す。
「わたしも……純子ちゃんと同じだよ」
「……ふぅん」
あまり面白い回答ではなかったのか、それともいまのやりとりで心中を見透かされたのか……純子ちゃんは疑うような声色で返事をした。
これ以上追求されたくないと思い、慌てて目を逸らす。すると逢花と目が合ったので、また急いで目を逸らした。
視界の端っこに映る逢花の顔はどこか残念そうにも見えたけど、面と向かって顔を見る気にはなれない。
だって、逢花の周りにはいつもひとがいて、わたしが入る余地はなかったから。
ちょうどそのとき予鈴が鳴り、先生が教室に入ってくる。
わたしは視線を先生に向けながら、早く放課後が来ることを願った。
* * *
午前の授業が終わり、お昼休みになる。
わたしは躰をほぐすために伸びをしてから、まえの席で寝ていた純子ちゃんを揺り起こした。
「純子ちゃん、授業終わったよ」
途端に純子ちゃんががばりと身を起こして、鞄のなかから弁当箱を取り出した。ここまで切り替えが早いと、呆れを通り越して尊敬の念すら覚える。
「ぐみちゃん、早く食べるよ! あたしはもう腹ぺこだ! 腹ぺこすぎてさっきの授業は寝てたくらいだよ! あとでノート見せて!」
「純子ちゃん、燃費悪いもんね……」
勢いよく弁当を食べ始めた純子ちゃんに苦笑しながら、わたしも弁当箱を取り出す。
そのとき、「つぐみちゃん」と横から声がかかったので、弁当箱を開ける手が止まる。
見てみると、逢花がこちらにやってきていた。その手には弁当箱が握られている。
「どうしたの?」
「わたしも一緒に──」
「マリアさま! お昼を一緒に食べませんか?」
逢花の言葉は、彼女の背後から掛けられた声に遮られた。
何人かの女生徒が弁当箱を持って、こちらを見ていた。いつも逢花の近くにいる子たちだ。
「えっと……」
「わたしのことは気にしなくていいから、行ってきなよ」
わたしが言うと、逢花は困ったように眉根を寄せる。どうしようか迷っている様子だ。
だが、女生徒たちの「マリアさま!」という声を受けて、逢花は「……またあとでね」と少し残念そうに言って、教室を出ていった。
わたしが視線を戻し、弁当を食べ始めると、ぽかんとしている純子ちゃんと目が合った。
「どうしたの、純子ちゃん?」
「いや……アンタ、マリアさまと普通に会話できるんだなって」
「……わたしそこまでコミュ障じゃないよ?」
「いや、そーじゃなくてさ。マリアさまって人気者だし、話すのが恐れ多いってひとも沢山いるだろ? なのにアンタは物怖じしないで話せてるなと思ってさ」
「ああ……」
確かに、純子ちゃんの考えも分かる。
わたしはどちらかというと控えめな性格だと自分でも思っているし、逢花のような人気者を前にすると物怖じしそうという印象を持たれているのも知っている。だからこそ、逢花と普通に会話できているのが気になったのだろう。
「ま、まあ、逢花は話しやすいから……」
曖昧に答えて、箸でつまんだハンバーグを口に入れる。
聡い純子ちゃんのことだから、何か理由があることくらいは察していると思うけれど、それをわたしの口から明かす訳にはいかない。
話したら、きっと大騒ぎになるからだ。
* * *
そうこうしているうちに授業が終わり、放課後がやってくる。わたしは部活に入っていないし、特に用事もなかったので真っ直ぐに帰宅した。
ちなみに純子ちゃんは遠くからバスで通学しているので、いつも校門で別れる。友達と帰れないのは少し寂しいけど、家に帰ればまた別の楽しみがあるので、ひとりで帰ることを嫌だと思ったことはない。
わたしが住んでいるのは学校から少し離れたところにある一軒家だ。駐車場に車はなく、両親はまだ帰宅していないようだったので、鍵を開けてなかに入る。
手洗いうがいを済ませてから二階にある自室にこもり、宿題を済ませていると、階下から鍵の開く音がした。どうやら誰かが帰ってきたようだ。
ややあってから足音が二階へと登っていき、わたしの部屋のまえで止まる。すぐにノックの音がしたので、わたしは「開いてるよ」と声をかけた。
許可を経て入ってきたのはひとりの少女だった。夜色の髪と、優しげな瞳。高嶺の花で文武両道な優等生──真梨逢花はわたしを見ると、「ただいま、つぐみちゃん」と微笑んだ。
「おかえり。今日は早かったね」
「生徒会の会議が早く終わったんだ。それに、つぐみちゃんとお話したかったから」
わたしも、と言いかけて、慌ててその言葉を飲み込む。代わりに「とりあえず着替えてきたら?」という言葉が口をついて出た。
「あ、そうだね。ちょっと待ってて」
逢花は部屋を出ていく。わたしの部屋の隣が逢花の部屋なので、そこで着替えを済ませるのだろう。
わたしは教科書とノートを閉じると、小さく息をつく。今日はもう勉強はしないつもりだった。
しばらくすると、逢花が戻ってきた。服装は制服ではなく部屋着で、わたしはその姿を見て思わずため息をついた。
「逢花……その服、どうにかならないの?」
逢花が着ているTシャツにはでかでかと「腹ペコ革命」の文字が記されていた。なんだ腹ペコ革命って、意味がわからないしとてつもなくダサい。
しかし逢花は「わたしは可愛いと思うけど……」と困ったように微笑む。素材がいいので何を着ても似合うのだが、クラスいちの美少女が着ていい服ではないだろう……と、わたしは思う。
人前ではちゃんとした服を着る(というかわたしが着せる)のだが、逢花が好きなのはこういったよく分からない服だ。たまに怪しげなショップとかも覗いているのでキャラ付けなどではなく本気で好きなのだとは思うけれど、秘密にしておいた方が世のためだと思う。なのでこの秘密を知っているのは両親とわたしだけだ。
わたしがベッドに座ると、逢花もその隣に座る。ふたり分の重みでベッドが軋み、これが現実であることを教えてくれる。
まあ、傍から見たら信じ難い光景だろうし、わたしもごくまれに半信半疑になることがある。だけど、確かにわたしたちは家族だった。
逢花の母親とわたしの父親が再婚してこうなったので、血は繋がっていない。だけど逢花はわたしのことを家族として見てくれているし、わたしも逢花のことを大切な家族だと思っている。
でも、この関係がバレるのはまずい。あることないこと詮索されるのは困るし、わたしみたいな地味な人間と逢花が同棲していると知られたら、確実に疎まれる。
だから、わたしは学校では逢花に興味がないふりをしていた。逢花も自分の影響力は分かっているみたいだけれど、それでもわたしに話しかけてくる。今日のお昼も、本当にわたしと一緒に食べたかったのだろう。
純粋な気持ちで接してくれる逢花に対して、わたしは世間体を気にするような臆病者で……溜息をつきたくなるほど、いやなやつだ。
そう考えて鬱になっていたとき、不意に逢花がこちらを見ているのに気づいた。
「どうしたの逢花。わたしの顔になにか付いてる?」
「ううん。なんでもないよ」
そう言いながらも、逢花の表情は綻んでいる。そこまでおかしな表情をしていただろうかと思っていると、逢花は「……ただ、嬉しかっただけ」と愛おしげに目を細めて言った。
「嬉しいって、なにが?」
「わたしのこと、名前で呼んでくれるのが嬉しいなって」
「どうして? 名前なんてみんな呼んでるじゃん」
わたしが言うと、逢花は首を横に振って、
「クラスで名前呼んでくれるの、つぐみちゃんだけだよ。先生は苗字で呼ぶし、ほかのひとは全員“マリアさま”って呼ぶから……」
「あ……そっか」
たしかに、名前を呼ぶのはわたしだけだ。
みんなは“マリアさま”と呼んで、逢花もそれを受け入れているけど、もしかしたら本当は、名前で呼んでほしかったのかもしれない。
逢花だって普通の女の子だ。みんなの理想でいるのに、疲れないわけがない。
わたしだけが、それを救える……なんてことは思わないけれど、逢花が望むなら、わたしだけは本当の彼女を見ていなければいけないのかもしれない。
そう思って、逢花に顔を近づけ、形のいい耳に囁く。
「……逢花がそうしてほしいなら、いくらだって呼ぶよ。わたしにできることは、それくらいだから」
「そんなことないよ。わたしはつぐみちゃんと一緒にいれて嬉しいし、それに……」
そこで逢花は言葉を切る。その先を口にするのを迷っている様子だった。
「逢花?」
「……ううん、なんでもない。とにかく、つぐみちゃんが隣にいてくれるだけで、わたしは嬉しい」
そう言ったあと、逢花は目を細め、ねぇ、とわたしに呼びかけた。
「つぐみちゃんがよければ、今日は一緒に寝ない?」
いきなりの提案で驚いたけれど、こちらを見つめてくる逢花の表情は得も言えぬ色気を纏っていて、鼓動が速度を増す。
それに押されるまま、わたしがこくりと頷くと、逢花は「やった!」と嬉しそうに笑った。
その表情は先程とは異なり子供っぽいもので、その落差に戸惑う。
逢花はずるい──なぜかそんな気持ちが湧き上がった。
どうしてそんな場違いな気持ちを覚えたのかは、自分でも分からないけれど。
* * *
目の前では、つぐみちゃんが寝息を立てている。
今は夏なので、ひとつのベッドで一緒に寝ると暑い。でもエアコンが効いていて快適だったし、つぐみちゃんの体温は心地良かった。
つぐみちゃん自身は否定しているけれど、改めて見ても綺麗な顔立ちをしていると思う。意志とは無関係にその頬に触れると、恍惚とした吐息が自分の口から漏れるのがわかった。
みんなの“マリアさま”でいることには慣れているし、そうしないといけないことも分かっている。でも、誰も本当の自分を見てくれないことを悲しいと思うこともある。
でも、つぐみちゃんだけは本当のわたしを見てくれる。
それが本当に嬉しくて、わたしは救われた。
だからわたしは、つぐみちゃんのことが──
「……おやすみ、つぐみちゃん」
もういちど頬に触れて、目を閉じる。
いまはまだ、この気持ちは内緒にしていよう……そう思った。
だけど、いつかは──
重力がなくなり、現実から夢へと進んでいく。
幸せな気持ちを感じながら、わたしは意識を手放していった。
ひみつの関係(短編) 古川早月 @utatane35
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