第4話

 イアンに聞くべきだった、とネーリは思った。

 父と母が一緒に寝る時、どういうことを話すのか。

 実際聞いても、イアンの答えはなんちゅーこと聞くねん考えたくもないわと笑って終わりだったと思うのだが、ネーリはそっと背を向けていた肩越しに振り返って、隣のベッドに寝ているフェルディナントの方を見た。

 ここは、新しい騎士館の、完成間近の棟だ。予定では、こちらにフェルディナントの居住を移すことになっている。要するに、ここが今までより広い、彼の寝室だ。今までは他の騎士と何ら変わらない一間の寝室で彼は過ごしていたが、ここは上階はとりあえず、フェルディナントの私邸となる。

 大きい部屋だから、ベッドが二つあるのかなあ。

 眠れないネーリは考える。普通の家は、一人で眠るのに隣に使わないベッドがあっても邪魔なだけだ。だから、多分最初は一つだけど、一緒に住む人が増える時に、ベッドも増えるのかな、とそんなことをつらつらと考えてしまう。このベッドが最初からあったのか、増えたのか、どっちなんだろう。

 ネーリは船を下りて、王宮からも出てからは、決まった居住場所を持たなかったし、絵を描ける場所があればいいと思っていたので、倉庫や使わなくなった地下貯蔵庫やら、屋根裏部屋や、馬小屋やらである。彼はほぼ床に毛布に包まって寝て来た。その為そもそも、ベッドとの出会いが珍しいのだ。

(ふかふかする)

 手の平でシーツを押さえながら、落ち着かなかった。

「……眠れないのか?」

 ネーリの肩が跳ねた。彼が振り返ると、背を向けて横向きに寝ていたフェルディナントもこっちを向いていた。彼も寝ていたのを起こされた、という感じではなかったようだが。

 ネーリは思い切って、彼の方を横向きに向いた。するとこちらを振り返っていたフェルディナントが驚いた顔をして、赤面したのが見えた。どう考えても、彼がこんなことしたくてしてると思わないのに。なんでこんなことしようと思ったんだろう。

 不思議だ。

「……フレディ? ……ね、どうしてこんなことしようと思ったの?」

「こんなことって……」

 ネーリが身を起こす。

「こんなことだよー。だって、フレディも寝れないんでしょ? みんなが言ってたもん。フレディほんとは部屋の前に人が来るだけで目が覚めるくらい人の気配に鋭いって。だからみんなフレディが寝室に入った後は余程のことがない限り、部屋の前とかも通らないようにしてるみたいだよ。そんななのに、僕がこんな距離にいたら、寝返り打つたびにフレディ起きなきゃいけなくなって絶対寝不足になっちゃうと思うの。僕結構寝返りとか、暑くなって体勢変えたりしちゃうから、絶対良くないと思うんだ。たまに寝に入った時と起きた時百八十度真逆で寝てることもあるし……」

 フェルディナントが両手で顔を覆っている。

「た、確かにー、忍び込んで一緒に寝ようの遊びしちゃったの僕だけど、フレディがそんなにすぐ目が覚めるって知らなかったから……僕のおじいちゃんとか身体の上に飛び乗っても、顔にお絵描きしても起きてくれないくらいの人だったんだよー。フレディがそうだと思ったわけじゃないけど……」

「……悪戯がしたかったんだろ」

「う、うん……。フレディ昼間はいつもお仕事忙しそうだし、寝てるの珍しいなーって思っちゃったからちょっとした出来心だったの」

「そうやって、お前は誰かと寝たかったんだろ」

「誰かと寝たかったっていうか……、あっ、寂しいとかじゃないよ? ぼくもうずーっと床でごろ寝とかしてきたから今更全然……、フレディが寝てて、ぐっすり寝てるから、寝顔可愛いなーってほんとに悪戯心で……」

「お前が、言っただろ。俺が本当に嫌がってるのが分かるからもうやめるって」

「だって僕のせいでただでさえ忙しくて疲れてるのに睡眠不足にしたくない……そんなことになったらきっとフェリックスも心配するよ。フレディ今日もすごく無理してるの分かる。伝わってくるから、今からでもぼく、自分の部屋に帰るよ。そうしたら安心して朝までぐっすり寝れるでしょ? ……フレディ?」

 ずっと両手で顔を覆って絶望に身を浸しているような雰囲気を醸し出しているフェルディナントに気付き、ネーリが心配した。

「大丈夫? 頭痛い?」

「……頭は別に痛くないが……、こういうとき、本当にお前がまだ十五歳なんだなって実感するな……」

「えっ?」

 絵を描く時のネーリは大人びていて、聖歌を歌う時の彼も美しくて、フェルディナントは時々ネーリ・バルネチアを手の届かない、天の星のように自分よりずっと高貴で年上の人のように思うことがある。

 でもこうやって話をしていると、彼はまだ十五歳で、しかも家族を失って、家族も家の仕組みも知らなくて、同じ寝室で過ごすことの意味も、全く知らないんだなと実感する。

 まだ色んなことを知らない、純粋無垢な子供。

 ……死んだ妹を思い出した。

 その小さな手を。

 まるで彼女と同じだ。

 何もかも、これからなのだ。

 正直な所、後悔してる。まあ寝れないだろうなとは思ったが、やはり隣にネーリが寝てると思っただけで自分は寝れなくなった。ただ、それよりも嫌だったのだ。

 自分は、彼に、神聖ローマ帝国の自分の城に来てくれと言った。指輪も贈った。女だったら求婚したとも言った。それくらい手の内を見せたのに、ネーリの他愛無い悪戯くらいに戦々恐々として、「本当に嫌がってるのが分かるからやめる」とまで言わせてしまった。

 本当は、全然嫌なんかじゃなかったのに。

「……嫌なんじゃない」

 フェルディナントはようやく、心の整理がついたかのように、両手を顔から外した。

「お前と寝るのが嫌なんじゃなくて、忍び込まれるのが苦手なだけなんだ。だから、それなら、最初からいてくれれば」

 ネーリは目を瞬かせた。

「ネーリ。人が眠れなくなるのは……、人の気配が側にあるから落ち着かないだけだと思ってないか?」

 フェルディナントが彼の方を見る。

 少しだけ、そんなことくらいは分かってくれよ、というような恨むような、情念めいた視線でこっちを見られて、さすがにネーリも少しだけ察した。それは、何度か、覚えがあるものだったからだ。

 今までは知らなかったけど、フェルディナントと出会ってから、彼が何回か、教えてくれたから。

「す、好きなやつが隣にいると、普通ひとは落ち着かないものなんだ。ただ、それは嫌じゃなくて、嫌だとお前に思われたくなくて……」

「……それで隣にベッドを置いたの?」

「忍び込まれるのが嫌いなんだ! だったら最初から、ノックして入って来てくれれば……!」

 そこまで言って、フェルディナントは赤面した顔を向こうに背けて、また毛布に包まってベッドに横になった。

 しばらくして。

 くすくす……、と微笑う声がして、フェルディナントはたまらず声を出した。

「俺だってお前に誤解されたくないからどうすればいいかこれでも真剣に考えて……!」

 もう一度身を起こして振り返るとネーリが微笑ってこっちを見ていてくれた。

 ドキ、とする。

 フェルディナントはもう、知ってる。

 女性と行為に及んだこともある。寝るの、多層的な意味や、その時々の不純な、言い訳がましい、本当は納得出来ない様々な想いでそうしたことも。

(俺と同じ寝室にいて、こんな風に微笑ってくれた人なんかいなかった)

 ネーリが枕を整えた。

「うるさくしてごめんなさい。ちゃんと寝るね」

 彼は優しい声で言うと、横になった。フェルディナントが嫌だったわけじゃないと分かって、すっかり安心したらしい。ちら、とフェルディナントがそっちへ視線をやると、横向きになってこっちを見ている。顔に火が付いたかと思うくらい熱くなった。

「……ネーリ、その、悪いんだけど……、そんな風に見られると、さすがに」

「フレディどんな顔で寝るのかなぁって思って」

「もう死ぬほど見ただろ! おまえは!」

「死ぬほどは見てない。四回だけだよ」

 可愛い声でネーリが笑った。

「頼むから、ちょっと今日だけは向こう向いてくれないか。……嫌なんじゃないぞ! ただ、慣れてないんだ。慣れるように、頑張るから……」

「フレディってほんとなんでも頑張っちゃうんだね」

 ネーリは言った。

「今できないことでも絶対に諦めない。慣れたり、出来るようになりたいって頑張ったり。

……小さい頃からフレディはそうだったの?」

 泣いていた、小さなラファエルを思い出した。君を一人にさせてしまったと、優しい青い瞳で謝ってくれた現在の彼も。彼も諦めなかったひとだ。

 男の人はみんなそうなのかな、と思って、自分も男であることを思い出す。

(僕が諦めなかったことってあるのかな)

 絵を描くことと、

 ヴェネトにいること。

 この二つだけは絶対に諦めなかったけど。

 それが正しいのかは分からない。

 絵は、描きたい衝動だからどうにもならないけど、ヴェネトにいることは本当は、誰にも望まれてない、やめた方がいいことなのかもしれない。


「……諦めたら、生きれなかった」


 その声に引き戻される。

 さっきまでこっちを見るなと赤面してわたわたしていた彼が、今はこっちを自分から見て、横向きに寝そべり、そう言った。

「俺の両親があんまり昔から仲良くなかったって話は前にしただろ」

「……う、うん……」

「俺のところは兄弟が多かったし、俺は末の方だったから、優秀な人間にならないと、父親に見てもらえないのは分かってた。最初の頃は、別にそれでもいいと思ってたよ。軍人より、本を読むことが好きだったから、勉強して、学んだりするのが好きだった。普通の家に生まれてたら、学者にでもなったのかな……分からないが」

 フェルディナントが本を読むことが好きだなんて知らなかった。

 彼の私室は見たことがあるけど、本棚にあるのは軍や戦術関係のものばかりだ。

「知らなかった……どんな本が好きだったの?」

「何でも読んだよ。別にこだわりはない。本に触れて、色々な知識を知ったり、面白い話を読んだりするのが楽しかった」

「フレディの部屋、そういう本少しも無かったから」

「軍人になる時、そういうものは全部捨てたんだ。手元にあると、大切にしてしまうから。

軍人になりたくてなったんじゃない。自分の実力を目に見える形で一番表現できるのが、軍人だと思ったからなんだ。戦功を立てればいいんだからな。俺自身は父親とは疎遠だったから、認めてほしいとか、構って欲しいとかはそんななかったんだが……ある時気づいたんだ。俺が、父親になんて別に見てもらわないでいい、気ままにやりたいことをやっていよう、なんて暮らしをしていると――父親が、俺の母まで軽視することに」

 ネーリは息を飲んだ。

「父親に『妻』と呼ばれる人が、俺の母一人じゃなかったからな……。他の兄弟たちが頑張ると、彼らの母が父親に誉められる。俺の母親にとって子供は俺と、年の離れた妹だけだったから、俺がだらしない無力な奴だと、本当に母親が父に、何も物を言えなくなるんだ。ある時息を殺して生きてるみたいな母親に気付いてからは……。本とかはもう、どうでも良くなった。理不尽だとは思わないわけじゃないけど、でもだからといって、見ないフリは出来ない。俺をこの世に生んだ人が、自分のせいで惨めな思いをするのは嫌だ」

「……それが、フレディの頑張り続ける理由……?」

 フェルディナントが亡国【エルスタル】の王子なら、その母親は王妃ということになる。

 彼の父親も複数の妻を持つ人だったのだ。

 貴族や王族では、珍しくもないし、血を繋ぐために肯定される。

 ラファエルの所も、確かそうだったはずだ。山ほど兄弟がいると言っていた。

(僕は、忘れて欲しいなって思ってる)

 もう少しも、貴方の邪魔なんかしないから、もうほっといて忘れて欲しいと、王妃セルピナには思っている。

 縁を切りたいと。

 ネーリはただ、自分を今まで助けてくれた、もしくは迷惑をかけた人にだけは、少しだけ恩返しをして生きていきたいと思ってるだけなのだ。ローマの城に移る以外の居住地が認められないことは分かっていたから、部屋も求めなかった。それでもヴェネトにいるのは、この地が好きだから。

 ここが自分の故郷だと、無性に感じるからだ。

郷愁であって、王位を求めてるわけじゃない。

 そこには何の意図も無いのに、生きているだけでネーリは王妃に警戒され、疑われている。自分は何の力もないし、何をしようとも思ってないから、見放して、忘れ去ってくれないかと思いながら王宮に対して生きているネーリの心に、フェルディナントの言葉は沁みた。痛みを感じるほどに。

「お前は……俺を頑張ってると言ってくれたけどな。本当は俺は、俺自身には元々は相当だらしない人間なんじゃないかって思うよ。だから、別に父親に嫌われようと、顧みられなかろうと、悔しさとか寂しさもほとんどなかった。……俺みたいなやつは、自分の為にはそこまで頑張れないのかもな。誰かのためにしか、強くなろうとか、頑張ろうとか、きっと思えないんだ」

「……どうしてそんな悪いことみたいな言い方するの?」

 フェルディナントと視線が合う。

「確かに、フレディは、自分のことより、国のこととか、竜騎兵団のみんなのこととか……ヴェネツィアの街の人とか、そういう誰かの為に頑張ってくれる人だと思う……。でもそれって、素晴らしいことだよ。だって普通、人は自分が誰よりも幸せでいたいと思うから。誰かの幸せを、喜べたり、誰かの為に頑張れることは、本当はそんな普通のことじゃない。もちろん、卑下するようなことじゃない。すごい優しいことだよ、フレディ」

 明かりを消した、薄暗い、月明かりだけの寝室で、この距離で、ネーリと二人だけで向き合って、寝そべりながら話している。彼の声や言葉を聞いていると、フェルディナントは安堵を覚え心が落ち着いて行くのを感じた。

「……妹さんとは、……歳が離れてるんだ?」

「六歳離れてた」

 彼の言い方は過去を示す。

 その子も【シビュラの塔】の砲撃で亡くなったのだ。

「……フレディがお兄さんなんて、嬉しかっただろうね。……ごめんね、聞いたりして」

 フェルディナントは微笑む。

「お前が好奇心でそんなことを聞くような奴じゃないことくらい分かる。気にするな。他の誰にも話したいとは思わないけど、お前は知ってても構わないんだから」

 どうして、フェルディナントはこんなに自分に心を開いてくれるんだろう。ネーリはもどかしくなる。彼は誰に対してもそうじゃないことは分かるのに。

 彼のその誠実に応えて、本当は、今すぐ全部打ち明けたい。

 それで彼の天青石の瞳が、もうこうやって自分を優しく見てくれなくなったり、憎しみや怒りの目でしか見られなくなるのは本当に本当に辛いけど、でもこうして何も言わず彼の側で大切にされると、息が詰まりそうだ。彼を酷いやり方で欺いて、騙してる気になる。

 そうでないことを祈りたいけど、……本当は今すぐ身を起こして彼の前に膝をついて、謝りたかった。でも……。

「…………大好きだった?」

 フェルディナントはとても端正な顔をしているから、きっと妹もそれは可愛らしい子だったに違いない。

 彼は小さく笑った。

「親の事情で一緒に暮らしてたわけじゃないんだ。数度しか会ったことがない。だから大好きだったかは分からないけど。俺よりずっと幼くて……女の子だったからな。……守ってやりたかった」

 聞いた途端、駄目だった。

 寝たふりをしておくべきだったと心底後悔する。

 黄柱石の瞳から零れた涙を、当たり前だがフェルディナントに見られて、彼は驚いたように身を起こした。

「ネーリ」

「ごめん、」

 慌てて向こうを向いて、手の甲で顔をぐしゃぐしゃと拭いた。

「泣かせるつもりは……」

「わかってる。……ごめんね、でも……平気だから」

 顔は見れなかったけど、努めて明るい声を背に返す。

「……さっき、フレディが言った、一緒の寝室で眠る意味……」

 壁が遠い、広い寝室。その壁を見つめながら喋った。

「夜眠ってると、色々なことを考える。

 いいことも、悪いことも、過去のことも未来のことも……

 考えると、あたりまえだけど、色んな気持ちが湧くんだ。

 嬉しさも、悲しさも、こうやって涙が出ることもきっとあって、

 一緒の寝室で眠る人たちは、そういう気持ちを、お互いに対して見て見ぬ振りが出来ない。しないっていう、気持ちで決めるんだね、きっと。誰かと一緒に寝ようって決める人たちは」

 いい感情も、悪い感情も、全部見せて、

 一緒に眠るっていうのは、多分、そういう意味なんだ。

 ネーリは思った。

 家族は血が繋がってるけど、結婚を決める人は、血が繋がってない人にも、心を共有する覚悟をする。

 自分も全部見られるけど、相手のものも全部見てあげる。

 そういう約束が結婚なんだ。


(僕にはきっと、永遠に無理だ)


 言えない言葉が多すぎて、

 絵を描くことと、

 ヴェネトを離れたくないこと、

 この二つ以外は全部、自分だからしょうがないと諦められてしまう。

 この二つがあれば満足してしまうこのちっぽけな心では、他人の何もかもを見て、受け止めてあげようなんて、きっと思えない。

 フェルディナントとこうやって一緒に寝てると、この世を見守る、全ての精霊が自分を見下ろしているように感じる。

 王妃への疑念や、奥底にしまってある、怒りや、

 兄を愛していないこと、

 もう誰も大事じゃないこと、

 自分が独りにされるはずがないと信じて、独りになった時、何かを一瞬、強く憎んだことを――否定できないこと。

 全部。

 全部、嘘のない、誠実な魂をしたフェルディナントに見られるなんて耐えられない。

 醜いものを抱えていても、彼に美しいと思ってもらえる絵が描けるなら、それは神の慈悲だ。それだけで十分だった。絵だけを好きだと言ってもらえれば。

 ギシ、とベッドが揺れた。

 自分の二の腕を、爪を立てるように掴んで、何とか今日だけはここで眠りに着こうと必死に念じて目を閉じていたネーリは集中していたので、ベッドが揺れ、毛布が捲られ、後ろから抱きしめられた時驚いて全身が跳ねた。

「子供みたいに人のベッドに潜り込んで来て抱きついて来たのに、俺からは同じことをしちゃダメだなんていう理不尽、言わないだろうな?」

 耳元に吐息が触れて、ネーリは思わず、シーツをぎゅ、と手で強く掴んでいた。

 覗き込んだ肩越しに、祈るみたいに目を閉じるネーリの表情と、強張ったその手を見て、ここで俺は弱気になるから駄目なんだと、強く、抱き寄せる両腕に力を込めた。

「一緒の場所で寝ることが、色んな感情を共有する覚悟を決めるってことなら……」

 他の、誰の感情も必要ないし、全部見たくなんてない。

(でもお前のなら)

 ネーリのものなら、構わない。

「俺はとっくに、覚悟を決めてる」

 そんな誇れるようなものは特にないけど、覚悟を決めてないことと一緒にされるのは嫌だ。

 強く、多分ネーリの身体は細いから、痛みさえ感じていたかもしれないけど、伝わらなければ意味がないと思って、腕に強く力を込め続けた。

 なにか、

 何かを言ってくれ、と願った。

 願いは打ち砕かれることもあるけれど、

 ――叶うこともある。


「……ありがとう……」


 消え入りそうな声がした。

 静まり返った夜だから、響いた。

「初めてもらった言葉だよ」

 フェルディナントは驚いて天青石の瞳を見開いたが、数秒後、ネーリの項に唇を押し付けていた。辿るように、そのまま彼の首筋を、想いを込めて唇で探る。感じたネーリが小さく、声を漏らして、自分を甘やかすようなその優しい声にフェルディナントは後ろから抱きしめていた彼の身体を腕の中で仰向けにすると、片足を掛けるようにして、覆い被さりに行った。

 手を重ねて、指を強く絡めて、

 自分のもののようにネーリの唇を探りながら、彼は、このまま一つになってしまいたい、とそのことだけを考えていた。






【終】

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